浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



どぜう丸鍋

dancyotei2009-05-03



4月26日(日)午後


今日も天気がよいし、暖かい。


と、どぜう、で、ある。
これも、この季節になると、食べたくなってくる。


拙亭からも目と鼻の先の、駒形のどぜうや
へ、いってみてもよいのだが、日曜日のここは、観光客の行列。


買ってきて、家でやろう。


いつも必ず、泥鰌を売っているのは、やっぱり吉池。
小さいのと、大きいのと、両方あり、丸鍋にはやはり
大きい方、200g、600円分を購入。
(値段はどちらも同じ。)


(私は、泥鰌(どじょう)を、どぜう、と表記している。
これは先の駒形の泥鰌料理や、駒形どぜう、の店名から、
で、ある。なんとなく、料理の名前は、どぜう、と、書くのが
ぴったりくる。
どぜう、と、いう表記は、江戸の頃、文化3年(1806年)、
この店が、始めたものという。
旧仮名使い、なのかというと、そうでもない。
旧仮名では、どじ(ぢ)やう、が、正解。
それを、どぜう、と書いたのは、三文字がよい、という、
見た目、デザイン的なものが大きかろう。
(奇数文字の方が縁起がよいと、彼らのHPには書かれている。)


実際、どじ(ぢ)やう、より、どぜう、の方が、すっきりしてよい。
その後、どぜう、の表記は江戸の他の店にも広がっていった。
それで、今でも、下町を中心にある、東京のどぜうや、は、
この表記をしている。)




帰宅。


泥鰌、と、いうのは、どうしたわけか、昔から、生きたままで
売られている。


洗おうと思い、流しの洗い桶に水を張り、
ざるに入れて、放してみる。





あばれまわり、元気がよい。



洗う、と、いうよりも、遊んでいるよう、で、ある。


どもあれ。


どぜう、というと、開いた柳川、などもあるが、
むろん、丸のまま、酒としょうゆで煮る、丸鍋
駒形、などでもそうだが、やっぱり、定番はこれ。


子供の頃などは、あまり得意ではなかったが、
最近の泥鰌はあまり泥くさくなくなった、ということもあろう、
三十をすぎる頃からは、丸鍋、一本槍、で、ある。
うまい。


どうするか。
やっぱり七輪、か。
七輪を部屋の中に入れてもいいが、この陽気、で、あるから、
ベランダでやろうか。


まず、先に炭を熾し、七輪へ入れ、扇風機をあて、
カンカンにしておく。


下拵え。


どぜうや、では、どうしているのか、わからぬが、
一般に泥鰌というのは、ご存じ、酒で煮る。


味噌汁(どぜう汁)に、する場合も最初にこれをする。


思い出した。
またまた、余談だが、泥鰌(どぜう)は、落語にも出てくる。


やはり、昔から、江戸東京の庶民には、馴染みの深い
食い物、だったのであろう。『小言念仏』、
名前だけが出てくるだけだが『居酒屋』。
どちらも先代金馬師で、爆笑噺、で、ある。


『小言念仏』では、長屋に泥鰌売りがきて、これを買って、
鍋に入れ、骨が柔らかくなるから酒を入ろ。
火にかけ、あばれるから、ふたをしろ。ゴトゴトいうだろ、苦しんでんだ、
おもしろいだろ。(しばらくすると)静かになる、ふた取ってみろ。
死んじゃった、ざまぁ〜みろ、、、。


と、いった感じ。ここはこの噺の聞きどころ、でもあるが、
作る情景を細かく描写している。


酒を入れると骨が軟らかくなる、というのは、
真偽のほどはわからぬが、私も子供の頃から聞いている。


ふたのある鍋を用意。


元気がよいので、すぐにふたをしないと、はねてしまう。


酒を先に入れ、泥鰌の入っているざるを持ち、
鍋に入れ、さっと、ふたをし、ここで火をつける。
ふたは、手で押さえたまま。
これでも、まだ、あばれている。


・・・。



静かになった。


ふたを取る。OK。


酒をしょうゆを入れ、軽く煮たて、ここまでで
あとは七輪。


煮ていくと、煮詰まるので、
継ぎ足し用の、ちょっと薄めにした割り下も、合わせておく。


丸鍋に、欠かせないのは、なんといっても山盛りの、ねぎ。
駒形などでも、木箱に入れて、しこたま出てくる。


すぐに煮えるように、薄く小口切りにしなければならないが、
これがなかなか、面倒、で、ある。
一本分切っても、意外にたいした量にならない。
二本いっぺんに刻む、という技を使えば、
少しは速くはなる。


しかし、どぜうや、の、ねぎの使う量というのは、きっと
莫大であろう。(刻むのは、器械かもしれぬが。)


七輪で食べるのは、ステンレスの小鍋。
200g分、全部では多いので、半分に分けておく。


準備、OK。


取り皿も含めて、すべてをベランダへ移動。
そうそう、七味に、ビールも忘れてはいけない。


もう一度、扇風機をあてて、火を強め、鍋を置く。





煮立ってきたところで、ねぎ。





この写真、あまりうまそうでない。
いや、どぜう、というのは、火を通すと、
こんな感じで、お世辞にもうまそうに、見えない、のである。


ねぎが煮えたら、取り皿に取り、七味をかけて、
食う。


ビールを呑む。


どぜう、を、食う。


ビールを呑む。


どぜうを、ねぎを、食う。


食う、食う、食う。


うまい、うまい、うまい。


ねぎがなくなり、切り足す。


一鍋終わり、残りの半分に。


200gというのは、どうであろうか、
どぜうやの、一鍋(ひとなべ)の、四倍以上はあるだろう。


どぜうも、しこたま。


どぜうや、では、安くもないので、普段、二鍋くらいしか
食べないのだが、おもいっ切り食べたいと、今日は200g
買ってみたのである。


しかしまあ、うまい、うまいといいながら、
完食。



風薫る今、やはり、どぜうの季節、で、ある。