浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



御徒町麺屋武蔵武骨(忍川)/そば元浅草砂場

4383号

7月30日(日)第一食

御徒町麺屋武蔵[武骨]

さて、またまた暑いので、つけ麺。

つけ麺といえば、麺屋武蔵武骨]。

で、今日はちょっと界隈のこと。

地図を出してみよう。

現在の住所は、上野6丁目。
旧町だと、仲御徒町2丁目。

御徒町ではなく、仲御徒町
御徒町は、今の昭和通り、旧和泉橋通りの向こう側。
こちら側は、仲御徒町であった。

このあたりご存知であろうか。

基本、東西南北に揃った碁盤の目なのだが、
[武骨]の一本南の東西の通りが、斜めになっている
のに気付かれると思う。

このわけをご存知であろうか。

この斜めには、川が流れていた。
名前は忍川。

どう流れていたか書き入れてみた。

不忍池から流れ、上野広小路の下を通る。
明治23年(1890年)生まれで、このあたりで育った、
五代目古今亭志ん生師は子供の頃、よく不忍池
忍川あたりでトンボのおにやんまを獲ったと
語っていた。

この広小路に掛かっていたのが、三橋という名前の橋。

町名にもなっていたし、今もあるあん蜜の[みはし]
という甘味処に名前が残っている。

広小路の道幅が広いので、橋が三つ。それで三橋。
中央は将軍だけが通ることができた、ともいう。

少し前に、三橋が発掘され、下町資料館脇に
石組みが再現されている。
台東区「よみがえる三橋~上野広小路遺跡三橋遺構展示~」

仲御徒町、和泉橋通り、御徒町を通り、その先は
流れる方向が、二つに分かれ、一つは南、佐竹屋敷から、
三味線堀に、もう一つは東、今の白鴎高校の北を通り、
後に合羽橋通りになる新堀に落ちていた。

閑話休題

麺屋武蔵[武骨]で、あった。

ノーマルなつけ麺。

今は、この濃いつゆが、うまい。


麺屋武蔵武骨


8月1日(火)第一食

そば・元浅草[砂場]

今朝から少し涼しくなった。
午後から雷雨とも。

第一食は、毎度お馴染み、元浅草[砂場]。

書いていないのもあるのだが、たまには
書いておかねば。

ちょうど12時台に大きな雷とともに、雨が降り始めた。

素足に下駄を突っ掛けてビニール傘をさして出る。
東京の雨は久しぶり、か。

雨で急に気温が下がった。

13時すぎ、急な雨のせいかお客が切れていた。

もっと他のものを書かなければいけないのだが、
ここへくると、どうしても、これになって
しまう。

ミニかつ丼ともり。

ミニかつ丼も、もちろんうまいのだが、
やはり、ここのもりそばである。

砂場看板の白い更科系。
これが実にしゃっきり仕上がっている。

よくくっついてしまうそばがあるが、あれは
茹であがりからの時間であろうか。
箸でつまみにくいし、むろん喉ごしもよろしくない。

こうしゃっきりしていると、一箸がつまみやすい。
毎度書いているが、そばをきれいに手繰るには、
一箸分が、とても重要である。

まず、背筋を伸ばし、左手をそば猪口に添える。
持ってしまってもよい。
箸先にほんの少しわさびをつけ、一箸分つまむ。
つゆに先の方だけつけ、一気に啜り込む。
断じて、箸を放し、つゆの中に全部つけてはいけない。
これが東京下町の正しい、きれいなそばの食べ方。
むろん、それだけつゆは濃いわけである。

つまり、一箸は一気に、手繰り込めるだけの量、
長さしかつまんではいけないのである。

うまかった、うまかった。
大満足。

いつもご馳走様です。


03-3841-8001
台東区元浅草1-1-1

 

 

 

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