浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



神田須田町・鳥すきやき・ぼたん その2

4515号

さて、週をまたいでしまったが、
引き続き、神田須田町の老舗、鳥すき焼き
[ぼたん]。

ここの創業は明治30年(1897)年頃という。

この広間にも絵が掛かっているが、[ぼたん]という屋号は
ちょっと雅であるが、牡丹かと思うと、左に非ず。
この由来がおもしろい。

千代田区によれば、

「ラシャの問屋街で釦(ボタン)を扱っていたために
「ぼたん」を屋号にした、とのこと。

明治期でもこの界隈、連雀町は、江戸から続く神田の青物、
果物市場の北端であった。
微妙なところだが、繊維関係だと、特に古着を扱う店が
軒を連ねていたのが神田川沿いにもう少し東の、俗に
柳原土手と呼ばれていたところ。
今も、浅草橋、横山町に掛けて、繊維、ファッション関係の
問屋が密集しているのはご存知であろう。
連雀町からは若干、距離があると思われるので、ボタンや
であったのは、そちら寄りだったのかもしれぬ。

さて、鳥すき。

煮えてきた。

もも肉のスライスなどももう食べられる。

溶いた玉子に、

くぐらせて、食べる。

ちなみに、玉子はもう一つ付いている。
なにか、これだけで贅沢。

おわかりになろうか、随分と薄く切ってある。

細かい仕事、で、あろう。

肉は、皮、砂肝、レバーなど、もつもある。
こちらも、やはり比較的小さく切ってある。

割り下は、東京スタンダード、甘辛の濃いしょうゆ
なのだが、上品な、気持ち、甘い方向。

うまい、うまい。

それから、やっぱり書いておきたいのが
白滝、で、ある。

むろん、これはしっかり味が染みてから、食べたい。

そして、問題は、細さ。

ここの数軒隣のあんこう鍋の[いせ源]では
かなり細く“特注品”あると自慢していた。

ここのもの[いせ源]ほどではないように見えるが、
十分細い範疇に入るだろう。

細い方が、味が染みるのが早いし、シャキシャキ
として食感もよろしい。

東京風のしょうゆ甘辛鍋に限るかもしれぬが、白滝は、
断然、細いものに軍配をあげる。

そして、ねぎ。
前回書いたように、太く揃って立派なもの。
簡単には煮崩れない。
ただ、逆によく煮るべきである。

まあ、それはよいのだが、焼豆腐も然りなのだが、
むやみと、多い。
こんなに多かった?、もしかして、増やしてない?。
バランスがわるくはないか。
私くらいの年のものには、そんなに、豆腐やねぎばかり
いらぬのだが、いかがであろうか。

肉の量は少なくも、多くもなくちょうどよいのだが。

ねぎと焼豆腐はまだあるのが、肉は片付けた。

ご飯にしよう。

ここは、いくつか選択肢がある。

ただ、白いご飯にお新香でもよいが、
残った肉に、玉子を加えて、親子丼のように
ご飯に掛ける。
肉を食べ切ってしまっていると、肉も足して
くれて、ちゃんとした親子にして食べられる
ようにもしてくれる。

お姐さんを呼んで、せっかくなので肉も足した
正しい親子丼にしてもらうことにする。

お姐さんが作ってくれるのだが、あっ、残っていた、
豆腐とねぎも入れられてしまった。

残さず食べろということか。

いい塩梅に仕上げて、お姐さんは焜炉から鍋を
皿に移すのだが、この動作、早業で、秀逸。

両側の持ち手の部分の下を菜箸二本にのせて持ち上げ、
器用に移動させる。
これ、凄い。
ここに来られた方は、是非お見逃しなく。

お櫃のご飯を飯茶碗に装って、鍋の親子をのせる。

親子丼の出来上がり。

取り皿の小鉢の溶き玉子もかける。

もちろん、これがまずかろうはずがない。

うまい、うまい。

二膳。
結局、豆腐もねぎもすべて腹の中へ。

お茶と、みかん。

みかんは、名前は忘れてしまったが、
ノーマルな温州みかんではなく、甘いちょっと
違う品種であった。

食った、食った。苦しい、、。

勘定は、座敷で。

二人で総合計、20,400円也。

ご馳走様でした。

 

ぼたん

 

 

 

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