浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草橋・向柳原・手打ちそば・さかき

4542号

4月9日(火)夜

さて。また、そば。
そばシリーズ?。

先日、南稲荷町の[志づや

というところに行ってみたが、私の分類で“趣味そば”
に入るところ。

[さかき]はご近所ではないが、遠くもない。

某サイトで評価3.65。評判は、まあよさそう。

“趣味そば”といっているのは、藪や砂場といった在来、
老舗系でもなく、その暖簾分けの町のそばや、でもない。
手打ち、そば粉にこだわり、等々。
そば前などといって、つまみ、酒も店主の趣味が
色濃く反映されている。

どこかの名のある“趣味そば”、あるいはちゃんとした
和食の修行をされて、開店されているところもあるが、
正直、脱サラ?なのか、そばだけはどこかで習った
のであろうが、それ以外のつまみは素人料理、なんと
いうところもあり、玉石混交、というのも事実であろう。
(まあ、そういうところは淘汰されるのだが。)
そして、有名店といわれるところは、店主がなにか
教祖のようなカリスマになり、お客は信者、なんと
いうところも、、。これでは信者以外のお客にとっては
とても客商売とはいえない。

まあ、そこまでわるく言うこともなく、もちろん、
ミュシュラン掲載店もあり、味もサービスもちゃんと
しているところも多数ある。だが、あまり私とは相性が
よくはない。

なぜか。
まず、そば、というのは、江戸東京の伝統的食文化
である、ということ。
毎度書いているが、歌舞伎 「雪暮夜入谷畦道」。

直侍(なおざむらい)という不良御家人が主人公。
その入谷そばやの場。
河竹黙阿弥作、五代目尾上菊五郎が直侍。
初演は明治初めだが、五代目菊五郎と黙阿弥が、江戸人の
美学を詰め込んだ作品。そばやでどう振る舞えば粋なのか
を見せていた。
台詞だけだが、天ぬき、などの“ぬき”も登場する。
これには、もちろん、店は客にどう対応するのか、
というのも決まっていた。
直侍が店に入ると、店の爺さんに「天(ぷらそば)で
一本つけてくんな」と声を掛ける。
燗酒とそばを同時に頼んでいるのである。
同時に頼むと、店は酒を先に出し、客の酒を呑む
タイミングをみて、そばを出す。
酒にはちょいとしたものだが、そば味噌を出す。

江戸東京でそばを喰うことは江戸東京の大人の男の
スタイルであり文化であった。

私が社会人になって一人でそばやに入るようになった頃、
今から35年、40年前の東京の町のそばやにもまだ、その
雰囲気は残っていた。
それで私は、これは勉強しなければ、と東京の大人の
男の作法が書かれている、池波正太郎作品を一生懸命読む
ことになったのである。江戸落語も然りである。

そばやに限らないが、酒は、常温ではなく、冷(ひや)、
なんというのも、それである。

それが、私が作法を憶えた頃、気が付くと、もはや店からも
客からも、同時進行でなくなっていた。

その最たるところが“趣味そば”ではないかと、私は
思っている。
最初から、老舗系の暖簾でもなく、独自に店を開いたので、
東京のそば食のスタイルを受け継いでいない、と。

まあ、ここに書いているように、今となっては老舗からも
ほぼ消滅しつつあるのを最近とみに感じ、もう諦めざるを
得ないのか、と、考えるようになった。遅まきながら。

ともあれ。

浅草橋[さかき]で、あった。
左衛門橋通りからJRのガードの北側のビルの脇を
西に入ったところ。

今日は夜。7時半頃行ってみた。

意外に狭い店。蕎麦打ちのスペースがあり、奥に
カウンター席とテーブル席。夜だからか、客は三組ほど。
カウンター手前に掛ける。

お酒お燗。燗にお勧めの酒、京丹後市、弥栄鶴、山廃純米。
ぬる燗で。つまみは、三品ののったつまみセットのような
ものを頼む。そばは、後。今は、どこのそばやでも、
こう頼まないと、いけなかろう。

酒がきた。

ここも、酒のみ。お通しはなし。
外のお嬢さんはいるが、調理場はご主人一人のようで、
先の注文があるので遅れます、とのこと。

一杯、二杯呑んでいるとつまみもきた。

酒は、キリっとした辛口。

つまみ三種は、左がちりめんじゃこと山椒の炊き合わせ、
真ん中が穴子煮凝り、右が卯の花

卯の花、煮凝りはうまいのだが、ちりめんじゃこは
山椒の香りがかなり強い。

呑み終りが見えた頃、せいろを頼む。
十割もあるが、ノーマルな二八を。

きた。

薬味はおろしとねぎ。
わさびをつけると、別料金のよう。

お嬢さんは、二八が切れたので、十割です、とのこと。

最初はそばだけで食べてみるが、私にはやっぱり、
どう、というのは、わからない。

そばは、気持ち太目で、白っぽいか。
腰が強く、よい喉ごし。
つゆの濃さはノーマル寄りだが、気持ち薄め?。

そば湯もきた。
ん!?かなり、とろみの強いもの。

これ、もしかすると、両国の[ほそ川]?。
お弟子さんか。

うまかった。

勘定をして、出る。
そばも上々、腰も低く、居心地もよい。
そばやは、もうこういうもの、と、思えばよい、
のであろう。

 

さかき

台東区浅草橋4-10-2 稲垣ビル 1F
03-4285-1192

 

 

 

※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメールはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。

 

 

 

帝国ホテル・パークダイナー その2

4541号

引き続き、帝国ホテルのカジュアルレストラン、
パークサイドダイナー。

なのだが、ここでちょっと昔の地図を出してみよう。

以前には明治の地図を出したので

今日は、江戸。

ここは、江戸城至近で大きな大名屋敷のみ。
旗本屋敷すらない。
ただ、山下門の東側は今の銀座で町。
帝国ホテルの一郭は、白川藩阿部家十万石、譜代。
幕末の日米和親条約を結んだ老中阿部正弘は福山藩で
同族でこちらが本家のよう。

現代と比べるとわかりずらいのはこの北側に濠が
外濠から日比谷濠方向に切れ込んでいたこと。
この濠は日比谷濠にはつながっておらず日比谷御門
手前で行き止まり。この濠は埋め立てられ、一部が
日比谷公園になっている。ここに心字池という池と
石垣の一部が残っているが、これは濠の跡ということに
なるのか。

閑話休題

カジュアルとはいえ帝国ホテル、サービスも極上、
メニューも伝統のメニューがある。

Webで席とコースを予約をした。

コースといっても、前菜、メイン、デザートなど
それぞれ選択肢はたくさんある。

次は、スープ。

私のミネストローネ。

内儀さんのコーンスープ。

内儀さんの方は、もらわかったのでわからない。

ミネストローネと書いたが、本日のスープ。

これもかなりうまい。

浮いている小さなサイコロ状のものは、
ボローニャソーセージのよう。

トマト系なのだが、酸味は抑えてあり、とても
飲みやすい。だが、うまみは濃厚。透明感も強いので
コンソメスープのようなベースがあるのかもしれない。
やはり、流石の味。

そして、きた。

マカロニグラタン。

思い描いたような、マカロニグラタン。

フレンチでグラタンというと、オーブンで焼いたもの
のことを指すので、とんでもないものが出てくることがある。
実際、パリのレストランで牡蠣のグラタンといって、牡蠣が
貝の上にのったもののオーブン焼きが出てきてびっくりした
ことがある。

ともあれ。
散らされている緑はパセリか。

海老がまた、きれい。
よくある冷凍ものを解凍したものではなく、
生のもの、なのであろう。
もちろん、ぷりぷり。

チーズがよい加減に溶けて、焦げ目もある。

ただ、チーズの種類までは、私の舌では
断定はできないが。くせが特にないので、
モッツアレラか。

そして、いわゆるホワイトソースが、かなり
うまい。

私なども小麦粉とバターで自作する、ベシャメル
ソースではない?。もしくは、どこかが違う。
これもまた、私の舌ではなにが違うのかさえ判定
できない。
ただ、とてもなめらかなのは、わかる。
粉っぽさがない、というのか。

ただ、エスカルゴで書いたようにバターがたっぷり
というのでもないよう。まったくくどくない、ので
ある。

そして、内儀さんのハンバーグステーキ。

内儀さんによれば、ナイフを入れると、絵に描いたように
ジュワッと、脂が出てきたよう。

一口もらったが、味自体は、びっくりするほど
ではないか。普通にうまいハンバーグ。

デザート。

いちごのショートケーキとコーヒー。

ブルーベリーものっている。
正方形。
シンプルだが、渋い美しさ。

内儀さんのチョコレートサンデー。

ゴーフル?焼き菓子が刺さり、バニラアイス、
チョコレートソース、ナッツなど。

どちらも奇を衒ったものではないのも
特徴かもしれない。
それでよい、のである。

量もちょうどよい。

以上。

帝国ホテル東京の、パークサイドダイナーのコース。

ビールを入れて、二人で16,600円也。

とても、とてもオーソドックスな洋食メニューだが、
中身は流石の帝国ホテル。
ちっとも古くない。今の、うまい洋食。

ご馳走様でした。

 


帝国ホテル・パークサイドダイナー

 

 

 

※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメールはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。

 

 

 

帝国ホテル・パークサイドダイナー その1

4540号

4月7日(日)夜

さて。

今日は、内儀(かみ)さんの希望で
帝国ホテルのレストラン、パークサイドダイナー。

ハンバーグが食べたいという。

やはり、日本のハンバーグの元祖というのは
帝国ホテルといってよい、のであろう。

パークサイドダイナーは、もっときてると思ったら、
そうでもないのか。10年も前

ここに書いていないだけなのかもしれぬが。

昨年8月にも帝国ホテルにきているが、パークサイド
ダイナーではなく、 ラ・ブラッセリーの方であった。

パークサイドダイナーの方は、オールデー・ダイニング、
と銘打っているが、実際は24時間営業ではなく、
7時から22時まで。帝国ホテルではカジュアルな
位置付けのレストラン。

ラ・ブラッセリーの方は、クラシックなフランス料理を
中心とするメニュー。伝統のシャリアピンス・テーキは
こちら。(この6月でここは閉店のよう。改装のため、
なのか。わからぬが、伝統のメニューはいずれ、どこかの
レストランで出されるのであろう。)

ついでに、帝国ホテルのレストランはむろん、テナント
も含めると、かなりの数あるのだが、ホテル直営の
いわゆるメインダイニングが、フレンチのレ・セゾン
というところ。
もちろん、ハードルが高そうなので、調べたことも
なかった。今調べて、やはり、ディナーだと、25,000円~。
「素材を厳選し、伝統を踏まえながらも新たな感性を
取り入れて作り上げる料理は驚きと発見の連続です。」
だそう。一度くらい行ってみてもよいか。

ともあれ。

ハンバーグステーキはパークサイドダイナーの方。

Webで予約して、18時。

内儀さんと出る。
銀座線を銀座で降りて、帝国ホテルに向かう。

東京宝塚劇場の前あたりの1階。

入って、名前を言って、案内される。
窓側の四人掛けのテーブル。

アラカルトもあるのだが、
内儀さんが、コースを予約していた。

コースといっても、前菜/スープから二品、
メインから1品。
このメインは、カレーもあればハンバーグもある、
いわゆる定番洋食メニューといった感じ。
そして、デザートから1品。
コーヒーなど飲み物。
これで、Web予約で6,500円也。
頼む料理によって、プラスチャージがある。

私は、エスカルゴと本日のスープ、これは
ミネストローネ。
メインはマカロニグラタン。
ショートケーキ。

内儀さんは、シーフードマリネに
コーンスープ。
ハンバーグステーキ。
チョコレートサンデー。

ビールをもらう。
ここはアサヒの生で、エクストラコールドか熟成。
エクストラコールドを。

エスカルゴ。

テーブルセット。
私はナイフはなくフォークとスプーンだが、
ここのものはこころなしかゴツめな感じがする。

アップ。

帝国ホテルのエスカルゴはやはり看板で、伝統の
一品であろう。
フランスパンの薄いスライス付き。
たっぷりのパセリ入りガーリックバター。
入っているのはマッシュルームとエスカルゴ。
とてもオーソドックスだが、うまい。

これだけのバターのソースだと、くどくなりそうだが、
とても食べやすい。バターだけではないのか、
バターが違うのか。
塩味のバランスもとてもよいのだろう。
やはり、流石のもの。

内儀さんのシーフード。

なかなかの量だったよう。
少しもらったが、これも流石。

ゆでたシーフードのドレッシング和えといった
ものだが、魚介への火の通し方、味のからみ方、
かなり気を使っているのがわかる。

メキシコで定番のセビーチェというやはり魚介の
カクテルを食べたことがある。町のレストランだが、
ゆで汁ごとガラスの器に入れてあるように見えた。
これにタバスコのようなチリソースを混ぜて食べる。
これはちょっと、いただけないと感じたのである。
どうも日本人は魚介に異様にうるさい。

帝国ホテルで調理法を決めているシェフも料理人も
おそらく日本人であろう。洋食、フレンチとはいえ、
日本人の価値観で、一流鮨や同等以上のハイレベルな
材料で、ハイレベルな下拵えをしているはずである。
もちろんフランス人の一流料理人も同様であろうが。


つづく


帝国ホテル・パークサイドダイナー

 

 

 

※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメールはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。

 

 

 

浅草弁天山美家古寿司 その2

4539号

引き続き、浅草[弁天山美家古寿司]。

つまみをもらって、にぎり。
昨日は、すみいか、まで。

白身

鯛。

ここの鯛は、湯引き。
湯引きというのは、鱗を取って皮目に熱湯をかけ、急冷する。
これは別段、江戸前に限った手法ではなく、日本全国、
和食に共通して行われるだろう。皮を残した方がうまい。
なぜであろうか。
皮がうまい。皮と身の間に脂がある。そんなところ、で、
あろうか。
やはり、厚切りが特徴だろう。

次は、平目。

これも、ここでは定番。昆布〆。
鯛もここでは、昆布〆にすることもあるが、平目の昆布〆は
まず必ずある。逆に昆布〆でない平目は置くことは、ほとんど
ないかもしれぬ。
もちろん、水分が抜け、昆布のうまみが足される。
また、置くこと自体でうまみが増えるということも
あるのかもしれぬ。

いか、白身ときて、光物。

小肌、から。

子持ちというくらいで、随分大きい。
半身で握っている。
ただ、味はよろしい。
なぜであろうか、小肌というのは、身が薄いのが
うまい、のである。
それで、子供が珍重される。

次は、鯵。

ここの鯵は、軽く〆る。
今は、東京の鮨やで、〆るところはまずない、だろう。
〆るのは、冷蔵設備のなかった頃のものではあるが、
必ずしもそうではない。
鯖も〆るが〆ると、まだ別のうまさが生まれる、というのは
皆さんうなづけることであろう。鯵も同様。
生もうまいが、〆たものもまた、別のうまさがある
のである。

そして、しまあじ

これも厚い。
これに限らないが、サクのものは厚く切ってにぎる。
この店の特徴である。
プリっと、堅めの歯応えと適度な脂ののり。
厚く切るのは昔からのことなのであろう。

次は、鰹。

たたき。
いや、これ、かなりうまい。
たたきだと、生とは違って、多少時間が経った?
ような印象かもしれぬが、左に非ず。
みずみずしさが、堪えられぬ。
鰹というのは、鮮度が命だと思うが、職人の目利きと技
でしか食べられないうまさ。

そして、これ。

なんだと思われようか。
これは、ぶり。美しいではないか。

脂はのっているが、適度でよろしい。
若親方に聞くと、太平洋らしい。

富山のものは今年はやはり、見ないとのこと。
富山湾の漁業が従前に早く戻ってほしい。
だが、若親方もいっていたが、太平洋でも
うまいぶりは獲れる。温暖化で北海道でもたくさん
揚がっているのは周知のことではある。
それはそれで、うまく食べればよい。

次は、海老。

小型の車海老、さいまき海老だが、甘酢に漬けて
あるのがここの江戸前仕事。
そして、内儀(かみ)さんが好きなおぼろを
たっぷりはさんでくれる。

次は、平貝。

やはり、あれば必ず食べたくなる。
貝の中では別格に思うのである。
このサクッとした食感が堪らない。
味も貝らしくない、かもしれぬ。
貝らしい貝は、私はもう一つ、なのである。

ここ数年少なかったのだが、このところ、ここでも
見られるようになってきた。少し持ち直したのか。
調べるとやはり天然ものの漁獲量は減少の一途。
風前の灯火といってよい量のよう。

完全養殖技術の研究開発も進んでいるようだが、
まだ、大きくはなっていないよう。
好物!、是非がんばっていただきたい。

そして、まぐろ。
明日はここ、休みなので、種の数が少なめなのだが、
赤身と赤身のヅケがあるよう。

両方もらった。
赤身。

やっぱり、このぶ厚さ。

ヅケ。

こちらも赤身のヅケなので、やはり、かなり近い。
ともかくも、濃厚なあまみ。

最後は、海苔巻。

干瓢に内儀さん用におぼろ入り。

そして、玉子とおぼろ。

以上。

いつも通り、うまかった、うまかった。

勘定は内儀さんと二人で28,380円也。

ご馳走様でした。

 


弁天山美家古寿司

台東区浅草2-1-16
03-3844-0034

 

 

 

※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメールはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。

 

 

 

浅草弁天山美家古寿司 その1

4538号

4月6日(土)夜

さて、ちょっと間があいた、か。

今日は、お馴染み、浅草[弁天山美家古寿司]

月イチではきたいのだが、タイミングが合わなかった。

予約して、18時。

東京の桜は満開。

この浅草、上野界隈も、名にし負う上野公園、隅田公園
むろんのこと、お寺の境内、学校、どこといわず満開。
観光客とみえる白人のおじさんが、お寺の桜が覆う
塀の脇で一人佇んでいたりするのを見ると、やはり
多少の奇妙さもありながら、ちょっと微笑んでしまう。

このところ雨で肌寒い日もあるのだが、今日は花曇り、
と、いうのであろうか、最高気温15.1℃(0時59分)。

日が暮れると、やはり肌寒いので、薄いコートを
羽織って、出る。

馬道伝法院通りの交差点でタクシーを降りて、
向かう。
このあたりも観光客でごった返している。

暖簾をくぐり、ドアを開け、入る。

おや、今日は親方の顔も見える。
このところ、夜は親方の姿はなかったのだが、
珍しい。
親方、若親方に挨拶。
コートやらを預け、若親方の前に掛ける。

カウンターもテーブル席も埋まっている。
やはり、親方の登場はお客が多いからか。

キリンビールでいいですか、と、若親方。

あ、はい。

ビールがきた。

(ちょっとピンボケ)
お通しは、北寄の切れ端の甘酢漬け。


と、こんなものも出してくれた。

なんに見えようか。

はらわた?、あるいはなにかのエラ?。
これ、小肌の玉子だそう。
甘辛に煮含められている。

若親方は、やはり、この時期小肌はもう大きく、
真子白子を持っているのも出てくるという。
それを煮たもの。

小さくて、言われなければ、玉子であることは
わからないが、なかなかうまい。

小肌という魚はもちろん、小肌で食べるのは、
生まれてから1年以内程度。つまり夏まで。
だが、小肌は、さらに大きくなって、鮗(このしろ)に
なり、なん年生きるのであろうか。少なくとも
3年以上は生きるのか。
大きく、コノシロになると江戸前にぎりには使えない。
値段が急落し、未利用魚として問題でもある、という。
大味になるのだが、骨も堅くなるらしい。
かといって無理矢理にぎりしてほしくはない。
なにか手はないものだろうか。

ともあれ。

つまみ。

掛けた目の前のショーケースに、たこ。
このところ、わりに見られるように思う。

江戸前の真蛸。
毎度書いているが、それを江戸前の技で拵えている。

食べたことのない方がいたら、絶対に一度は食べてほしい。
いわゆるゆでだことは色が違うのがお分かりになろうか
より、濃い。赤、ピンクよりも臙脂(えんじ)に近い。

下半分は塩で、上半分は甘いたれ。

元来は甘いたれを掛けることが多かったのであろう。
これもうまいし、そのままの真蛸の味がわかる、
塩もよい。

もう一品。

これも目の前にあって、うまそうだったので
もらった。

蝦蛄(しゃこ)。

わさびだけで、といって出された。

しょうゆ味の出汁に漬けてある。
この出汁感がすごい。
味が付いているので、わさびのみでよい、という
ことであろう。

ゆで具合というのか、しっかりした食感、
歯触りも、よろしい。

鮨やの蝦蛄というのをあまり食べてこなかった
と思うが、このところ、食べている。

蝦蛄というのも江戸前で昔から食べられている
と思うが、改めてうまいものと思う。
ゆでたものが流通していて、それが普通だと
思うが、ここでは、やはり生を買って店でゆでて、
つゆに漬けておく。水分が抜けずパサパサにならない。
そういうことか。

つまみを終えて、にぎりへ。

最初は、例によって、いかと白身

いか、から。

もちろん、すみいか。

目の前にショーケースにあるのを見いても
10cmほどであろうか、むいたもの。
随分と大きい。

だが、やはり、適度な歯応えと柔らかさ、
そして、あまみがちゃんとある。


つづく


弁天山美家古寿司

台東区浅草2-1-16
03-3844-0034

 

 

 

※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメールはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。

 

 

 

吾妻橋やぶそば 本所吾妻橋、駒形橋界隈

4537号

4月5日(金)第一食

さて。
なにか、そばシリーズのようになっているが、
今日は吾妻橋[やぶそば]

ちょっと、久しぶり。

以前は吾妻橋東詰めのアサヒビール側の通り沿いに
あったのだが、今は駒形橋の東詰めにある。

現代の地図

今回も少し昔のことを書いてみたい。

以前(上記21年のページ)に江戸の地図を出したが
今日は、明治の地図を出してみよう。

明治30年(1897年)

「東京一目新図」

明治30年厩橋はできているが、駒形橋は関東大震災後の
建設で、まだない。ここは駒形の渡しという渡し舟。

隅田川沿いの通りは江戸の頃から変わらずあるが、
清澄通り・浅草通りはまだない。
この界隈斜めの通りが多いがこうした細かい町割りは
現代と見比べるとやはり江戸の頃の名残のよう。

吾妻橋は江戸の頃は東橋という表記だが、隅田川
掛かる五本目の橋で、浅草と本所を結ぶランドマークと
いってよろしかろう。江戸期はもちろん木製だが、
できたのは安永3年(1774年)で田沼時代、江戸も中頃。
落語にも多く登場するが、やはり代表は「文七元結」であろう。
三遊亭圓朝作で作られたのは明治だが、設定は江戸。
若者の身投げを左官の親方長兵衛が止める舞台。
吾妻橋明治20年(1887年)に鉄橋だが橋板が木製
のものに架け替えられ、今のものはやはり震災後の建設。

余談だがこの「文七元結」の長兵衛の住まいは噺の中では
“本所達磨横丁”と言っている。本所達磨横丁の実際の場所は
ちょい南の東駒形一丁目に今もある実相寺付近のよう。
噺の中ではもう少し吾妻橋に近そうだが、こんな距離感である。

さて。
この界隈、もう一つ書いておきたいのがビール工場。
前にも一度書いた気もするが、まあ、よいだろう。

今、こんなところにビール工場があったというと驚く人も
少なくないのではなかろうか。
明治の地図に書き入れたが、ここは吾妻橋袂でランドマークに
なっている、今のアサヒビール本社と墨田区役所の一郭。
なんと昭和60年(1985年)までここでビールを作って
いたのである。そしてそれが、今のアサヒビールの本社
ビル群などになったというわけである。

ここにビール工場ができたのは明治33年(1900年)。

よって、ほんとは、上の明治30年の地図に書き入れるのは
正しくはないのだが。
この時、ここは札幌麦酒の東京工場としてできた
のである。

え?。サッポロ?、アサヒの間違いではないの?、
と思われよう。これ、間違いではないのである。
最初は札幌であった。どうしてアサヒに変わったか。

明治中に札幌麦酒は合併により大日本麦酒に名前が変わり、
さらに、戦争中、国策でビールは一つのブランドに
なったりもしている。
そして、戦後大日本麦酒は、GHQ財閥解体政策により、
朝日と札幌に分割され、元札幌のものであった吾妻橋工場は
朝日麦酒に所属することになったというわけである。

私自身、子供の頃はこの界隈に住んでいなかったので、
ここにアサヒの工場があったのを記憶してはいないが
写真を見ると、吾妻橋袂の壮観な姿であったよう。

やはり、大きなランドマークであったろう。

閑話休題
吾妻橋[やぶそば]で、あった。

ここは、昼のみ、15時までなので、早めにきた。
駒形橋を自転車で渡って、13時半前に到着。

ほぼ満席、入れ替わりを待って、相席で着席。
客層は、近所のサラリーマンのお昼というよりは、
わざわざきている感じであろうか。
この雰囲気であれば、酒をもらってもよい、で、あろう。

座ると、水が出る。
最近はそばの実の温かいお茶を出すところも多いが、
元来はそばやは水を出すものであった。
日本茶はそばの香りと合わないから、と聞いたことがある。

今日は少し肌寒いので、ぬる燗で。

やぶそば伝統の菊正宗。
また、お通しの、黒いそば味噌も。

つまみは、鴨ぬきを頼んだ。ここは珍しく、天と鴨の
ぬきが、品書きに載っている。

鴨ぬき。

小ぶりな丼。
これもなかなか熱い。
ゆずが浮いて、長く切ったねぎ、三つ葉、脂の付いた鴨肉。
つくねが入っているわけでもなく、まったく、シンプル。
ここはやはり、これがよい、だろう。
つゆが、じんわりと、うまい。
この味が、菊正に合うことこの上ない。

食べ終わる前、そば。
もりが、大、中、小とあり、中を頼む。

単純に中は、もりが二つ。

つゆをそば猪口へ。

微妙だが、細めではなかろうか。
色も、微妙だが、気持ち薄めか。
そして、かなりシャッキリ、堅めにゆで上がっている。
つゆもこのあたりのしょうゆの勝ったもの。
やっぱり、これでなくてはいけない。

よい喉ごし。

夢中で手繰る。
このふた山、どうしてなかなか量がある。

食べ終わり、勘定をして、出る。

ご馳走様でした。

ここ、土日は列、とも聞く。
距離的にはむろん、遠くはないのだが、
なかなか橋を渡ってまでこない。
ウイークデーなら、よいかもしれぬ。

 

 

墨田区吾妻橋1-11-2
03-3625-1550

 

 

 

※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメールはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。

 

 

 

南稲荷町・手打ち蕎麦・志づや

4536号

4月1日(月)第一食

ここ、知らなかった。

自家製粉、挽きたて打ち立て、とのこと。

稲荷町というのは、むろん旧町で、東上野二丁目。

最寄り駅は新御徒町稲荷町か。
拙亭ご近所だが、場所を説明しずらい。
近くに目印になるようなものがないので。

清洲橋通りの西、春日通りの北の一郭。

マンションやら住宅も混じるオフィス街といってよいか。

こんなところに、こんな店が、と思える玄関。

驚いた。
完全な路地、通り沿いでないので、まったく気付かなかった。

開店は一昨年2022年でそれ以前は、蕎麦打ち教室で
あったよう。

夜の営業もあるのだが、昼行ってみる。

昼の営業時間は14時までと早い。

拙亭から清洲橋通りを渡って自転車なら5分も掛からない。

最近、私もあまり使わなくなった言葉だが、
“趣味そば”といっていた。

趣味のそば。なんとなくお分かりになろう。

藪だったり、砂場だったりの、老舗系でもなく、
または老舗の暖簾分けの町のそばやでもない、
趣味のそばや。
最近だと西浅草 [ひら山] に行ったがそれに入る。
もちろん、有名店も多数あるが、凸凹もあることも事実。

13時頃到着。そこそこ席は埋まっている。

お嬢さんが愛想よく迎える。
あいていたテーブル席へ。

最初なので、一杯呑もうと思ってきた。

広島の亀齢(キレイ)という名前の、辛口純米。
初めて。冷(ひや)といったが、冷やしたもの。
味は少し軽く、呑みやすい。

お通しのようなものはなし。これ、趣味そばでは
よくあるか。そばやなら、付けてほしいが。

そばは、品書きの一番上にある天せいろ。
特上はなく、上、1,900円也。

比較的、すぐにきた。

これでもかなり大きな海老天。薄く切ったごぼう天も。

呑みながら海老天。添えられている塩で。
天つゆや、そばつゆではなく、塩で、というのも
趣味そばの特徴であろう。これ、どこが始めたのか。
別段わるいことではないが。
かなりしっかりした衣。ちょっと堅すぎる?。
ごぼう天はカリカリで、うまい。

そばの香りを、と書かれているので、つゆなしで
食べてみる。が、やはり、私、正直のところ、
違いのようなものは、わからないのである。

そばは細くもなく太くもなく、黒くもなく、
白くもない。とても標準的。ただ、多少短め。
短いのは手繰りやすくてよい。
わさびを箸につまみ、手繰る。
つゆは、濃いめ。これは、この界隈下町の味に
近いが、気持ち甘味が勝っているか。
だが、十分うまいそば。

そば湯は写真左の器にテーブルに置かれている
そば粉を自分で入れて、お湯に溶いて作る。
意図はよくわからぬが。

お嬢さんはとても腰が低く、こちらが恐縮するほど。

ご馳走様でした。

4月3日(水)第一食

ご近所なので、書く前にもう一回食べてみることにした。
今日は雨、歩いて向かう。

今日は、酒はなし。
ちょっと見たことがないので、せいろだが
西京鴨せいろ(ロースト)1,500円也。

そばなのに、西京味噌のつゆ。
ニューウェーブ

入っているのは、鴨肉と焼いたねぎ。
黒いものが浮いているのだが、なにかを焦がしたもの?。
なんだろう、胡麻かとおもったら、違う。
細かく切ったねぎの焦がし?。わからぬが。

甘い西京味噌とそばが合うのか、というのかと
いえば、けっこう合う。まあ、甘辛なので?。
十分うまい。

そして、これ、鴨肉が絶妙のレアで、かなりのレベル。
低温調理かもしれぬ。
それもなかなかの量、入っている。
ここ夜は[さ和鶏]という名前で鴨肉料理店も
やっており、お得意か。

ただ、このつゆ、段々薄くなってくるのが気になる。
これは、味噌だから、ということもある?。
味噌の方が、薄く感じやすい?。
いや、そうでもなかろう。
しょうゆの甘辛でも薄くなると感じるものはある。
もう気持ち、濃くしてもよいのではなかろうか。
最初が濃すぎると感じない程度?。

だが、総じて、水準以上。
鴨せいろで、鴨肉たくさん。
これで、1500円は御の字であろう。

うまかった。

ご馳走様でした。
これだけのご近所。
よいかもしれぬ。

 

志づや

台東区東上野2-4-3
03-6284-4295

 

 

 

※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメールはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。