このところ、ずっと読んでいたのだが
文庫で全六巻、やっと読み終わった。
明治25年生まれで、池波先生などよりは、一世代上の時代小説家、
ということになる。
時代小説としては新撰組を新政府側ではなく、生き残りの隊士に取材し、
彼らの側に立って、新解釈した先駆けであり、
今では新撰組ものの古典でもある、「新撰組始末記」「新選組遺聞」
「新選組物語」の新撰組三部作。
そして、この「勝海舟」、勝新太郎で有名な「座頭市」の
原作、あたりが有名どころであろうか。
さて、この「勝海舟」であるが、まず、
なぜ「勝海舟」を読んだのか、である。
子母澤寛に興味も持った、というのもあるが、
やはり、勝海舟という人物そのものをもう一度みてみたい、
と、思ったのである。
勝海舟。勝麟太郎、勝安房守義邦、維新後は勝安芳(やすよし)。
文政6年1823年、江戸、本所の生まれ。
出生については、一度、そこそこ詳しく書いている、ご参照されたい。
墨田区役所前に銅像が建っている。
なるほど、墨田区の生んだ、偉人、で、あるが、
この時も、書いているが、勝海舟って、なにした人?
と、聞かれると、歴史的に最も大きな功績は江戸無血開城であろう。
しかし、江戸無血開城、というのがそんなに偉かったのか、
と、いわれると、なんとなくピンとこなかった。
この人の、人生最大の晴れ舞台であり、歴史に最大の
足跡を残したのは、幕末、大政奉還後の数年。
わかりやすい表現をするとは、徳川幕府、幕引き内閣の首相、である。
慶喜が京都で大政奉還をし、江戸に戻り、上野の山に恭順謹慎。
陸軍軍事総裁、後に、陸海を束ねる軍事総裁となり、旧幕府の全責任を負った。
この時、旗本御家人の面倒をみ、まとめ、官軍に
対しては旧幕府の全権代表として、交渉にあたった。
まあ、まとめると、そういうことなのだが、歴史的評価として
これが偉かったのか、と、いうことなのであろう。
当時、幕府でこうした役をこなせるのは、勝安房守一人しかいなかった。
これは、おそらく間違いなかったことであろう。
しかし、本人もやりたくてやったわけではないだろう。
慶喜をはじめ、皆に押されて、仕方なくやった。
薩長など倒幕勢力、後の官軍にも広く人脈を持ち、
咸臨丸で渡米もしており、開明思想を持ち、当時の先端知識もある。
また、剣も直心影流の免許皆伝。
また、生まれは最下級であるが、一応、旗本である。
敗戦内閣としては、大名ではだめで、徳川家直属の家臣、
いわゆる直参旗本である必要があったようだ。
仮に、こうした力量の人がいなかったら、どうなったか、
で、ある。
勝海舟の無血開城の功績を吟味するために考えてみたい。
官軍に対して、旧幕府は、徹底抗戦、と、いうシナリオ。
英、仏などの、干渉。どちらも、彼らに借金をし、
挙句の果ては、当時の清国のように、横浜、神戸、長崎、函館の
どこか、あるいは、全部を租借地として、割譲。
内戦状態であるから、江戸をはじめ、各都市、ことに東日本は荒れ、
戦死者も多く出て、人心は乱れ、田畑も荒廃、国として、疲弊。
我が物顔に、英、仏、米、露などが入り込み、不平等条約による
搾取、収奪が続く。それにつるむ、悪徳政治家、軍閥。
なん十年後かに、革命でも起きていた、で、あろうか。
まあ、勝海舟一人が、いなくとも、こうはならなかったであろう。
大久保、西郷、木戸、などなど、官軍、明治新政府のお歴々も
やはり、偉かったのは確か、で、あろう。
ちょっと、余談である。
こうして別のシナリオを考えてみるのは、おもしろい。
こんなシナリオはどうだろうか。
仮に、旧幕軍は徹底抗戦をし、ある程度勝利する。
具体的には、海軍を大坂に回し、大坂、京都を再度押さえ
朝議を変え、錦の御旗を奪い返す。
よいところで、旧幕、薩長連立政権を条件に、休戦。
この辺のタイミングと薩長との駆け引きが大問題であろう。
双方が欧米列強に介入させないようにすることも大切である。
勝海舟ならできたであろうか?
小栗上野介がもう少し、頭が柔らかければ、、?
明治天皇を、江戸に迎えて、薩長旧幕府、連立新政府ができる。
(幕末、土佐など佐幕派が唱えた構想、で、ある。)
まあ、これでも歴史はあまり変わっていなかったかもしれないが、
東京が、もう少し、違う感じの都市になっていたかもしれない。
(いや、こんなことを考えるよりも、第二次世界大戦に
日本が、連合国についていたら、というシナリオの方が
現代日本への影響は、大きいかもしれない。)
閑話休題。
この作品の中で勝海舟は、とにかく、魅力的に描かれている。
本所生まれの貧乏旗本。父、小吉譲りの伝法な物言い。剣も強い。
だが、涙もろく、子煩悩。信義に厚い。かとおもうと、皮肉屋で頑固。
こうと思うと、てこでも動かない。
むろん頭もよい。人を見る目も、鋭い。
坂本竜馬は有名だが、幕臣、薩長その他、を問わず、様々な
血の気の多い幕末の若者達が彼のもとに集まってくる。
門人といわれる人も多い。
実際に、魅力のある人だったのであろう。
長崎に幕府の海軍伝習所時代、5年間、いた。
作品では、比較的丁寧に書いてあるが、この間に、お久さん、という
愛人もできたり、四十を過ぎても、お仲さんという京都の娘、
なども妾として、登場する。
まあ、女性にも、もてたのであろう。
(残っている長崎時代の写真などを見ると、見た目も
なるほど、粋で苦みばしった、いい男、で、ある。)
すべてをひっくるめて、江戸人、東京人の知識階級の男として、
かなり、かっこいい人生、のように思われる。
海舟自身は、明治32年まで生きているが、
作品としては、彼の後半生、函館戦争なども含めて、
維新後は描かれていない。
読後感としては、筆者は、まず文体に慣れるのに時間がかかった。
これは、池波先生の文体に慣れていた、だけではないかもしれない。
海舟は筆まめで幕府上層部への建白書の類、手紙類、
日記、その他、膨大な文章を残しているようである。
その実際の文面なのかどうかはわからぬが、作品には多く
引用されている。
己(おのれ)の素養のなさを恥じるが、これが、
当時の武士の書き言葉である漢文調で書かれており
読めない。もしくは読みずらいことおびただしい。
白状すると、段々読み飛ばすようになっていったりしたのである。
また、ドラマにもなっているので、ご存知の方もおられようが
『〜でんしょう。』という海舟独特の言葉遣い、で、ある。
これも、実際のところ、読みにくかった。
筆者の知っている江戸弁でもなく、よく時代小説に書かれる
武士の言葉でもなく慣れるのに時間がかかるもとであった。
(長編のため、作品の途中で口調が変わっていたりするようにも
感じたのだが、気のせいだろうか。)
海舟自身の口調が書かれている、という「氷川清話」を
読んでいないので、なんともいえないのだが、
庶民の使う江戸弁とは別に、代々江戸に住む
幕臣などの使う江戸弁、というのもあった、という話は
聞いたことがあるが、実際にどんなものであったのか、
「氷川清話」も是非読んでみなくてはなるまい。
最後に、子母澤寛のこと。
冒頭に書いた、新撰組をはじめ、この勝海舟をはじめ、
幕末物は随分書いているのだが、対照的に、
ご存知の座頭市のような股旅もの、というのか、侠客もの、
というのか、そんなジャンルも書いている。
(それ以外に、国定忠治、などというものも書いている。)
どちらがこの人の本領なのか、疑問であった。
子母澤寛の出身は北海道、で、新聞記者をしていた、
というのは知っていたのだが、なんと、お祖父さんが元幕臣で、
函館戦争の生き残り、であったというのが、今回わかったのである。
なぜ新撰組やら、勝海舟やら、幕府側からの幕末維新を書いたのか、
そういうルーツも持っていれば、なるほど、書くであろう。
よくわかった。
勝海舟にしても、子母澤寛にしても、もう少し
掘り下げたくなってきた。