昨日は、二階の二間続きの座敷に入って、注文、
ビールがきて、先付け、肝焼きまで。
そして、うざく。
むろん、うなぎ蒲焼の酢の物のこと。
が、残念。
これ、写真に撮り忘れていた。
申し訳ない。
話に夢中であった。
青い小鉢であったと思うが、きゅうりの薄切りと
うなぎ蒲焼の、酢の物。
酢は気持ち甘めであったか。
う巻きも頼もうかと思ったが、これは切れていたのであった。
座敷は静かであるが、玄関には「予約で売り切れ」と書かれていた。
なるほど、である。
そして、中(なか)トリの、白焼きの登場。
トリというのは、寄席で最後に喋る落語家のこと。
寄席のプログラムは前・後半に分かれており、中入りがある。
後半が始まり、トリの直前は膝がわりといって、紙切りだったり、
軽い色ものがあり、トリが高座に上がる。
中トリというのは、この中入り前に高座に上がる落語家のこと。
まあ、寄席では二番目に重要な出番になる。
ここは白焼きに限らず、お重などにしないうなぎは、
串を打ったままで出される。
これは素人にはわからぬが、串打ちと焼きの技術をみせるため
とのこと。まあ、ここのスタイルといってよろしかろう。
このところ、うなぎやへきたら一人でなければ白焼きは必ず頼むことに
している。東京、特に下町のある程度以上のうなぎやでは、絶対に
食べるべきであろう。
一度、地方(東海地方)で白焼きを頼んでみたことが
あるが、随分と生ぐさかった。
東京下町以外には白焼きを食べる文化がないのかもしれぬ。
東京下町では白焼きを食べる人が多く、調理法も
洗練されていったのであろう。
蒲焼のお重はなんといっても大トリでこれがなければ始まらぬが
それを補佐してあまりある。これぞ粋であり乙。
これが江戸前の酒の肴である、と思うのである。
生ぐささなどむろんなく、ふんわり柔らかく、
わさびじょうゆでたべるわけだが、すっきりと甘い身を
十分に愉しむ。
そして、いよいよ、お重の登場。
運ばれて、ふたを開ける。
毎度書いているが、この時間ほどわくわくする瞬間はない。
もちろん、生まれてなん度もなん度もうな重というものは
食べているわけであるが、その度にこのわくわくを
感じることができるのは、幸せなことであると思う。
ふたを開ける。
そう、そう。これこれ。
この顔。
山椒を振るのももどかしく、箸を入れる。
キリっと辛口。ここに限らぬが、下町はしょうゆが勝った辛め。
浅草などは、さらにさっぱりめ、かもしれぬ。
もちろん、飯も堅め。
お重を手に持って、掻っ込む。
行儀はわるいかもしれぬが、やはりこういう
食べ方の方が、うな重はうまいと思うのである。
そして、吸い物。
小柱と岩海苔、で、あろうか。味付けは、比較的濃いめか。
うまかった。
いや、うまかった、なんという言葉では現し尽くしていない。
以前に、南千住のうなぎや[尾花]で、大きな入れ込み座敷で
うなぎが焼きあがるのを待つ時間を尾花の時間と
書いたことがあるが、ここはまた別の意味で明神下[神田川]の
時間といってよろしかろう。
うなぎ蒲焼だけではない、かけがえのない豊かな時間。
東京の、昔からの東京らしい時間とでもいったらよいか。
お勘定は酒も入れて一人1万円ちょい。
もちろん安くはないが、適正であろう。
神輿をあげる。
梯子段の上、棚の上に一枚の色紙が飾られている。
噺家の署名である。
圓生、志ん生、文楽、小さん、、、昭和最後の江戸落語黄金時代の
師匠方のものである。
文楽師がここからもほど近い黒門町に住んでいたのもあり
師行き付けであり、落語協会の寄り合いのようなものもここでやっていた
というのを聞いたことがある。
その時のもの、かもしれない。
ここで、この座敷で、落語でもしてみたい、などと恐れ多いことを
考えてしまった。
梯子段を降りる。
くるときは気が付かなかったが、酒を呑んだ帰りは
意外に急であったか?。
靴を履き、仲居さんのお姐さんと、下足番のおじさんに見送られ、
出る。
戦後70年、この建物もだいぶん古びてきてしまった。
私がここにこられるようになってからでも25年はたっている。
数寄屋造りの凝ったなんという形容詞は当てはまらぬが、
この店だけはどうしてもなくなってほしくはない。
できれば、この空間でこの味をずっとずっと、続けてほしい。
日本うなぎが絶滅危惧種になり、我が東京のうなぎ食文化も
風前の灯なのか。
千代田区外神田2-5-11
03-3251-5031