浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



そば・元浅草・砂場

4291号

3月2日(木)第一食

さて、ちょいと久しぶり、で、ある。

ご近所、拙亭から最も近い飲食店。
同じ町内会、七軒町のそばや、元浅草[砂場]

第一食が、後ずれしてなかなか行けなかった。

今年に入って、暖簾が新しくなり、五代目、
という文字が入った。
代替わりされたよう。

覗いてみなければ、と、内儀(かみ)さんと
13時少し前、きてみた。

いつもの通り、ミニかつ丼ともりのセット。

やっぱり今、一番食べ慣れているそば。

砂場らしい白く細い。
そして、東京下町浅草らしいしょうゆが勝った
濃いつゆ。

ここちよい喉ごし。

これでなければ、いけない。

かつ丼も、店で揚げているので、肉が厚い。

いつも通り、うまかった。

ご馳走様です。

今日気が付いたのだが、貼り紙。
「かき南蛮そば」。

かきそばというと、これは試してみなければ。
好物。

五代目に代替わりされて、新しい試みを始められたよう。

品書きには、明治32年(1899年)創業と書かれるように
なった。

今年で124年。
そんなに古かったのか。
正直、驚き。
うまい、浅草らしいそばやであるが、顔は、町の
そばやである。

以前、この界隈、浅草七軒町、同北三筋町、同永住町に
またがる一角の大正の頃と思われる、街並みの史料を
紹介したことがある。(「大正・昭和初期の浅草芸能」
伊藤経一(文芸社)2002年)

この地図は明治40年だが、この界隈で育たれた著者が
記憶で書かれた街並みを、私が重ねたもの。
この地図に「そばや」というのはあるが、
著者の方の記憶なので定かではないのかもしれぬ。

この頃には、この店はもう既に開店していた。

「開盛座」という緞帳芝居の劇場があって、ランドマーク。
風呂屋、八百屋、髪結、銀座木村屋の暖簾分けなのか、
パン店。
こんな狭いところにカフェーが二軒も。
むろん、今のカフェではなく、今でいえば、キャバクラ
あたりになるのか。夜、酒の相手をする女性がいる店。
ちょっと大きな鮨や、開業医もあって、天ぷらや、薬や。

今ではちょっと想像できないくらいの賑わいと
いってよいのではなかろうか。

そういえば、もう少し後、昭和に入った頃になるが、
池波先生は、大正末に浅草聖天町で生まれて、この
永住町で錺職をしておられたお祖父様の家で少年時代を
送っている。

な~んとなく、ではあるが、少し街の様子が
想像できそうな気がしてくる。

ともあれ。

3月6日(月)第一食

さっそく、また、かき南蛮を食べにきた。

1,300円也。
ここでは、高価。

これ。

ちょっと、驚き。

アップ。

お分かりになろうか。
あんかけ、なのである。

三つ葉と白髪ねぎ、ゆず。
長く切ったねぎではなく、細く切った白髪ねぎというのは
一つのポイントかもしれぬ。

かきのそばというのは、そうどこのそばやにでもある
というものでもない。上野の某店のものは好きであったが、
あれは確か、かきを炒めていた。
また、閉店をしてしまったが、池之端の[藪蕎麦]にも
あった。あそこのものは、つゆがしょうゆを
控えた、澄ましのようなものであった。

かきのそばは、これ、というものが定まっておらず、
扱いが、なかなか難しいのではなかろうか。

まずこれ、つゆがかなりよい。
かきの出汁が出ているし、もしかすると
ここのノーマルなかけつゆとも違っているのでは
なかろうか。

かきは、5~6個も入っているか。
炒めたりしているのではなく、つゆで煮ているのか。

あんかけなので、熱々。
寒い冬には、なにより、である。

ただ、かきそのものの味。
かきというのは、クセが強い。
こういうもの、といえばその通り、なのだが、
つゆで火を通しただけということか、かきの味が、
ダイレクト。もしかすると、これは好みが分かれる
かもしれない。(まあ、かきがだめな人は、端から
食べなかろうが。)

ともあれ。
うまかった。
ご馳走様でした。

新たな、元浅草[砂場]。
浅草らしい、うまいそばに期待!。

 

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