引き続き、純東京風おでん池之端の[多古久]。
昨日は東京のおでんについて長々ゴタクを書いてしまったが、
この店のことではいろいろ書きたいことがある。
書いていくと切りがないのだが、
先日、五反田花柳界のことをちょと調べて書いてみた。
なん度か書いているが、ここも花柳界。
「下谷本郷」というような名前で花柳界研究の論文の類には
出てくる。
以前書いたものを引いてみる。
下谷花柳界の最盛期は戦前、大正期。
1922年(大正11年)で料亭28、待合108、芸妓屋231。
当時、新橋がN0.1、次が江戸正統の柳橋、その次が
相場師達でにぎわった、芳町(人形町)。
その次、4番目が、この下谷、で、あった。
都内でも有数の花柳界である。
が、戦後は復活せず、1960年(昭和35年)には
料亭待合組合員数が4軒となっていた。
(数字出典は加藤政洋 2005年)
[多古久]はこの花柳界全盛の頃に店を開いている。
一般には明治以降の、二業地、三業地と指定された花柳界には
その成立からいくつかに類型化できるようである。
そのうち、江戸期から続くのは吉原、品川などの旧遊郭※、芝居町、
寺社門前、岡場所。
こんな感じであろうか。
芝居町というのは葭町(よしちょう)。
今の人形町付近で古くは浅草へ移転する明暦まで吉原遊郭もあったが、
その後、幕末近い天保まで歌舞伎の二座があり、その周辺に芝居茶屋が栄え、
さらにこのあたりは役者買いなどというが若い役者など出る、
陰間(かげま)茶屋などもあった。
寺社門前は文字通り寺社の門前。
最初は文字通り門前の茶店などであったのであろうが、
茶店は女の子を置くようになり、料理やもでき、
女の子をお金を払えば連れ出せるようになる、といった形。
岡場所というのは、完全な私娼窟といってよいのか。
どこということなく、山手から下町まで江戸中にあったもの。
この類型で下谷は寺社門前と岡場所の合体といえようか。
また、上野(当時は下谷)広小路は、平時は両国などと
並んで屋台店、小屋掛けの見世物その他が店を出す
盛り場であったわけである。
上野の岡場所というとケコロなどといって、鬼平などにも
出てくる。(伊三次が死ぬシリーズなどに登場するところ。)
これは上野山下(今の上野駅前広場から昭和通り)あたり。
その他にもこの付近に数か所、やはり上野の坊さん相手の陰間も
あったようである。
または池之端。不忍池の文字通り池之端には、江戸から続き、
今でも残るうなぎやの[伊豆栄]、蕎麦やの[蓮玉庵]などあるが、
春夏秋冬、風光明媚で夏は不忍池の蓮にちなんだ蓮飯なんというのが
名物であったと大田蜀山人先生も書いている。
こういう料理やの座敷にも女の子が出入りしていた、のかもしれない。
実態はよくわからないのだが。
江戸の地図
池之端の不忍池と反対側。
池之端仲町の[多古久]のある通りは、今は夜になると
客引きがあふれる、いかがわしさでいえば、かなりのレベルだが
当時小間物などの高級品を扱う店、老舗の薬やなど、小体だが
どちらかといえば格の高い店が軒を連ねていた。
こういう店に混じって、男女の密会に使われたといういわゆる出会茶屋、
明治以降の貸座敷、待合にあたる、部屋貸商売があったのかもしれぬ。
池之端の出合茶屋は池波先生も作品によく使われているが、
これも実態はよくわからない。
ただ、上の地図にあるように、下谷花柳界の中心であった
天神下あたりの半分は江戸期には武家屋敷でここが開けるのは明治以降。
また、広小路の東側。
今のヨドバシカメラやABAB、アメ横、あるいは、
摩利支天徳大寺がある、あの一画も広小路側の表通りは
松坂屋のような大店、大きな老舗料理や、裏側は
岡場所があったり、長屋があったり、湯やがあったり、、。
なのだと思うのだが、実際にどんなことであったのか、
よくわからない。
広小路の盛り場隣接地で、ノーマルな町屋ではなかったとは
思うのだが。(ここ「吉原綺談」なんという落語に出てきて
やくざ者が住んでいたりする。)
と、いうような具合で実際のところよくわからないのだが、
分散し、業態も様々なものが混在していたのではなかろうか。
とにもかくも、明治になってこれが意図的にまとめられて
「下谷本郷」の花柳界として広小路の西側、湯島天神下に
できた、ということであろう。
下谷花柳界の雰囲気は、数少ないが、毎度書いている
とんかつやの[井泉]などの座敷に残っている。
ちょっと、話しが飛んでしまった。
おでんやの[多古久]であった。
ここには看板娘というのか、高齢のおかあさんがいらっしゃった。
晩年、夜も遅い時刻になるとおでん鍋の前で、こっくりこっくりと
舟を漕いでいる姿を憶えている。
2012年に亡くなっているが、80代だったのか90代だったのか。
おそらくここが花柳界であった頃をご存知で、
なんとなく、そんなあだっぽい雰囲気をお持ちであった。
今は背格好も顔もそっくりで、真っ白な髪になった
娘さんが、最初に書いた女将さんで、おでん鍋の前に座っている。
たこぶつ。
お酒をもう一本。
おでん二回目は、串のもので、ねぎまと、牡蠣。
それからがんもどき。
ねぎまは、ねぎとまぐろ。
牡蠣もねぎとの串。
しょうゆ味によく合うし、おでんとしては、おつなもの。
白菜めんたい。
角にある銅のおでん鍋。
(右側に見える丸い部分にお銚子を入れてお燗をつける。)
開店30分程度で満席。
若い人の顔もみえて、人気のよう。
ご馳走様でした。
台東区上野2−11−8 長谷川ビル1F
03-3831-5088
※品川は正確には宿場だが黙認という形の公許の宿場女郎を置き、
江戸から一つ目の宿場である品川、新宿、千住、板橋の四宿は遊郭として
定義してよろしかろう。