浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



末広町・御料理・花ぶさ

4292号

3月3日(金)夜

さて、今日は、末広町の和食[花ぶさ]。

コロナ少し前、ここには書いていなかったものも
あるが、かなり久しぶり。

池波レシピ。
作家池波正太郎の行き付け、関係も深かったことで
有名。
私も以前はよくお世話になった。

予約時に、一番安い7,000円の会席を頼む。
この年なので、そうたくさんは食べられない。

またまた、18時、内儀(かみ)さんと店で待ち合わせ。

今日はぶらぶら徒歩で。
休まず歩いても20分程度、ではある。

最寄は銀座線末広町
今の住所は千代田区外神田6丁目。
末広町交差点の3ブロック北西。
中央通りから一本入った裏通り。

千代田区外神田というのは広い。
神田川の北側、湯島の坂下、ほぼ秋葉原全部、と
思えばよいだろう。
それでも特に、蔵前橋通りの北のこのあたり
台東区に食い込んでいるようにみえる。
妙であろう。

どういうことなのか。江戸の地図を見てみよう。

大きな通りの配置は今と同じなのでわかりやすかろう。
中央通りは、下谷御成街道といっていた。
将軍が菩提寺である寛永寺に墓参りに行くための
道であったから。御成街道に下谷が付いているくらいで、
地域の呼び名としては、江戸の頃から神田ではなく
下谷であろう。

[花ぶさ]の場所らしきところに星印を入れた。
御成街道沿い両側は大きな大名屋敷。黒田、酒井、小笠原の
普代大名。これらに大関、建部屋敷らを加えた、この一角が
そのまま千代田区になっているようなのである。
この東側の下谷長者町などは江戸期から町屋で
これらが、明治になり下谷区で今は台東区になっている。
理由はわからぬが下谷区から見るとなにか
取られたような恰好である。

ともあれ。
[花ぶさ]の開店は戦後昭和39年(1964年)。
池波先生が通われていたのは、先代の頃。
私が行くようになった頃には、先生が亡くなられて
大分たっているし、ここも既に代替わりされていた。

18時到着。
看板などの店名のロゴは池波先生の書。

カウンターもあるが、座敷を予約していた。

二階。畳だが、テーブル席。

ビールをもらって、前菜から。

下の紙に書かれている絵も池波先生のもの。

左、湯呑茶碗のようなもの。
素蒸し、ゆずあんかけ。
茶碗蒸しなのだが、具なし。具なしの茶碗蒸しを
素蒸し、というのは知らなかった。これにゆずの餡が
掛かっているもの。最初に温かい茶碗蒸しを出す、
というのは、冬の割烹、会席料理では定跡かもしれぬ。
寒い時期にはうれしい。
右、豆鉢に入っているのが小さなぶり大根、串はバイ貝。
その右がにしんのうま煮。

お造り。

めじまぐろと鯛。よい脂でみずみずしい中トロがうまい。

お椀。

白いのは、蟹しんじょ、といっていた。

焼き魚。

ぶりの塩焼き。照焼が定番だが塩焼きも、うまい。
おろしに、柑橘はすだち、か。

煮魚。

金目。濃厚、甘辛な味付け。

海老しんじょ。

これは、ここの看板であろう。
どのコースでもほぼ入っている。
先生のお好みでもあった、か。

海老が香ばしい。
そして、うまみにあふれている。

ご飯。

会席らしく、炊き込みご飯。
浅利ご飯。上品。
なめこと豆腐の赤だし。

漬物に塩昆布が入っているものよい。

最後は、これ。

普通は、むろん、果物、水菓子、なのだが、
白玉ぜんざい。
これも、確か、先生がお好きであったと思われる。

甘すぎない。

最近、おしるこ、ぜんざいの類は、そういえば
あまり食べていない。
世の中的にもあまり聞かないものになっている
かもしれない。
だがやはり、よいものである。

おいしかった。

ご馳走様でした。

会計は二人で、18,223円。

久しぶりにきたが、変わらないよさがあった。

 

花ぶさ

東京都千代田区外神田6-15-5
03-3832-5387

 

 

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