浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鯵 煮びたし〜上野・そば・翁庵

引き続き、鯵。



池波作品、鬼平に出てくる鯵の煮びたし
大滝の五郎蔵、おまさ夫婦の本所相生町
夏の食卓である。


本所相生町というのは両国橋を渡り、ちょっと南に下がる。
今は千葉へ行く首都高小松川線が上を走っている竪川がある。
その北側に沿った町で一之橋(一つ目)から二之橋(二つ目)
あたりまでで、一丁目から四丁目まであった。


鬼平に登場するかの軍鶏鍋や[五鉄]は二つ目橋の北詰に
あったことになっているので相生町四丁目であったわけである。
池波先生の設定では、五郎蔵おまさの家も同町の相生町四丁目。
一分以内に行き来のできる距離であろう。


今はこの辺りはまあ静かな住宅街という趣である。
江戸期はもちろん、震災、戦災前までは随分と違っていたと思われる。
両国橋の両側、東西両国は江戸も古くからの盛り場であった。
東両国の回向院では相撲興行なども行われ、その後明治には国技館もできている。
料亭、岡場所等々今では考えられないくらいのにぎわいであった
わけである。


また、その南の竪川沿いは水運もあり、大きな商家が軒を
連ねていた。芝居にもなっている塩原太助。江戸後期の実在の
商人だが、一代で身を起こし炭団(たどん)を発明し、
炭やとして大成功、財を成した。その店がここ相生町であった。


閑話休題


鯵の煮びたしであった。


鯵を白焼きにして、しょうゆで煮るだけ。
まあ、簡単なものである。
簡単であるが、うまい。


そのままでもよいが冷やして置くので、
腹を割いて、はらわたを出す。


ガスのグリルで両面焼く。


大きな鍋にしょうゆ、酒、水少々で伸ばし、煮立て、
アルミホイルで落としぶた。
火は通っているで、軽く煮ればOK。
このまますぐに食べてもよいのだが、煮びたしなので、
このまま、置いておく。


その間に、ちょいと出る。
そばでも食べようか、と、考えたのである。


行先は久しぶりに、上野[翁庵]。


[翁庵]という屋号の蕎麦やはまた、鬼平、剣客、梅安の池波作品には
よく登場する。


江戸にいかにもありそうな蕎麦やの屋号ということであろう。
“庵”というのは長寿庵他、蕎麦やの屋号によくつく。
これは江戸期、そばは寺で振る舞われるものから始まっていることが
あり、寺の一つの建物で〇〇庵。こんなことで“庵”が付くところが
多いらしい。
[翁庵]という屋号の蕎麦やは、私が知っているのは、上野と
神楽坂にある。


どちらも行き付けだが、神楽坂はとんかつをのせたかつそば、
というのが名物。試みに東京23区で他に[翁庵]という蕎麦や
がないかとタウンページで探してみたが、やはりこの二軒だけのよう
である。(浅草に庵がつかない[翁そば]という屋号の店はある。)


上野警察の前、浅草通り沿い。
戦後の建築のようだが、木造の古い一軒家で味がある。


暖簾を分けて入ると右側に帳場。
昼間は、ここで食券を買う。


ここの名物はなんといっても、ねぎせいろ。
せいろのつけ汁に小さなかき揚げが入っている。


ねぎせいろとビール中瓶を。
左側に囲炉裏のようなものがあり、そこに座る。



食券をお姐さんに渡すと、半券を置いていく。
ビールと一緒でいいですか?、とのこと。
ここはあまりなにかつまんで、呑むというところでもない。
一緒でOK。


ビールと枝豆のお通しが先にきて、
ほどなくねぎせいろもきた。



これがねぎせいろ。
つゆに入っているかき揚げは、ねぎといか。


ここにそばをつけて手繰る、わけである。
盛は比較的多めかもしれない。
つゆの味は、下町らしく濃い。


このつけ汁に小さなかき揚げを浮かべるというもの。
室町[砂場]がルーツのはずである。


室町[砂場]ではこれを天もりといっている。


ここのそばは写真をご覧になるとお分かりになるろう、
ちょっと緑がかっているが、ベースは白い更科系といってよいだろう。
砂場も更科系の白いそば粉を使うものを出す。(室町[砂場]は
白いものと黒いものと両方扱っている。)
白いか黒いかは、そばの実の外側に近い部分を一緒に挽くか
どうかで決まる。一般に更科、砂場は白で、藪は黒である。


さらに緑色は藪系で、神田の[藪]は顕著である。
藪の方は外側も一緒に挽いたそば粉を使うため一般には黒っぽい。
なかでも新そばの実の外側は緑色が残っており、それで緑色になる。
新そば以外の時期も緑色の色を付けるのが神田[藪]と
聞いたことがある。


こんなことだと思うのだが、上野[翁庵]のねぎせいろは、
室町[砂場]の天ざると白い蕎麦、それに藪蕎麦の緑と、
なにか二系統が合体しているような。
(更科粉の蕎麦で緑というのは、前記のように理由から考えると、
ちょいと妙ではある。)


ビールを呑みながらそばを手繰り終わり、立つ。


食券で前払いしているので、そのまま、ご馳走様〜と出る。


今、食券制のそばやというのは、立ち喰いを除けば
あまりなかろう。そういえば、私の子供の頃は、町のそばやや
食堂でも流行っているところは食券制は少なくなかったような
気もする。食い逃げ防止ということであったのであろうか。
あるいは、半券を置いていくので、間違い防止という意味もあったかもしれない。


上野駅前&上野警察前の蕎麦や[翁庵]。
町のそばやらしく、かつ丼などご飯ものももちろんある。
上野警察にかつ丼を出前をしていたのであろう。
創業は明治30年ごろのようだが、昭和の香り満載の、よい蕎麦やである。







台東区東上野3丁目39−8
TEL 03-3831-2660