浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)
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2020国立劇場初芝居 その1

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1月5日(日)

さて、5日。歌舞伎が続くが、今日は、国立の初芝居である。

国立は例年通り、菊五郎一座。

演目はほぼ誰も知らないであろう、むろん、私も知らない
「菊一座令和仇討(きくいちざれいわのあだうち)」。
むろん今回のための外題(タイトル)。

12時開演なので、10時半頃家を出る。

恰好は、一昨日の歌舞伎座と同じの着た切り雀。

半蔵門というのは、元浅草からは行きずらい。

大江戸線で春日、三田線に乗り換えて、神保町。
神保町からタクシーというのがいつものルート。

国立は、歌舞伎座とくらべれば、静かなところにあるし、
観客も少ないので、穏やか。

門松も出て、こちらも正月らしい。

ロービーには大きな凧が左右の天井に。

演目にちなんだもの。

反対側は

干支の子。

入ると、幕前に、

やはり大凧が下がり「初春令月 気淑風和」。

あれ?、これ、例の令和の出典の万葉集?。
なにかちょっと違う?。

イヤホンガイドによれば、そのものであった。

これも例年のことだが、ロビーで、獅子舞。

正月、である。

さて、上の舞台と幕の写真。
よく見ていただきたい。
ちょっとわかりずらいが、上手、向かって右側にも
花道があるのがお分かりになろうか。

普通は、下手だけ。
両花道といって、上手、下手両方に花道を作ることが、
たまにあるが、珍しい。

まったく予習をしてこなかったが、どんな芝居が始まるか。

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四世鶴屋南北=作『御国入曽我中村』より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言 菊一座令和仇討(きくいちざれいわのあだうち) 四幕九場
国立劇場美術係=美術

序 幕  鎌倉金沢瀬戸明神の場
     飛石山古寺客殿の場
     六浦川堤の場

二幕目  朝比奈切通し福寿湯の場
     鈴ヶ森の場

三幕目  下谷山崎町寺西閑心宅の場
     大音寺前三浦屋寮の場
     元の寺西閑心宅の場

大 詰  東海道三島宿敵討の場

(主な配役)
幡随院長兵衛/寺西閑心実ハ蒲冠者範頼 尾上菊五郎
三日月おせん実ハ佐々木の娘風折/頼朝御台政子御前 中村時蔵
笹野権三 尾上松緑
白井権八 尾上菊之助
大江志摩五郎/梶原源太景季 坂東彦 三 郎
江間小四郎義時/おせんの手下長蔵 坂東亀蔵
権八妹おさい 中村梅枝
大江千島之助/笹野の家来・岩木甚平 中村萬 太 郎
安西弥七郎景益 市村竹松
権三妹八重梅 尾上右近
新貝荒次郎実重 市村光
寿君源頼家 尾上左近
茶道順斎/湯屋番頭三ぶ六 市村橘太郎
同宿残月/判人さぼてんの源六/和田左衛門尉義盛 片岡亀蔵
今市屋善右衛門/秩父庄司重忠 河原崎権 十 郎
白井兵左衛門 坂東秀調
遣手おくら 市村萬次郎
笹野三太夫/大江因幡守広元 市川團蔵
家主甚兵衛 坂東楽善 ほか

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四幕九場、4時間を越える。
かなり長い、一昨日の歌舞伎座のような見取り狂言ではなく、
一作を通しで上演する“通(とお)し”の芝居。

結論から書こう。

よかった。
おもしろかった。

歌舞伎座の昼よりも、格段に上だった。
やはり、どうした、歌舞伎座、どうした、松竹、
であろう。
大看板を並べた歌舞伎座がこれでは、情けなかろう。
難しい事情もなんとはなしにわかるような気もするが
奮起を期待せずばなるまい。

さて。
レアな芝居で、これから観る方もおられるかもしれぬし、
例によって筋や、ネタばれになることを書くのは
やめよう。

この「菊一座令和仇討」には原作がある。
これがほぼ知られていない作品。

四世鶴屋南北作「御国入曽我中村(おくにいりそがなかむら)」。
初演は文政8年(1825年)江戸中村座
いわゆる化政文化の只中で江戸後期ではあるが、ペリーも
来ていないし、大政奉還まではまだ40年ある。

曽我、と入っているので、一月。
江戸期には一月は、曽我兄弟の仇討を扱った
“曽我もの”を上演するのがお約束であった。

鶴屋南北という名前は五代あり、四世が最も有名で
四世を大南北。あるいは、ただ南北といっても
この人を指す。

歌舞伎を知らない方も鶴屋南北の名前は聞いたことはあろう。
代表作は「東海道四谷怪談」。
文化文政期の人気作者で、作品数も数多い。だが、現代まで
継続して上演されている作品は、黙阿弥などとは違って、
かなり少ないのも特徴であろう。

東海道四谷怪談」も有名な作品の割になかなか上演されない。
怪談なので通しで上演されないとあまり意味がなく、
また、夏と上演時季が限られるからか、なのか。

また、南北作品はこれ以外となると
『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』くらいではなかろうか。
私はこの二作しか観たことがない。
有名な割に作品は残っていないという妙な作者であろう。

この「御国入曽我中村」も初演後、わずか3回しか上演されていない。
その上、最も新しくて明治8年(1875年)。これを最後に忘れられて
しまった作品のようなのである。
なんで、こんな作品を掘り起こしてきたのか。また、掘り起こす
ことができたのか。
だが、結果として、こんなおもしろい作品ができている。
これは国立劇場と座頭菊五郎菊五郎劇団面々の功績であろう。

 

 

 


つづく