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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」~断腸亭考察 その28

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因業大家vs.店子
「唐茄子屋政談」を見てきた。

書いたように、落語でもあるがオリジンは講談で、
落語というメディアにとどまっていない作品。
「悪党の世紀」そのものといってもよいという理解をした。

さて、次。「大工調べ」で、ある。

有名でもありまた、人気のある噺であろう。
実は私は憶えようとしたことがある。

これも最も古い速記を「集成」から見てみよう。
速記上のタイトルは「大工の訴訟」と書いて訴訟をシラベと読ませている。
つまりダイクノシラベ。
口演はこれも禽語楼小さん。明治24年(1891年)。

この噺の聞き所、聞かせどころは、まあ、いろいろな意見はあるかも
しれぬが、棟梁の啖呵である。

「なにぉ~、丸太ん棒とはなんだぁ~、あったりめぇじゃねえか。
 目も鼻も口もねえのっぺら坊みてえな野郎だから丸太ん棒っつ
 ったんだ。
 やい、てめぇ。黙って聞いてりゃぁいい気になりゃがって、ご託ぅ
 すぎるぞ。どこの町内ぇのお蔭で、そうやって大家だの膏薬だの
 色々になったんだ。先のことぉ知らねえと思ってやんだ。わからずやの
 アンニャモンニャめ。手前の氏素性をなぁそっくり並べてやるから、
 びっくりして、シャックリ止めて、腰ぃ抜かして、座りションベンして、
 馬鹿になんな。、、、」

どうも、この啖呵が好きで、私はここから覚え始めたのである。
だが、これがそうとうに長いのである。長いのであるが、
啖呵としてもよくできているし、笑わせどころも満載。(志ん生師~
談志家元~志らく師のものである。)
啖呵に限らず、この噺、全体に笑いが多く、よくできた噺。

同じ部分、禽語楼小さん師のものをみてみよう。

棟「ヤイ、糞ッ放(た)れ大屋(おほや)」
大「是(これ)は乱暴な悪口(あっこう)を為(し)なさるナー、
  此の広い世界に糞(ふん)を放(たれ)ん大屋が在(あ)るかぇ」
棟「コーレ、汝(てめい)は町役だノ膏薬だノつって高慢な面(つら)
  をしてェても、素(もと)を洗い立てして赤(あけ)ヘ顔させるぞ」
大「赤顔でも青い顔でもどんな顔でもなさい」
棟「目下(いま)は町役だノ膏薬だノ、大屋さまとか辷(すべ)った
  転んだノつて威張つてるが、汝(うぬ)は那処(どこ)の田舎から
  転がり込んで来やアがつたか。、、、」

大筋では同じだが、時代を反映しているのか細かい言葉使いが、
違っている。慣れているせいか、私は今のものの方が枝葉がついて
おもしろい。

そして、圧倒的な違いは、今のものはどうであろうか、禽語楼
小さん師のものの10倍くらいは長くなっている。
この頃は、まだまだ、啖呵は聞かせどころではなかったのであろう。
百年の間に、啖呵にフォーカスがあたり、枝葉がどんどんとついて、
笑わせるくすぐりも増え、長くなった、のであろう。

さて「大工調べ」の大家。噺の構造上は因業大家である。

簡単に噺を説明をすると、大工の与太郎が仕事がなく店賃、一両二分と
八百文をためてしまう。これは仕事をまわしてやれなかった棟梁の責任
でもある。大家は、そのカタに与太郎の道具箱を召し上げてしまう。
棟梁が急にきて明日から仕事だという。与太郎は訳を話す。じゃあ、
というので棟梁は手持ちの一両二分渡す。八百足らないが仕事は明朝早く、
時間がないので訳を話して返してもらってこいと、与太郎にいう。
与太郎は、大家のところへ行くが、馬鹿なのでちょいとした言葉使いの
行き違いもあり、大家はへそを曲げ、頑として返してくれない。
しょうがねえ、と、棟梁が出ていく。
大家は、お前さんが差し金か。じゃあ、なおさら道具箱は返せない。

棟「たかが八百で頭を下げてるんだから返してもらってもいいじゃあ
  ござんせんか。」
大「なんだ棟梁。オメエそんなに偉えのか。そんな詰まんねえ頭、上げ
  とくれ。こう見えたってあたしゃぁ、町役人だよ。テメエなんぞ
  たかが大工(デぇク)じゃねえか。それも雪隠(せっちん)大工の
  くせぇしやがって。雪隠大工が町役人に頭下げたら、どこかどう
  だってんだ。あたしの目でも潰れるってのかい。」

棟梁の啖呵がもちろんすごいのだが、それ以前の大家の悪口(あっこう)
も実のところ、そうとうに酷いのである。
とにもかくにもどんどんエスカレート。で、棟梁もキレて、先ほどの
啖呵になるというわけである。

結局決裂。この後、棟梁・与太郎奉行所に訴え出て、大岡越前守様の
大岡政談になる。最後には棟梁・与太郎組が勝利するということにはなる。
政談部分のギミックは、大家が店賃滞納のカタに与太郎の道具箱を預かる
というところ。棟梁も言っているが「こっちの商売もん召し上げちまって
どうやって稼げってんだ。いいずくによりゃぁ、タダだって取れるんだ」
と。やはりお奉行様もここを問題にし、大家が滞納金のカタに道具箱を
預かるということは質屋機能になるが、その方(ほう)は質屋の免許を
持っているのか。なに、ない?。それは不届きな奴。とまあ、そんな結末。

禽語楼小さん師の頃はまだないのだが、今は、大家に「まだわかんねえ
のか、俺はオメエのことが嫌ぇなんだよ」という台詞まで言わせている。
ただの因業(イジワル)大家に好き嫌い、もともとこの二人仲がわるい
という関係までできて、かなり複雑になっている。
片や大家で町役人で公的な地位がある。片や大人数の職人を扱う貫禄、
プライドのある棟梁。個人的な好き嫌いも入り、双方意地。

だが、やはり、八百持ってくれば返してやると言っているのは正論。
大家の言っていることは間違っていないのである。意地は悪いが。
棟梁も時間がないなどと依怙地にならず、一度戻り、八百を与太郎
届けさせれば、グーの音も言わせないで返すであろう。ざまーみろと
思えるようにも思うのだが。

さて、時代考証をしてみよう。
最初に結論を書くと、この噺はどうも時代的には「悪党の世紀」とは
関係なさそうなのである。
大岡政談なので、やはり講談が元。そして講談よりもはるか前、
江戸前期から、この噺の政談部分のギミックは出てきているらしい。
(「落語の鑑賞201」延広真治編)したがって、店賃滞納のカタに
道具箱を預かるという設定もおそらく変わっていないと思われる。
と、すると因業大家というのは昔からいたと、考えてよいのである。
因業大家VS.店子はわかりやすい普遍的な対立。

そして、もう一つ。明治24年の禽語楼小さん師の口演では啖呵は
まだまだ短いという事実。「悪党の世紀」で啖呵が長くなったのでは
ない。啖呵にスポットがあったのは後年の工夫であるということ。
(他の噺家のものも確かめてみる必要はあるかもしれぬが。)
また、これ三遊の噺ではなく柳派の噺であったことは憶えておきたい。

しかしまあ「大工調べ」は“業の肯定”、大家も棟梁も人間を
表現していることは間違いなかろうが、幕末の「悪党の世紀」とは
関係なかったのはちょいと当てが外れた。そうそう落語は単純に
出来上がってはいないということであろう。

もしかすると、本当にこの頃できた噺は「唐茄子屋政談」のように
殺伐としすぎて、多くは残っていないということなのか。

しかし「大工調べ」なかなか複雑にできている噺である。
大家の悪口(あっこう)は酷ければ酷いほど、棟梁は我慢に我慢を
重ねたという演出になり、啖呵自体が生きる。また、その啖呵自体も
長く、おもしろく、デフォルメされて作られていった。お客がどう
すれば喜ぶのかを考え工夫された結果、なのであろう。

結局私はこの噺は人前で演れるまでには、覚えきれなかった。
たいへんなのである。長いと書いているが、早口なので時間的には
15分程度でも言葉が多いのである。とにかく、ああでもない
こうでもない、という言葉の応酬。例えば棟梁の台詞一件(ひとくだり)
を飛ばしてしまうと、後の大家の台詞が浮いてしまったり。
また、覚え直してみようかしら。

 

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より