浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その23

さて、ここでちょいと、休憩。一つ、思い出したことがあった。 深く考えたことでもないので、読み飛ばしていただきたいのであるが、この円朝師のことから、亡くなった永六輔さんのことを思い出したのである。 永六輔さんとは、もちろん坂本九の名曲「上を向…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その22

引き続き、円朝師。 須田先生の「三遊亭円朝と民衆世界」。 円朝の代表作「怪談牡丹灯籠」の考察部分ではあるが、ほぼ円朝と円朝作品全体の考察、結論といってもよい内容であろう。 円朝の「牡丹灯籠」で描きたかったのは「勧善懲悪と忠義・義理」でこれは江…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その21

連休も今年は通常配信で。 さて。引き続き、三遊亭円朝の「怪談牡丹灯籠」。 作品の解析から寛政の「通人」を経て、文化・文政期の世相「意気」文化が生まれ、そこに寄席と江戸落語が生まれ。落語、寄席はこの「意気」を江戸庶民が学ぶ場所であったと須田先…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その20

幽霊からせしめた百両の問題である。 あらすじで書いたが、円生師(6代目)のCDでは伴蔵の志丈への告白で 「幽霊から百両を取ったというのは、手引きをするものがあって、 あっしが百両の仕事をした。」といっている。 “手引きするもの”と別の者(?)の存在…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その19

三遊亭円朝師が「怪談牡丹灯籠」の初めての出版から亡くなるまでを追ってきた。 さて。ここからは、もう一度、先にあらすじを書いた「真景累ヶ淵」と「怪談牡丹灯籠」についてテキスト、須田先生の「三遊亭円朝と民衆世界」に沿って作品分析と考察を追う。 …

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その18

引き続き、円朝師「牡丹灯籠」速記のこと。 明治17年に「牡丹灯籠」の速記が落語として初めて文字になり発売され高価であるにも関わらず、売れた。ちょっと速記について書いている。 速記というと国会などが思い浮かぶ。今は国会では本会議、予算委員会など…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その17

これで円朝師「真景累ヶ淵」と「怪談牡丹灯籠」のあらすじすべてを書き終わった。 二作のテキストに基づいた詳細な検討、考察はちょっと後に回すとするが、先に私の感想のようなものを書いてみたい。 「累ヶ淵」のところでも書いたが、こんなことでもないと…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その16

引き続き三遊亭円朝作「怪談牡丹灯籠」その2「お札はがし」。 新三郎が死んで葬られた。 こういう話はすぐに広まるもので、気味がわるいので近所の者もいなくなり、白翁堂勇斎(はくおうどうゆうさい)も神田の方に越していく。 伴蔵とおみね。ほとぼりも冷…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その15

引き続き「怪談牡丹灯籠」「お露と新三郎」。やはり、抜群の名作で傑作。詳細に書いている。 新三郎の家。お盆の13日。「夜もよほどふけまして」カラーン、コローンと下駄の音がする。 二人の女が歩いている。先に歩いているのは牡丹の灯篭を下げた30ぐらい…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その14

引き続き、円朝作「怪談牡丹灯籠」。 二つのお話がパラレルに進行する構成だが、そのうちの飯島平左衛門家に奉公をした孝助のストーリーを追っている。 登場人物を整理しよう。・飯島平左衛門…旗本、孝助の親の仇(かたき)。心ひそかに孝助に 討たれてやろ…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その13

三遊亭円朝作「真景累ヶ淵」。 いよいよ、大詰。 尼になっていたお熊の懺悔。この部分だけ、歌丸師のDVD、CDが出ている。 この尼さんは実に、新吉の母が患っていた時に深川から深見新左衛門家へ手伝いにきていたお熊であった。新左衛門の手がついて生ま…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その12

引き続き、円朝作「真景累ヶ淵」。 昨日は「豊志賀の死」まで。なかなかよくできている。怖い、がおもしろい。ストーリーテラーの円朝の面目躍如であろう。 その4「お久殺し」豊志賀の死後、新吉はお久と下総へ駆け落ちする。下総の羽生村。今の常総市羽生…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その11

さて、一週お休みをいただいたが、円朝師。 いよいよ佳境、本題、で、ある。 円朝師の代表作「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」と「怪談牡丹灯籠(かいだんぼたんどうろう)」についてテキストに沿ってみていこう。やはり円朝といえばこの二作品に触れ…

焼きあご塩らー麺 たかはし 上野店

さて、ここ。不覚ながら、知らなかった。 [焼きあご塩らー麺 たかはし]上野店。 開店は16年11月とのこと。2年以上も経っていた。 上野のラーメンランキングを見ていたら、上位にあったのである。 上野に限らないが、東京のラーメン店の数の多さ。新しい店…

上野・とんかつ・とん八亭/田原町・担々麺・阿吽

もう少し、ノーマル版。今日は外食。 3月15日(金)昼 久しぶりに、昼、上野のとんかつや[とん八亭]。 ミシュランピブグルマン。17年に掲載されて、19年版にも入っているのか。 ちょっと職人気質というのであろうか。「ミシュラン」掲載店というと、構えて…

若竹煮

3月14日(木) さて。たけのこ。 吉池の地下で見つけた。 福岡産。 今年、この時、初めて見つけたが小さいもの。二本で500円。あく抜きの米ぬか付き。 これは便利である。 初物のたけのこは柔らかくて、うまい。好きである。 若竹煮にしよう。 福岡というの…

〆鯖

円朝師匠も10回になったので、ちょっと休んで、今日は書いておきたいノーマル版。 3月13日(水) 地元の方はご存知であろうが、浅草には西友※がある。ROXの地下。 出たついでにのぞいてみた。 目に付いたのは、二枚におろした鯖。 西友というのはこの辺り…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その10

円朝師。 明治新政府の意向、寄席管理、民衆啓蒙、に沿って、教導職になり、出世美談「塩原多助一代記」を作り、歌舞伎にもなり、明治天皇の前で口演、修身の教科書にも載る。 自ら落語家は“賤業”などともいい、明治初年には“猥褻”などともいわれていた落語…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その9

ご一新になり、明治初期の新政府の寄席規制。これに伴う、円朝師の素噺への転向などについて書いてきた。 江戸期の寄席や噺そのものが一体どんなものであったのか。“薄暗い”、“猥褻”なんというのがキーワードとして出てくるが、実際の史料は須田先生の研究か…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その8

さて、円朝師の個人史。 明治元年(1868年)となった。「ご一新」。明治維新、で、ある。 ただ、そうはいっても庶民の生活は続き、寄席は毎日幕を開け、円朝も高座に出演続けている。 また引越し。ところは、浅草旅籠町一丁目代地。今も代地町会があるが、柳…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その7

円朝師の個人史を続ける。 師匠の二代目三遊亭円生との確執を越えて芝居噺でさらに売れた。 文久元年(1861年)円朝23歳。浅草の表店(おもてだな)に転居。翌年、寝込んでいた師円生はついに他界。同年、慕っていた兄の玄正(永泉)も亡くなる。 いよいよ、…

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その6

円朝師の人生を須田先生のテキストに沿って振り返っている。 おもしろいし、幕末期の江戸庶民の状況が生に近い形で伝わると思うので、細かく書かせていただいている。 円朝師のティーンエイジ、噺家修行中。17歳、安政2年(1855年)の頃。 円朝師の伝記類に…