浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鰻・炭焼・ひつまぶし・美濃金・神田本店 その1

4544号

4月14日(木)第一食

さて、うなぎ。

それも、関東風の蒲焼ではなく、西の蒸さないもの。
さらに、名古屋周辺のひつまぶし。

昨年一度書いた、末広町のカレー店[モチヅキカレー

の前。

以前から気になっていた[美濃金]というところ。

行ってみようか、と、考えた。

私自身は30代の前半、名古屋に数年転勤で住んでいた
ことがあるので、好きでよく食べていたし、その後も
名古屋に行くと味噌煮込みうどんか、ひつまぶしは
必ず食べていた。
名古屋名物というのはいくつかあるが、この二つは
大好きになった。

今、調べると、ここだけでなく、東京で、あちらの
ひつまぶしを食べさせるところはなん軒かあるよう。

うなぎ蒲焼というのは、東京者の私には蒸したものが
子供の頃から慣れ親しんだ故郷の味なのだが、
蒸さない焼くだけの蒲焼も、十分にうまいと思っている。

蒸す理由は柔らかくする、脂を落とす、などあるのだろうが、
あちらのプロの手に掛かれば、焼いただけのものでも
脂っこくて食べられないなんてことはもちろんないし
別段、カタイと思わせることもない。
むしろ、香ばしく、関東のものにないパリパリした食感には
別のうまさがある。

名古屋周辺では、ひつまぶしだけでなく、普通のうな丼を
食べることも多いと思うが、やはり、ひつまぶしが
最高峰(?)といってよいだろう。

ひつまぶしというのは、四等分して、最初はそのまま、
次は薬味をかけて、その次は出汁をかけてうな茶に、
そして最後は、自分の好きな食べ方でなんといわれる。
だが、お櫃に入った飯に短冊に切ったうなぎ蒲焼を
のせているということと、出汁を掛けて食べるうな茶が
食べられる、この二つが、まあ、ひつまぶし、ということ
であろう。うな茶というのは、関東の蒲焼では味が薄く、
出汁やお茶を掛けると、負けてしまってだめ。名古屋の
蒲焼のたれでなければうな茶はできない。

ともあれ、ひつまぶし、うまいもんである。

[美濃金]の昼営業は15時まで。
13時40分頃到着。

もう完全に春、、いや、もう初夏か。
桜はほぼ終わり、歩道のつつじはもちろん、御徒町公園の
藤が気が付いたら咲き始めている。
もちろんコートはなし、日が出ていれば半袖でも
よいくらい。

特に予約もなくきた。
入ると、ほぼ満席。
奥にカウンターもあるようで、そこへ。

外もかしこまった感じだが、
店内もダークでお洒落な新和風。

ここも外国人観光客もご多聞にもれず見かける。

掛けると、QRコードを読んでアプリから
注文してください、とのこと。
まあ、よいのだが、どこもこれである。

ここのひつまぶしは、肝が入るものと、入らない
ものがある。
値段も一番上が11,950円。

肝入りのものは食べたことがない。

肝入りのノーマルひつまぶし、上6,950円也、に、
してみようか。
肝入りはこの上に特上9,050円也がある。

ビールも。

プレミアムモルツの中瓶。

プレミアムモルツは久しぶりかもしれぬ。

お通しの骨せんべい、それから、キャベツと
キュウリの浅漬けのようなもの。
多少時間が掛かるのであろう。
注文が入ってから焼き始めるのか?。

さて。

待っている間に、呑みながら、ちょっと
考えてみよう、か。

なにかというと、うなぎ蒲焼の歴史。
特に、名古屋食文化圏のうなぎ蒲焼、ひつまぶしの。

うなぎ蒲焼というのは、江戸中期に今のものができた、
と、言われている。

今の開いて甘辛く焼いたもの。
これには、関東で濃口しょうゆが生まれたから、
とよく言われる。

江戸中期というのは、1790年代あたり。
年号でいうと、天明、寛政、享和。
田沼時代の終わりから松平定信寛政の改革のあった頃、
そしてその少し後まで。この後は、文化になる。
この頃に今の蒲焼ができたのは文献にも出てくるようだし、
現存する東京のうなぎやで最古と思われる浅草田原町
[やっこ]の創業は、寛政年間といい、まあ、裏付けて
いるのだろう。

この時代だと、狂歌蜀山人太田南畝先生が代表的な
有名文化人。また化政文化を代表する、戯作者山東京伝
歌舞伎だと作者の鶴屋南北(四世)の頃。
江戸人が、それ以前は上方に対して引け目があったが、
江戸人として誇りを持つようになり始めた頃。

こんな頃である。

開いた蒲焼になる前は、どうだったかというと、
ぶつぶつと切って、串に刺して焼き、山椒味噌を
塗って食べていた、という。
主に屋台である。
これは、池波作品「剣客商売」などにも出てくる。
脂が多く、肉体労働者の食べるもので、決して
品のいいものではなかったよう。
その形が植物の蒲(がま)の穂のようだったので、
蒲焼と呼ばれた。開いて焼いても同じ名前が踏襲された
ということのよう。

また、もう一つ。うなぎというのは専用の包丁を使い、
目打ちといって、目にくぎを刺してさばく。濃口しょうゆの
出現だけでなく、それ以前の形からもわかるよう、
こうしたうなぎを開いてさばく技術ができたから、と
いうのも大きな要因であったよう。

と、ここまでが、まだ、江戸でのこと。
書いている通り、名古屋以西のうなぎ蒲焼の調理法は
東のものと大きく違っている。

あ、きた。

 

つづく

 

美濃金

千代田区外神田6丁目14-3 VORT末広町II1階
03-6806-0328

 

 

 

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南稲荷町・そば・小倉庵

4543号

4月11日(木)第一食

さて。

またまた、そばシリーズ。

いつもよく行っているところではなく、
新規開拓。初めて行くところ。

先日の[志づや]にも近い。
東上野3丁目。
旧町では、やはり同じ南稲荷町


[小倉庵]。

ここも場所を文字で説明しずらい。
永寿病院の一本北の細い通り、永寿の
ワンブロック東。

やはり、ご近所なので前はなん回も通り、
存在は知っていた。
和風だが、きれいな外観なので“趣味そば”系
かと思って、あまり興味を持たなかったのが
正直なところ。

が、今回調べてわかった。
[小倉庵]というのは、数も藪や砂場ほど多くないが
どこかおおもとの店があって、私の分類では老舗暖簾
分け系といってよさそう。
昭和44年(1969年)創業。現ご主人は二代目。
平成22年(2010年)店舗改装を機に、手打ちに
切り替えたとこと。今、さらに石臼挽き。

だが、ご飯ものもあるようなので、町のそばやの顔も
しっかりあるか。

また、昼夜通しでやっているよう。
これも私にはありがたい。

13時半頃到着。

昼の客がまだあり、なかなかにぎわっている。

このあたりも、半分オフィス街。
近所のサラリーマンの支持が強そう。

外観同様、店内も小ぎれいな和風。

あいていたテーブル席に掛ける。

見渡すと、仕事中ではない少し年嵩の女性二人、
ビールなど呑んでいる。

一杯呑んでもよいか、な。

そばは、どうしようか。

ここ、意外に安い。

鴨せいろ、1050円也。

これでいこう。

お酒、ぬる燗。

金婚正宗、ガラスの一合瓶。

金婚正宗というのは、豊島屋酒造というところの酒。
数少ない東京の酒蔵である。

ご存知の方はおられようか。
豊島屋は慶長元年(1596年)神田鎌倉河岸で「酒舗兼立飲み
居酒屋を始めた」とのこと。今年で創業なんと、428年。
鎌倉河岸というのは、今の首都高神田橋ランプあたりの
濠端北側。

余談だが、慶長元年(1596年)創業は凄かろう。
上方から移転してきた店であれば、もっと古いところも
いくつかあるが、江戸で開業し現代まで続いている暖簾
としては、最古ではなかろうか。

ご存知の通り家康が征夷大将軍になるのが慶長8年(1603年)、
関ヶ原の戦いが慶長5年(1600年)で、そのさらに4年前。
つまり江戸開府以前の江戸で店を開いていることになる。
そんなことがあるのか?。

家康が秀吉により関東へ国替えになったのが小田原征伐後。
江戸に入ったのが、天正18年(1590年)のよう。
ここから、江戸の街造りが始まっていると言えようが、
その頃に店を開いているということになる。

槌音が響く、石を運び木を削り、人々が汗をして働いている。
そんな人々に酒を出していたのであろう。
まさに、江戸の酒やとすれば、草分け中の草分けといって
よろしかろう。

味は、ノーマルな辛口。

鴨せいろもきた。

鶏ではなくもちろんちゃんと鴨肉と脂身、ねぎ。
つゆは、やっぱり、しょうゆの勝ったもの。
このあたりの味。

そばは流石にうまい。
ちょっと太めであろうか。

しっかりした、のどごし。

うまかった。
これで、1050円は安かろう。

翌日、今度はご飯ものも、と思ってまたきた。

玉子丼と冷たいそばのセットというのがあった。
800円也。これも、安い。

きた。

そばは、ざるではなく、丼に無造作に。
つゆと薬味。
お新香に、小皿は天かすのよう。
この天かす、つゆに入れるのか?。
とりあえず、つゆはそのままがよいのでそのまま、
手繰る。

やっぱり、そばがうまい。
これだけで、値打ちがあろう。

余った天かすは玉子丼へぶっかけてみたが、
もう一つ、意味が分からないか。

腹一杯。

ご馳走様でした。

昼ならば、いつもの元浅草[砂場]だが、
通し営業というのもよい。重宝するかもしれぬ。

 

小倉庵

台東区東上野3-6-6
03-3832-7743

 

 

 

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浅草橋・向柳原・手打ちそば・さかき

4542号

4月9日(火)夜

さて。また、そば。
そばシリーズ?。

先日、南稲荷町の[志づや

というところに行ってみたが、私の分類で“趣味そば”
に入るところ。

[さかき]はご近所ではないが、遠くもない。

某サイトで評価3.65。評判は、まあよさそう。

“趣味そば”といっているのは、藪や砂場といった在来、
老舗系でもなく、その暖簾分けの町のそばや、でもない。
手打ち、そば粉にこだわり、等々。
そば前などといって、つまみ、酒も店主の趣味が
色濃く反映されている。

どこかの名のある“趣味そば”、あるいはちゃんとした
和食の修行をされて、開店されているところもあるが、
正直、脱サラ?なのか、そばだけはどこかで習った
のであろうが、それ以外のつまみは素人料理、なんと
いうところもあり、玉石混交、というのも事実であろう。
(まあ、そういうところは淘汰されるのだが。)
そして、有名店といわれるところは、店主がなにか
教祖のようなカリスマになり、お客は信者、なんと
いうところも、、。これでは信者以外のお客にとっては
とても客商売とはいえない。

まあ、そこまでわるく言うこともなく、もちろん、
ミュシュラン掲載店もあり、味もサービスもちゃんと
しているところも多数ある。だが、あまり私とは相性が
よくはない。

なぜか。
まず、そば、というのは、江戸東京の伝統的食文化
である、ということ。
毎度書いているが、歌舞伎 「雪暮夜入谷畦道」。

直侍(なおざむらい)という不良御家人が主人公。
その入谷そばやの場。
河竹黙阿弥作、五代目尾上菊五郎が直侍。
初演は明治初めだが、五代目菊五郎と黙阿弥が、江戸人の
美学を詰め込んだ作品。そばやでどう振る舞えば粋なのか
を見せていた。
台詞だけだが、天ぬき、などの“ぬき”も登場する。
これには、もちろん、店は客にどう対応するのか、
というのも決まっていた。
直侍が店に入ると、店の爺さんに「天(ぷらそば)で
一本つけてくんな」と声を掛ける。
燗酒とそばを同時に頼んでいるのである。
同時に頼むと、店は酒を先に出し、客の酒を呑む
タイミングをみて、そばを出す。
酒にはちょいとしたものだが、そば味噌を出す。

江戸東京でそばを喰うことは江戸東京の大人の男の
スタイルであり文化であった。

私が社会人になって一人でそばやに入るようになった頃、
今から35年、40年前の東京の町のそばやにもまだ、その
雰囲気は残っていた。
それで私は、これは勉強しなければ、と東京の大人の
男の作法が書かれている、池波正太郎作品を一生懸命読む
ことになったのである。江戸落語も然りである。

そばやに限らないが、酒は、常温ではなく、冷(ひや)、
なんというのも、それである。

それが、私が作法を憶えた頃、気が付くと、もはや店からも
客からも、同時進行でなくなっていた。

その最たるところが“趣味そば”ではないかと、私は
思っている。
最初から、老舗系の暖簾でもなく、独自に店を開いたので、
東京のそば食のスタイルを受け継いでいない、と。

まあ、ここに書いているように、今となっては老舗からも
ほぼ消滅しつつあるのを最近とみに感じ、もう諦めざるを
得ないのか、と、考えるようになった。遅まきながら。

ともあれ。

浅草橋[さかき]で、あった。
左衛門橋通りからJRのガードの北側のビルの脇を
西に入ったところ。

今日は夜。7時半頃行ってみた。

意外に狭い店。蕎麦打ちのスペースがあり、奥に
カウンター席とテーブル席。夜だからか、客は三組ほど。
カウンター手前に掛ける。

お酒お燗。燗にお勧めの酒、京丹後市、弥栄鶴、山廃純米。
ぬる燗で。つまみは、三品ののったつまみセットのような
ものを頼む。そばは、後。今は、どこのそばやでも、
こう頼まないと、いけなかろう。

酒がきた。

ここも、酒のみ。お通しはなし。
外のお嬢さんはいるが、調理場はご主人一人のようで、
先の注文があるので遅れます、とのこと。

一杯、二杯呑んでいるとつまみもきた。

酒は、キリっとした辛口。

つまみ三種は、左がちりめんじゃこと山椒の炊き合わせ、
真ん中が穴子煮凝り、右が卯の花

卯の花、煮凝りはうまいのだが、ちりめんじゃこは
山椒の香りがかなり強い。

呑み終りが見えた頃、せいろを頼む。
十割もあるが、ノーマルな二八を。

きた。

薬味はおろしとねぎ。
わさびをつけると、別料金のよう。

お嬢さんは、二八が切れたので、十割です、とのこと。

最初はそばだけで食べてみるが、私にはやっぱり、
どう、というのは、わからない。

そばは、気持ち太目で、白っぽいか。
腰が強く、よい喉ごし。
つゆの濃さはノーマル寄りだが、気持ち薄め?。

そば湯もきた。
ん!?かなり、とろみの強いもの。

これ、もしかすると、両国の[ほそ川]?。
お弟子さんか。

うまかった。

勘定をして、出る。
そばも上々、腰も低く、居心地もよい。
そばやは、もうこういうもの、と、思えばよい、
のであろう。

 

さかき

台東区浅草橋4-10-2 稲垣ビル 1F
03-4285-1192

 

 

 

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帝国ホテル・パークダイナー その2

4541号

引き続き、帝国ホテルのカジュアルレストラン、
パークサイドダイナー。

なのだが、ここでちょっと昔の地図を出してみよう。

以前には明治の地図を出したので

今日は、江戸。

ここは、江戸城至近で大きな大名屋敷のみ。
旗本屋敷すらない。
ただ、山下門の東側は今の銀座で町。
帝国ホテルの一郭は、白川藩阿部家十万石、譜代。
幕末の日米和親条約を結んだ老中阿部正弘は福山藩で
同族でこちらが本家のよう。

現代と比べるとわかりずらいのはこの北側に濠が
外濠から日比谷濠方向に切れ込んでいたこと。
この濠は日比谷濠にはつながっておらず日比谷御門
手前で行き止まり。この濠は埋め立てられ、一部が
日比谷公園になっている。ここに心字池という池と
石垣の一部が残っているが、これは濠の跡ということに
なるのか。

閑話休題

カジュアルとはいえ帝国ホテル、サービスも極上、
メニューも伝統のメニューがある。

Webで席とコースを予約をした。

コースといっても、前菜、メイン、デザートなど
それぞれ選択肢はたくさんある。

次は、スープ。

私のミネストローネ。

内儀さんのコーンスープ。

内儀さんの方は、もらわかったのでわからない。

ミネストローネと書いたが、本日のスープ。

これもかなりうまい。

浮いている小さなサイコロ状のものは、
ボローニャソーセージのよう。

トマト系なのだが、酸味は抑えてあり、とても
飲みやすい。だが、うまみは濃厚。透明感も強いので
コンソメスープのようなベースがあるのかもしれない。
やはり、流石の味。

そして、きた。

マカロニグラタン。

思い描いたような、マカロニグラタン。

フレンチでグラタンというと、オーブンで焼いたもの
のことを指すので、とんでもないものが出てくることがある。
実際、パリのレストランで牡蠣のグラタンといって、牡蠣が
貝の上にのったもののオーブン焼きが出てきてびっくりした
ことがある。

ともあれ。
散らされている緑はパセリか。

海老がまた、きれい。
よくある冷凍ものを解凍したものではなく、
生のもの、なのであろう。
もちろん、ぷりぷり。

チーズがよい加減に溶けて、焦げ目もある。

ただ、チーズの種類までは、私の舌では
断定はできないが。くせが特にないので、
モッツアレラか。

そして、いわゆるホワイトソースが、かなり
うまい。

私なども小麦粉とバターで自作する、ベシャメル
ソースではない?。もしくは、どこかが違う。
これもまた、私の舌ではなにが違うのかさえ判定
できない。
ただ、とてもなめらかなのは、わかる。
粉っぽさがない、というのか。

ただ、エスカルゴで書いたようにバターがたっぷり
というのでもないよう。まったくくどくない、ので
ある。

そして、内儀さんのハンバーグステーキ。

内儀さんによれば、ナイフを入れると、絵に描いたように
ジュワッと、脂が出てきたよう。

一口もらったが、味自体は、びっくりするほど
ではないか。普通にうまいハンバーグ。

デザート。

いちごのショートケーキとコーヒー。

ブルーベリーものっている。
正方形。
シンプルだが、渋い美しさ。

内儀さんのチョコレートサンデー。

ゴーフル?焼き菓子が刺さり、バニラアイス、
チョコレートソース、ナッツなど。

どちらも奇を衒ったものではないのも
特徴かもしれない。
それでよい、のである。

量もちょうどよい。

以上。

帝国ホテル東京の、パークサイドダイナーのコース。

ビールを入れて、二人で16,600円也。

とても、とてもオーソドックスな洋食メニューだが、
中身は流石の帝国ホテル。
ちっとも古くない。今の、うまい洋食。

ご馳走様でした。

 


帝国ホテル・パークサイドダイナー

 

 

 

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帝国ホテル・パークサイドダイナー その1

4540号

4月7日(日)夜

さて。

今日は、内儀(かみ)さんの希望で
帝国ホテルのレストラン、パークサイドダイナー。

ハンバーグが食べたいという。

やはり、日本のハンバーグの元祖というのは
帝国ホテルといってよい、のであろう。

パークサイドダイナーは、もっときてると思ったら、
そうでもないのか。10年も前

ここに書いていないだけなのかもしれぬが。

昨年8月にも帝国ホテルにきているが、パークサイド
ダイナーではなく、 ラ・ブラッセリーの方であった。

パークサイドダイナーの方は、オールデー・ダイニング、
と銘打っているが、実際は24時間営業ではなく、
7時から22時まで。帝国ホテルではカジュアルな
位置付けのレストラン。

ラ・ブラッセリーの方は、クラシックなフランス料理を
中心とするメニュー。伝統のシャリアピンス・テーキは
こちら。(この6月でここは閉店のよう。改装のため、
なのか。わからぬが、伝統のメニューはいずれ、どこかの
レストランで出されるのであろう。)

ついでに、帝国ホテルのレストランはむろん、テナント
も含めると、かなりの数あるのだが、ホテル直営の
いわゆるメインダイニングが、フレンチのレ・セゾン
というところ。
もちろん、ハードルが高そうなので、調べたことも
なかった。今調べて、やはり、ディナーだと、25,000円~。
「素材を厳選し、伝統を踏まえながらも新たな感性を
取り入れて作り上げる料理は驚きと発見の連続です。」
だそう。一度くらい行ってみてもよいか。

ともあれ。

ハンバーグステーキはパークサイドダイナーの方。

Webで予約して、18時。

内儀さんと出る。
銀座線を銀座で降りて、帝国ホテルに向かう。

東京宝塚劇場の前あたりの1階。

入って、名前を言って、案内される。
窓側の四人掛けのテーブル。

アラカルトもあるのだが、
内儀さんが、コースを予約していた。

コースといっても、前菜/スープから二品、
メインから1品。
このメインは、カレーもあればハンバーグもある、
いわゆる定番洋食メニューといった感じ。
そして、デザートから1品。
コーヒーなど飲み物。
これで、Web予約で6,500円也。
頼む料理によって、プラスチャージがある。

私は、エスカルゴと本日のスープ、これは
ミネストローネ。
メインはマカロニグラタン。
ショートケーキ。

内儀さんは、シーフードマリネに
コーンスープ。
ハンバーグステーキ。
チョコレートサンデー。

ビールをもらう。
ここはアサヒの生で、エクストラコールドか熟成。
エクストラコールドを。

エスカルゴ。

テーブルセット。
私はナイフはなくフォークとスプーンだが、
ここのものはこころなしかゴツめな感じがする。

アップ。

帝国ホテルのエスカルゴはやはり看板で、伝統の
一品であろう。
フランスパンの薄いスライス付き。
たっぷりのパセリ入りガーリックバター。
入っているのはマッシュルームとエスカルゴ。
とてもオーソドックスだが、うまい。

これだけのバターのソースだと、くどくなりそうだが、
とても食べやすい。バターだけではないのか、
バターが違うのか。
塩味のバランスもとてもよいのだろう。
やはり、流石のもの。

内儀さんのシーフード。

なかなかの量だったよう。
少しもらったが、これも流石。

ゆでたシーフードのドレッシング和えといった
ものだが、魚介への火の通し方、味のからみ方、
かなり気を使っているのがわかる。

メキシコで定番のセビーチェというやはり魚介の
カクテルを食べたことがある。町のレストランだが、
ゆで汁ごとガラスの器に入れてあるように見えた。
これにタバスコのようなチリソースを混ぜて食べる。
これはちょっと、いただけないと感じたのである。
どうも日本人は魚介に異様にうるさい。

帝国ホテルで調理法を決めているシェフも料理人も
おそらく日本人であろう。洋食、フレンチとはいえ、
日本人の価値観で、一流鮨や同等以上のハイレベルな
材料で、ハイレベルな下拵えをしているはずである。
もちろんフランス人の一流料理人も同様であろうが。


つづく


帝国ホテル・パークサイドダイナー

 

 

 

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浅草弁天山美家古寿司 その2

4539号

引き続き、浅草[弁天山美家古寿司]。

つまみをもらって、にぎり。
昨日は、すみいか、まで。

白身

鯛。

ここの鯛は、湯引き。
湯引きというのは、鱗を取って皮目に熱湯をかけ、急冷する。
これは別段、江戸前に限った手法ではなく、日本全国、
和食に共通して行われるだろう。皮を残した方がうまい。
なぜであろうか。
皮がうまい。皮と身の間に脂がある。そんなところ、で、
あろうか。
やはり、厚切りが特徴だろう。

次は、平目。

これも、ここでは定番。昆布〆。
鯛もここでは、昆布〆にすることもあるが、平目の昆布〆は
まず必ずある。逆に昆布〆でない平目は置くことは、ほとんど
ないかもしれぬ。
もちろん、水分が抜け、昆布のうまみが足される。
また、置くこと自体でうまみが増えるということも
あるのかもしれぬ。

いか、白身ときて、光物。

小肌、から。

子持ちというくらいで、随分大きい。
半身で握っている。
ただ、味はよろしい。
なぜであろうか、小肌というのは、身が薄いのが
うまい、のである。
それで、子供が珍重される。

次は、鯵。

ここの鯵は、軽く〆る。
今は、東京の鮨やで、〆るところはまずない、だろう。
〆るのは、冷蔵設備のなかった頃のものではあるが、
必ずしもそうではない。
鯖も〆るが〆ると、まだ別のうまさが生まれる、というのは
皆さんうなづけることであろう。鯵も同様。
生もうまいが、〆たものもまた、別のうまさがある
のである。

そして、しまあじ

これも厚い。
これに限らないが、サクのものは厚く切ってにぎる。
この店の特徴である。
プリっと、堅めの歯応えと適度な脂ののり。
厚く切るのは昔からのことなのであろう。

次は、鰹。

たたき。
いや、これ、かなりうまい。
たたきだと、生とは違って、多少時間が経った?
ような印象かもしれぬが、左に非ず。
みずみずしさが、堪えられぬ。
鰹というのは、鮮度が命だと思うが、職人の目利きと技
でしか食べられないうまさ。

そして、これ。

なんだと思われようか。
これは、ぶり。美しいではないか。

脂はのっているが、適度でよろしい。
若親方に聞くと、太平洋らしい。

富山のものは今年はやはり、見ないとのこと。
富山湾の漁業が従前に早く戻ってほしい。
だが、若親方もいっていたが、太平洋でも
うまいぶりは獲れる。温暖化で北海道でもたくさん
揚がっているのは周知のことではある。
それはそれで、うまく食べればよい。

次は、海老。

小型の車海老、さいまき海老だが、甘酢に漬けて
あるのがここの江戸前仕事。
そして、内儀(かみ)さんが好きなおぼろを
たっぷりはさんでくれる。

次は、平貝。

やはり、あれば必ず食べたくなる。
貝の中では別格に思うのである。
このサクッとした食感が堪らない。
味も貝らしくない、かもしれぬ。
貝らしい貝は、私はもう一つ、なのである。

ここ数年少なかったのだが、このところ、ここでも
見られるようになってきた。少し持ち直したのか。
調べるとやはり天然ものの漁獲量は減少の一途。
風前の灯火といってよい量のよう。

完全養殖技術の研究開発も進んでいるようだが、
まだ、大きくはなっていないよう。
好物!、是非がんばっていただきたい。

そして、まぐろ。
明日はここ、休みなので、種の数が少なめなのだが、
赤身と赤身のヅケがあるよう。

両方もらった。
赤身。

やっぱり、このぶ厚さ。

ヅケ。

こちらも赤身のヅケなので、やはり、かなり近い。
ともかくも、濃厚なあまみ。

最後は、海苔巻。

干瓢に内儀さん用におぼろ入り。

そして、玉子とおぼろ。

以上。

いつも通り、うまかった、うまかった。

勘定は内儀さんと二人で28,380円也。

ご馳走様でした。

 


弁天山美家古寿司

台東区浅草2-1-16
03-3844-0034

 

 

 

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浅草弁天山美家古寿司 その1

4538号

4月6日(土)夜

さて、ちょっと間があいた、か。

今日は、お馴染み、浅草[弁天山美家古寿司]

月イチではきたいのだが、タイミングが合わなかった。

予約して、18時。

東京の桜は満開。

この浅草、上野界隈も、名にし負う上野公園、隅田公園
むろんのこと、お寺の境内、学校、どこといわず満開。
観光客とみえる白人のおじさんが、お寺の桜が覆う
塀の脇で一人佇んでいたりするのを見ると、やはり
多少の奇妙さもありながら、ちょっと微笑んでしまう。

このところ雨で肌寒い日もあるのだが、今日は花曇り、
と、いうのであろうか、最高気温15.1℃(0時59分)。

日が暮れると、やはり肌寒いので、薄いコートを
羽織って、出る。

馬道伝法院通りの交差点でタクシーを降りて、
向かう。
このあたりも観光客でごった返している。

暖簾をくぐり、ドアを開け、入る。

おや、今日は親方の顔も見える。
このところ、夜は親方の姿はなかったのだが、
珍しい。
親方、若親方に挨拶。
コートやらを預け、若親方の前に掛ける。

カウンターもテーブル席も埋まっている。
やはり、親方の登場はお客が多いからか。

キリンビールでいいですか、と、若親方。

あ、はい。

ビールがきた。

(ちょっとピンボケ)
お通しは、北寄の切れ端の甘酢漬け。


と、こんなものも出してくれた。

なんに見えようか。

はらわた?、あるいはなにかのエラ?。
これ、小肌の玉子だそう。
甘辛に煮含められている。

若親方は、やはり、この時期小肌はもう大きく、
真子白子を持っているのも出てくるという。
それを煮たもの。

小さくて、言われなければ、玉子であることは
わからないが、なかなかうまい。

小肌という魚はもちろん、小肌で食べるのは、
生まれてから1年以内程度。つまり夏まで。
だが、小肌は、さらに大きくなって、鮗(このしろ)に
なり、なん年生きるのであろうか。少なくとも
3年以上は生きるのか。
大きく、コノシロになると江戸前にぎりには使えない。
値段が急落し、未利用魚として問題でもある、という。
大味になるのだが、骨も堅くなるらしい。
かといって無理矢理にぎりしてほしくはない。
なにか手はないものだろうか。

ともあれ。

つまみ。

掛けた目の前のショーケースに、たこ。
このところ、わりに見られるように思う。

江戸前の真蛸。
毎度書いているが、それを江戸前の技で拵えている。

食べたことのない方がいたら、絶対に一度は食べてほしい。
いわゆるゆでだことは色が違うのがお分かりになろうか
より、濃い。赤、ピンクよりも臙脂(えんじ)に近い。

下半分は塩で、上半分は甘いたれ。

元来は甘いたれを掛けることが多かったのであろう。
これもうまいし、そのままの真蛸の味がわかる、
塩もよい。

もう一品。

これも目の前にあって、うまそうだったので
もらった。

蝦蛄(しゃこ)。

わさびだけで、といって出された。

しょうゆ味の出汁に漬けてある。
この出汁感がすごい。
味が付いているので、わさびのみでよい、という
ことであろう。

ゆで具合というのか、しっかりした食感、
歯触りも、よろしい。

鮨やの蝦蛄というのをあまり食べてこなかった
と思うが、このところ、食べている。

蝦蛄というのも江戸前で昔から食べられている
と思うが、改めてうまいものと思う。
ゆでたものが流通していて、それが普通だと
思うが、ここでは、やはり生を買って店でゆでて、
つゆに漬けておく。水分が抜けずパサパサにならない。
そういうことか。

つまみを終えて、にぎりへ。

最初は、例によって、いかと白身

いか、から。

もちろん、すみいか。

目の前にショーケースにあるのを見いても
10cmほどであろうか、むいたもの。
随分と大きい。

だが、やはり、適度な歯応えと柔らかさ、
そして、あまみがちゃんとある。


つづく


弁天山美家古寿司

台東区浅草2-1-16
03-3844-0034

 

 

 

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