浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その22 富くじの噺のこと、その1 「富久」(とみきゅう)


さて、1回分あいてしまったが、今日は、富くじの噺。
富久と、宿屋の富、を書いてみたい。


富くじとは、まあ、今の宝くじ、である。
今の年末ジャンボで、3億円があたる。


昔の富くじは、1等(一番富)で千両が当たる。
富くじ1枚が、1分(ぶ)。


ここで、少し、江戸の頃の物価、貨幣について、少し触れてみたい。
もちろん、時代によって大きな差がある。
落語の舞台、となる、江戸後期でみてみることにしよう。


とても大雑把に、筆者は、1両は10万円くらい、
と、考えるようにしている。
(正確には、でこぼこあって、6万〜10万などといわれている。)


4分で1両。1分は2万5千円。けっこう高い宝くじ、で、ある。
千両は、1億円、という、ことである。


ちなみに、吉原の最上位の、太夫の揚げ代が、一晩、90匁(宝暦)。
匁(もんめ)は銀の単位で、金1両が銀60匁程度。
で、1両1分=12万円ちょい。
(もちろん、様々な飲食代、祝儀、などなど、
これだけではすまないが、、。)


ちょっと、わかりずらいかも知れない。
江戸の頃は、貨幣は、金、銀、銭(ぜに)の三種の貨幣が存在した。※1


銭は、1000文(もん)=1貫。
金1両が銭4貫(4000文)。
(時代が下ると、銭の価値はどんどん下がっていったようである。)
1文は、25円くらいか。二八そばが、16文だと400円。
路麺(立ち喰そば)の価格と、だいたい同じ。
(これも、とても、大雑把である。
二八そばも、時代が経つと20文以上になっていったようである。)


よく○両あれば、一家がつましくしていれば、一ヶ月食えた、
などという比喩があるが、収入のよい大工職人の手間で、
月2〜4両程度。
2〜40万の月収、というようなところであろうか。


20万で、貧乏長屋の店賃を払って、家族4人カツカツの生活。
40万あれば、たまには、中店であれば、遊びにも行ける、
そんな感じであろうか。
(1両を10万と考えるのは、なんとなく、今の東京の生活感覚、
物価感覚に合っているとは、思われる。)


さて、富くじの噺には、他にもいくつかある。
富久、宿屋の富の前に、一つだけ書いておきたいものがある。

水屋(みずや)の富


ちょっと、おもしろい噺である。
昔、深川は、水が悪く、水を売って歩く、水屋という仕事があった。


この水屋が、富くじに当たる。
当たった金を使えない。
みんながタカリに来るだろう、と、秘密にしている。
また、水屋、などという、利の薄い商売もやめたいのであるが、
待っている人もいるので、なかなか、踏ん切りがつかない。
そこで、縁の下にぶら下げ、て隠す。
毎日、商売に出る時には、縁の下に棒を入れて、ぶら下げた
金を、コツンとやって、確認する。
帰ってきても、また、コツン、と、確認する。
盗まれるのではないか、人に見られてはいないか、
気になって気になって、しょうがない。
その内に、だんだん、夜も寝られなくなり、憔悴しきってしまう。


と、ある日、泥棒が入り、用心していたにも関わらず、
本当に、盗まれてしまう。


で、「あーあ、これで、ゆっくり寝られる」


文章で書いても、伝わらないかも知れない。
演者に技量が要求される噺かも知れない。
一番のポイントは、下げであろう。
非常な落胆、と、安堵。
持ち慣れない金を持った庶民の悲喜劇、であろう。


うまく、噺に入り込ませてもらえられれば、
不思議な感覚を味わえる噺である。

富久(とみきゅう)


さて、富久である。
これは、文楽、または、志ん生、で、ある。


ストーリー
太鼓持ち幇間)の久蔵。
(珍しく、一八でない、太鼓持ち、である。)
酒癖が悪く、旦那をすべてしくじって、働くところがない。
暮れ、借金もかさみ、ぼんやり歩いていると、
知り合いに、富くじを買わないか、と頼まれ、
なけなしの1分で買う。


くじの札は、神棚(大神宮様・だいじんぐうさま)に上げて、
お神酒をあげて、神様に当たりますように、お願いし、
お神酒を下げると、呑みながら、当たったら、借金を返して、
芸人をやめて、堅気になって、、、あれやこれやと、考えながら、
寝てしまう。


と、ジャン、ジャーン。火事、である。
久蔵の住まいは、浅草の阿部川町
火事はどこかと、聞いてみると、芝であるという。
芝には、しくじった旦那の家がある。
駆け付ければ、詫びが叶うかも知れない、と、
寒い中、浅草から、芝まで、駆けていく。


この場面、志ん生のものが、よい。


「わんわん、わん」
「うるせぇな、この、犬め!
 泣きてぇのは、こっちの方だ。」


(音だけを聞いていると、ワンワン、と犬の鳴き声を
真似る、志ん生の声が、妙にかわいい、のである。)


旦那の家に駆け付けると、案の定、詫びが叶う。
火事で、荷物を運び出すのを、手伝おう、とするが、
ドタバタ。


そこで、火事見舞いに来てくれる人の受付けを
することになる。
と、石町(こくちょう。日本橋石町)の本家(ほんけ)から
差し入れが届く。
おでんと、お燗のついた徳利。
呑んで、寝てしまう。


と、また、火事である、という。
浅草・鳥越、あたりだという。
こんなに火事の多い晩、と、いうのもない。
起こされて、また、向かう。
出掛けに、旦那は、もし、なにかあっても、他へ行くなよ、
俺んとこへこいよ、と、送り出す。


駆け付けてみると、焼けてしまった・・・。
火元は、隣りの、糊やの婆、、、
「爪に火を灯すようにして、、、しみったれてゃがって、、
その火から、、、」


とぼとぼ歩いて、、旦那の家に。
「お。久蔵、どうした」
「・・・。家は、ぽー、、、、」
「そうかー。よし。
 家にいな。食わして、着せて、小遣いくらいやるから。」


そこは、芸人のありがたさでございます。(文楽

しかし、
「人の家に厄介になっているってのも、気兼ねなもんだなぁ。
 どんな家でも、一軒もちてえなぁ。」


ちょうど、暮れも押し詰まって参りまして、
人形町辺をぶらぶら歩いておりますってぇと、
ばらばら、ばらばらと、人が駆け出して参りまして、
「なんです?喧嘩ですかぁ〜?
 あー。富(くじ)ですかー。どこぉ〜?
 あー。椙森(すぎのもり)神社。」


「いよいよ、今日だなー。」
「そうさぁ。」
「当たりてぇなぁー。」
「当たりてぇなぁー。お前ぇ」
「お前ぇ、千両当たったら、どうする。」
「俺ぁ、なぁ、日頃の思いを通すねぇ。」
「どうすんだ。」
「うん。庭へ大きな池を掘ってなぁー。
 そんなかへ、酒をいっぱい入れといてなァー。
 裸んになって、ドボーンと飛び込んで、
 泳ぎながら呑むぁ。」

と、みんな、わあわあいっている。


お約束であるが、久蔵は、当たる。
しかし、札がない。火事で焼いてしまった。
これは、ダメ、である。
泣いても、ダメ。あきらめきれない、、、。


またまた、傷心で、とぼとぼ、歩いている。
と、
「おい。そこいくのは久蔵じゃねえか」
「あ・・・。鳶頭(かしら)※2ですか・・・。」
「鳶頭ですか、じゃねーぜ。お前ぇくらい、のんきな男もねーな、まあ。
 火事だってのに、いねーじゃねーか。
 なんか出してやろうと思って、、、。」


鳶頭がなんと、神棚を出しておいてくれたのである。


千両もらって、めでたし、めでたし。



文楽師と、志ん生師、聞き比べると、志ん生、という人は、
ホントーに、いい加減に喋っていた、と、いうのが、よくわかる。
長さをはかってみると、余りかわらないのに、
情報量、例えば、文字に書き起こせば、圧倒的に、文楽師の方が
多い。
志ん生師は、あー、とか、うー、とか、おう、とか、
そんなもので、埋まっている。


しかし、それは、志ん生の息遣いである。
そこには、生き生きと動いている、志ん生がいる。
走っている久蔵は、志ん生であるし、
「帰ってこいよ」と、いう旦那も志ん生であり、
椙森神社の境内で、当たったら、酒の入った池を作りたい、
と、いっているのも、みな、志ん生師で、ある。


これに対して、文楽師。
文句はない。見事。絶品。非の打ちどころがない。
旦那の家の描写など、とても楽しい。


志ん生師は、ヘンな譬えであるが、体調や、気分で、
受け付けない、時もある。
文楽師は、いつでも可。安心して、楽しく聞ける。


不思議なものである。
どちらも、よい、富久、である。


※1:実際の金や、銀の重さがそのまま、江戸の頃は、
貨幣としての価値、で、あった。
そして、いわゆる、金の単位と、銀の単位、銭の単位が並立して、
存在していたのである。上に書いたものは、その換算の値である。
庶民でもこの換算を覚えており、複雑な計算をしていたことは、
正直、驚くべきことである。


※2鳶頭:かしら。鳶(とび)の頭である。
鳶頭と書いて、カシラ、と読むのが慣例になっている。


鳶頭も、落語にはなくてはならない、登場人物である。
鳶は、「いろは四十七組」で有名な、町火消のことである。
現代の鳶職とは若干違っている。


江戸の頃は、文字通り、火消が仕事である。
纏(まとい)を持って、鳶口(とびくち)と呼ばれる道具を持って
火を消す。(江戸の頃は、消火ではなく、燃え広がらぬように、
燃えているまわりの家々を壊す。これを破壊消火、といった。)
明治に入り、消防という公的な組織ができて、火を消す、
と、いう仕事は彼らから、なくなった。
しかし、町内の鳶はそのまま残った。
現代でも、江戸から続く鳶は存在し、東京消防庁出初式
梯子乗りを見せたりするのが、最も一般の目に触れる場面であろう。
また、見えるところでは正月の門松。
都心でも、昔の大店にあたる大企業の門松は、
彼らの仕事であるところが多いようである。
(また、街角で売っていたりするのも、彼らである場合もある。)
また、お祭りである。筆者の住む浅草鳥越あたりの鳥越祭りでも、
町内ごとに、世話を焼いてくれる、鳶の組が決まっており、
神輿を組み立てたり、神酒所を設えたり、様々な裏方をしている。


落語に登場する鳶頭は、町内のご意見番。粋で、いなせな
江戸っ子の代表。
大店(おおだな)に出入りし、
トラブルがあると、登場する、そんな役回りである。