浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草・そば・尾張屋本店・鍋焼きうどん

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1月18日(月)第一食

さて、月曜日。

多少の凸凹(でこぼこ)はあるが、
寒い毎日が続いている。

今年の寒の入りは5日。
20日大寒

まさに寒中真っ只中。

この冬は、以前のような寒い冬が帰ってきたよう。
この寒さもコロナ禍を加速させているのであろう。

立春が2月3日。

花咲く春まではまだまだ間がある。
今は耐えねばなるまい。

ともあれ、なにを食おう。

こう寒いと、温かい、いや、熱いもの。

そばでもなく、鍋焼きうどん、で、ある。

東京でうどんというと、やはり、鍋焼きうどん
で、あろう。

東京はそば文化であるが、やはり、極寒の頃、
風邪を引いたりすると、鍋焼きうどん。

落語にも「うどん屋」というのがある。
あれは、担い売りの鍋焼きうどん。

そばの担い売りはよく聞くが、果たして本当に
鍋焼きうどんの担い売りが江戸・東京にあったのか。

鍋焼きうどんである。
先代可楽師の音が残っているがおそらく年代としては
最も古い。今戸焼の器で、たいそう流行った、などと
言っている。

今戸焼というのは、浅草の北部、今戸で焼かれていた
素焼きなどの安い器。その土鍋。

先代可楽師は明治30年下谷黒門町の生まれ。
いつ頃のことかは定かではないが、担い売りの
鍋焼きうどんというのは、明治、、大正?の頃には、
あったのであろう。

今も東京のそばやには、多く鍋焼きうどんがある。

決まって、大きな海老天が入っている。
もちろん、つゆは、先日の味噌煮込みではなく、
東京の甘辛のそばやのつゆ。

どこがよかろう。

そうだ。
雷門通りの[尾張屋]。

もちろん、そばやだが、天丼は看板だし、きしめんなども
置いている。鍋焼きもきっとあるであろう。

鍋焼きうどんで一杯。

あそこならば、昼から一杯やっても
場違いではなかろう。

1時すぎ、着込んで自転車で出る。

尾張屋]到着。

歩道のガードレール前に自転車をとめる。
店前のショーケースで鍋焼きうどんを確認。

自動ドアを開けて入る。

一人。

こんな時期でもあり、この時刻、もうだいぶ人は引けている。

壁側の真ん中へ、と。

おお、珍しい。
ここがあいているのは。

ここは元祖断腸亭、永井荷風先生の指定席。
この席の後ろの壁には、先生の写真が今も置かれている。

お酒お燗と、鍋焼きうどん。

熱燗ですか、などと野暮なことは聞かないのがよい。
かわりに、大関でいいですか?と聞く。

はい。
ここは大関の一合ガラス瓶。

酒がくる。
一杯呑む、適温、上燗。

そう。
いわなくとも、お燗といえば、ぬる燗でも熱燗でもない
適温。なんで、この習慣がなくなっていくのであろうか。
まったくもって、なんたることか!。
憤懣やるかたない。
熱くもなく、ぬるくもない、普通でよいのである。
くどいようだが、皆さん、お客も、お店も、熱燗が
燗酒の代名詞ではない!。
お燗、といって、グズグズいわれないで、
適温が出てきてほしい。

お兄さんが熱そうに、ふつふつ煮立って
半分ふたがされた鍋焼きを持ってくる。

これが[尾張屋]の鍋焼きうどん。

アップ。

のっているのは、ここ看板の大海老天。
そして、ねぎ、たけのこ、麩、真ん中にあるのは
玉子焼き、厚焼き玉子である。
鍋焼きは生玉子が入るものも多いと思うが、
代わりに玉子焼き。

熱い。

熱いのがいい。
もちろん、あったまる。

フーフー。

フーフー。

ご馳走様。

あったまった。

 

台東区浅草1-7-1
03-3845-4500

 

 

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