9月7日(金)夜〜
さて、引き続き、金曜日。
[ぽん多本家]でカツレツを食い、ぶらぶら歩いて、
再び、パンダ広場。
吉池でも覗いていこうか。まだあいている。
今日、目にとまったのは、穴子。
なんとなく食べたくなった。
中型のもの。
一本、400円弱と安くもないが、
煮穴子にしようか。
3本、買って帰る。
さて、翌日。
煮穴子はこの前もやったし、3本のうち一本は
天ぷらにしようか。
このところ、天ぷらは少しやっていない。
天ぷらにするには穴子だけではもったいない。
他になにか探してみよう。
御徒町、上野方面に出たついでに再び吉池に
寄ってみる。
天ぷらの定番であれば、いか、きす、めごち、あたり。
売り場を探してみると、きすは解凍の輸入もの、タイ産があった。
いかは、冷凍のもんごういかと新いかがある。
新いかというのはすみいかの子供。
江戸前の鮨やではこの時期の風物詩。
大きいものは江戸前天ぷらの大看板であるが、
これはいかにも小さい。
一杯が5cmあるかないか。
さばいたら半分。
にぎりの鮨にしても、にぎり一つに三杯もつけねばならぬ
くらいであろう。
とても天ぷらにはできない。
ん!。
白魚がある。
時季が違うような気もするが、買ってみるか。
天ぷらの種としては季節ものだが、定番である。
おろし用の大根も買って帰宅。
夕方、作り始める。
穴子。
白魚ときす。
白魚は茨城産。
今はもちろん獲れないが、白魚といえば江戸前の看板魚であった。
家康の好物であったともいい、佃の漁師達は毎年
将軍家に献上していた。
時季は、暮れから春先の寒い時分。
黙阿弥の「三人吉三」大川端の名台詞。
月も朧(おぼろ)に 白魚の
篝(かがり)も霞(かす)む 春の空〜
この春は、初春、旧歴の年始の頃。
篝火を焚いて夜から朝であろうか、四手網で獲っていた。
調べてみると、茨城の白魚漁(霞ヶ浦、北浦)は8月から
既に始まっていた。
(漁期は8月から12月のよう。隅田川河口の白魚漁は産卵のために
集まってくるのを獲っていたようである。今の茨城の白魚漁は
産卵期を避けているのかもしれない。)
穴子はこんな感じ。
この内一本は天ぷら用。
どちらにしても、塩でもんでぬめりを取る。
ぬめりは生ぐさくなるのを防ぐため。
煮穴子では必須だが、天ぷらでもやはりやるべきであろう。
触ってぬめりと、においもかぎながら、
塩をし、もみ、洗う。
6〜7回であろうか、完全にぬめりがなくなり、
生ぐささがなくなるまで。
一本を半身に切りさらに横に半分に切る。
天ぷら用は冷蔵庫に入れて置き、煮穴子用のものを圧力鍋に。
酒、水、薄く、しょうゆ、砂糖。
煮立ててふたをする。
加圧。圧があがったところで弱火にし、5分。
火を消して、放置調理。
これはこのまま置いておく。
さて。
食べる時刻に合わせて天ぷらの準備開始。
揚げ鍋に胡麻油。
ストックがなくなっていたので、新規のもの。
予熱をしておく。
玉子を二個割りほぐし、氷を二つばかり入れておく。
これが玉子水。
内儀(かみ)さんに大根おろしと皿、紙、天つゆの
用意を依頼。
順番はきすからかな。
粉は市販の天ぷら粉。
両面にまぶしておく。
予熱をして止めておいた揚げ鍋に再点火。
玉子水とは別の器に衣の用意。
玉子水を入れ、てんぷら粉を薄めに溶く。
粉をまぶしたきすの尻尾を持って、衣の容器を両面
泳がせる。
衣を油にたらし、油温の確認。
OK。よい加減に上がっている。
二匹投入。
6枚、どんどん揚げる。
揚がったものから、一度座って、食べる。
まあ、無難に揚がってはいる。
少し食べて、すぐに白魚にかかる。
一気に揚げないと、つづかないのである。
つづく