浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」~断腸亭考察 その29

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引き続き「悪党の世紀」と落語の関わりを実際の噺をみながら
考えている。

幕末当時にできた噺が「悪党の世紀」を反映しているであろう
ということもあって「唐茄子屋政談」をみたのだが、“反映”
どころではなくお話そのものが、殺伐としてしまう。
まあ、考えてみたらこれはあたり前のことではあろう。

私の仮説とすれば「悪党の世紀」があったから、落語は庶民の視点で
人間というものを深く掘り下げて描いたものになったのでは、という
ことだったのではある。だがそうそう単純には落語はできていない。

幕末の「悪党の世紀」以前からあって現代に伝わっている噺、
昨日の、「大工調べ」はその影響で啖呵が長くなったのではなさそう。
その後の演出の工夫であった可能性が高そうだということ。

そして、もう一つ。
「大工調べ」は人間を描いているということは間違いはないのだろうが、
例えば最初に挙げた「二十四孝」(+「天災」)と比べると、随分と
レベルが低いといえよう。結果としてだが。

因業大家VS.店子でも、「大工調べ」は「既成の規範を疑ってみる」という
ほどのものではなく、双方泥仕合といってよい。単なる見得、意地の
張り合い。これではまあ、たかが知れている。人として限界状況にあって、
起こったことでもなんでもない。
「唐茄子屋政談」くらいにならないとダメであろう。誓願寺店の大家は
酷すぎる。食うや食わずのお内儀さんから唐茄子屋のなけなしの善意を
むしり取る。これは人非人。打ち壊して然るべきということにはなろう。

因業大家VS.店子という図式は普遍的であり、掘り下げ方が低ければ
もう一つになる。(だからといって「大工調べ」が落語として
つまらないという評価には直結しないが。)

さてさて。難しいが、おもしろい。

ともあれ、もう少し例を引いて考えてみよう。

こんなのは、どうであろうか。
「品川心中」。

「えー、お古いところを、、」
なんといって、円生師匠(6代目)が始めそうな噺であろう。

「品川といえば四宿(ししゅく)なんと申しまして、
江戸から一つ目の宿場。
品川は東海道一つ目の親宿(おやじゅく)。大層栄えましたが、
吉原と並びまして、男性方の遊び場として名高く、吉原を北廓
(ほっかく)、北国(ほっこく)、あるいはただ北。品川を南と呼んだ
んそうでございまして。

品川新宿(しんしゅく)の白木屋におそめという女郎がおりまして、
一時は板頭(いたがしら)まで張っておりましたが、、、」

これは別段、覚えようとした噺ではないが、こんな風に
書き始めたくなってしまう。

今の落語家も演るし、談志家元も演った。
その前だと、円生師(6代目)も演ったし、志ん生師の音もある。

談志家元か円生師(6代目)のものであろうか、私がよい
と思うのは。
長編である。爆笑の一席ものでもないし、人情噺でもないが、
おもしろいし、味わいもある、好きな噺である。
いかにも大看板の師匠が昔の人形町の木造の寄席、夜席のトリで
演りそうな噺ではある。

この噺は「集成」には明治25年(1892年)「下」のみだが
初代三遊亭遊三明治41年(1908年)四代目橘家円蔵のフルの
2バージョンが入っている。
この四代目橘家円蔵師というのが円生師(6代目)の師匠。
四代目円蔵師の「品川心中」は絶品であったといわれている。
(と、いうことなので、基本、三遊の噺であったようである。)

「落語の鑑賞201」(延広真治編)によれば「『井関隆子日記』
天保11年(18440年)2月の条の中に原話と思われる記述がある」
とのこと。(原典を当たっていないので誠に恐縮ではあるが)
この頃の成立といってよいのであろうか。

そうであれば「悪党の世紀」に生まれていた噺ということになる。
最も古い明治25年の初代遊三の速記、その後の円蔵(4代目)から、
ダイレクトに円生(6代目)に伝わっているので概略の筋は
初期のものと今に伝わっているものと変わっていないと、
考えてよいと思われる。

「品川心中」は「悪党の世紀」といっても残忍な殺しや
悲惨な首くくりがあったりする噺ではない。

かいつまんで筋を紹介する。
冒頭に書いたが、品川の女郎のおそめ。
以前は売れていたのだが、年を食って、段々お客も減ってきた。
当時、吉原もそうなのだが紋日(もんぴ)などといって、四季、
季節毎に着物を替える。馴染みのお客は、この着物の費用を
出さされるのである。もちろん紋日その日にもお祝いなので
行かなければいけない。(この日は割増料金まで取った。)
まあ、この頃はとにかく、お金を取る仕組みを作っていたのである。
年を食ってきて、おそめは、客が減りこの紋日のお金が集まらない
のである。
以前はNo.1(板頭)だったのに、、気の強いおそめは、悔しい。
悩む。いっそのこと、死のうかしら。一人で死んだら、金に詰まって
死んだことがバレバレ。心中にしてしまおう。それならば、体面も
保たれる。馴染み帳を繰ってみる。この人はどうか、この人は?
この前お内儀(かみ)さんもらったばかりっていうしね~、、、
ん!。こいつがいいや。天涯孤独。ボーっとしてるし。
この人にキーメタ。
決められた方は災難で。
神田から通ってくる、貸本やの金蔵。
おそめは、手紙を書いて呼び出す。
金蔵は呼び出されて、いそいそとやってくる。
くると、精一杯もてなし、とにかく言い含めて、心中をすることを
承知させる。馬鹿なやつで、おそめに頼まれたので、有頂天にも
なっている。身の回りの物をバッタに売って、といっても
いくらにもならぬが、死装束らしきものと短刀をどこかで
調達してやってくる。
心中の当日も、一件(ひとくだり)ドタバタがあるが、
最終的には、海に身投げということになり、深夜こっそり海側の
庭に出る。庭の戸を開けると、海に向かって桟橋がある。
波がザブーン、ザブーン。上総房州から吹いてくる風が、ザ、ザ、
ザーーー、、、。
桟橋の中ほどまで出てくる。
嫌がる金蔵、、、おそめは必死さも手伝い、
「ほら、お前さん」
と、後ろから金蔵を海に突き落す。ドッボーン。

と、そこへ、店の若い衆が

若「えーおそめさんえ~~~、えー、おそめさんえー。
  あ、おそめさん。こんなことじゃないかと、思ったんすよ。
  番町の旦那が今お見えになって、お金ができたんですよ。
そ「あれまあ、そうなの。じゃあ、死ぬことなんかないんじゃない。
  どうしよう。今、金さんを先に落っことしちゃったのよぉ。」
若「あー、金蔵ですか。いいですよ。あんな奴なら。」
そ「そうかしら。(金ちゃん上がってらっしゃいよ。というギャグ
  がここにはあるのだが、今はわからなくなっているので、
  はぶかれる。)
  金ちゃんねー。いつになるかわかんないけど、きっと私も後から
  いきますから。それまで待っててね。
  しッつれェ~~」

こんな失礼な奴はない。

金蔵。泳げないのだが、、、、ウーン、、、と足を突っ張ったら
足が立った。横になっていただけ。
ご存知の通り、品川の海というのは、遠浅。
膝までっきり。

(全然かいつまんでない?)

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より