浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



土用の丑の日〜落語・鰻の幇間(たいこ)

8月になった。
やっと、関東甲信越の梅雨明けも発表されたようである。


気が付かないうちに月曜日、7/30、土用の丑の日も過ぎてしまった。


そういえば、土曜日は、隅田川の花火大会であったのだが、
これもここに書くのを、忘れてしまっていた。


隅田川の花火大会は、毎年のことであるが、筆者らは、拙亭のある
マンションから、前の路地に降りて、路地から見る。
ちょうど、厩橋の第二会場の真西にあたり、多少ビルの影になるのだが、
路地に降りれば見える。
下に、シートをなぞを敷いて店を広げて見ている人などもいるが、
筆者らは、(筆者は浴衣を着て)、缶ビール片手に立って見ている。


丑の日。うなぎ、で、ある。


なんとなく、いつも丑の日のうなぎ、といえば、
落語・「鰻の幇間(たいこ)」を思い出す。
この噺の季節がこの時期、ということだからであろう。


この噺については一度、はてな版落語案内に、
詳しく書いたことがあった。





この噺といえば、八代目桂文楽師匠。
他に演(や)る人はあったのかも知れぬが、
やはり、文楽師以外にはありえない、噺であると思われる。


お客を取り巻こうとした幇間(たいこもち)の一八(いっぱち)が
鰻屋の二階で残され、逆にその客に食い逃げをされてしまう。


逃げられた、というのがわかってから、鰻屋の小女(こおんな)相手に
鰻のことから、店のことから延々と、文句をいう。
これが、ほとんど独りで一方的に早口で機関銃のように
喋る、だけなのだが、これが文楽師匠の独断場。傑作なのである。


本当に、筆者は、なん度聞いても抱腹絶倒。
とにかくおかしい。


試みに、また少し書き出してみる。



「うなぎ屋の新香なんて、乙に食わすもんだ。


え?なんだい、このワタ沢山(たくさん)のきゅうり。


こんなもん、キリギリスだって食やぁしないよ!


この、また、奈良漬をよくこう、薄く切れるね、え?



・・・・



また、この、猪口(ちょこ)が勘弁ならねえ。え?


客が二人でしょ!


二つ違ってるのがおかしい、じゃない。


え?それも、こっちが、伊万里(いまり)で、


こっちが九谷(くたに)だってのなら、いいよ。乙なもんだ。え?


この猪口を見ろ!マルに天の字としてあらぁ、


これ、天ぷら屋でもらったんだろ。え?


君ね、うなぎ屋で、君、天ぷら屋でもらった猪口を使って、、、


よろこんで、、え?、君、頭が働かな過ぎら、え?」




先ほど、文句、と、書いたが、言葉を代えると、これ、
いわゆる、小言、で、ある。
噺の中でも、「ここの家は、小言の山だ!」と一八も
いっている。


小言なのである。


同じ落語でも「小言幸兵衛」なんという噺も、ある。
幸兵衛という家主が、長屋を借りにきた人間に小言をいう、噺。
(実際のこの噺のテーマは、そこではなく、その後の
大家の、妄想、イリュージョン、なのであるが。)


どうも、筆者は、この小言が、おもしろい、
と、いうのか、聞いていて、痛快。胸がすく。
そんな感じなのである。


この話を、内儀(かみ)さんにしてみたら、
「江戸の人って、小言が好きなんじゃない?」と、いっていた。


なるほど、そうなのかもしれない。
筆者も、小言が好き。
小言幸兵衛、なのかもしれない。
爺さんになったら、近所の子供に、小言をたれる、
くそジジイになるのだろう、と、自分でも想像できる。


この小言とは、いったいなんであろうか。
内儀さんが「江戸の人?」といっていたが、
(内儀さんは北海道の人間であるが)
小言が好きなのは、確かに、田舎の人ではなく、
街の人間のような気がする。


いい言葉でいうと、ある種の美意識、街のおきて、ルール、
そんなものなのであろう。
(悪くいえば、重箱の隅を突付く、と、いうことになるのであろう。)


東京というところは、意外に今でも
東京だけの、ルールがあったりする。


例えば、駅で電車を待つのに、大阪などへ行けば、
誰も並ばないのに、東京ではきちんと並ぶ。
高速道路の合流なども、東京では、きちんと、一台おきに
交互に合流する。


こんなことも、街である東京だからこそ存在するルール
なのではないかと思っている。
そんなルールが積み重なって、ある程度文化(?)と
呼べるようになっているのが、(これがよい文化かどうかは
別にして)、小言、のような気がするのである。


小言は、社会のルールや美意識の積み重ねであるから、社会が
ある程度しっかりしていないと、存在し得ない。


やはり、筆者は小言爺さんになりたいし、
また、東京の街がいつになってもそれを聞いてもらえる
社会であってほしいと思うのである。