浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



カレーせいろのこと

ラーメン、歌舞伎と連休中のことを書いていたが
ここから通常バージョン。
先週金曜から。


5月13日(金)昼


一度、もりがべら棒によい、超大盛りというので、


オフィスのある五反田の[二月堂]という蕎麦やを書いた。


昼には、ポツポツときているのだが、
この日は、カレーせいろ。





もりは同じようによいのだが、
今日はそこではなく“カレーせいろ”について
書いてみたい。


“カレーせいろ”というのは
カレー味のつゆにつけて食べる、冷たい蕎麦
で、ある。温かいカレー南蛮のつけ蕎麦タイプ。


カレー南蛮はほとんどの町の蕎麦やにあると思うが
カレーせいろとなるとどこにでもある、
というものでもない。


そばやのメニューでも好きなものなので
あれば頼むことが多く、気を付けているのだが
最近、出すところが増えているような気がする。


さて。


カレーせいろの前に、そもそも、
カレー南蛮というのはなんであろうか。


香りを大切にする蕎麦通の方には邪道なもの
かもしれない。


だが、うまい。


では、カレー南蛮はいつ頃からあるのか。


調べてみると、明治41年頃、麻布にあった[朝松庵]
というところであるとか、同じような頃、大阪でなど、
諸説あるようである。(ウィキペディア)


さらに調べていると、蕎麦やで使われている
カレー南蛮の素を作っている[杉本商店]というところを
見つけた。


私も学生の頃、蕎麦やでバイトをしていたが、
そばやでは業務用のカレー南蛮専用のルーというのか、
素があって、これをかけ用のそばつゆに溶かしていた。
おそらく今もそうなのではなかろうか。


杉本商店以外にもなん種類か販売されている
のであろうが、ここは明治30年頃から
軽便カレー粉というもの製造販売を始めたという。


と、いうことは明治40年以前からカレー味のそば
というのはあった可能性はある。


この頃はまだカレーライス自体も生まれて
広まり始める頃であろう。


ほぼ同じような時期から、カレー(南蛮)そばが
試みられてきたと思われる。


それで定着したのはいつ頃なのか。
こんな感じでは、大正の頃には既に東京では
あたり前のメニューになっていたのかもしれない。


私自身はカレー南蛮も好きではある。


普通のもり蕎麦が怪しそうな
町の蕎麦やでは、むしろカレー南蛮の方が
安心できてよいくらいである。


では、つけ蕎麦になったのはいつ頃なのか。


今のところはっきりしたことはわからない。


戦後、ひょっとすると
それもごく最近ではなかろうか。


私でさえ、少し前までは、なんて邪道な、
と思っていたくらいである。


私自身は、蕎麦の香りが、というようなことは
ほとんどいわない。
そんな私でさえ、邪道と思っていたのはなぜであろうか。
我ながら不思議なので、ちょっと考えてみた。


私の場合、蕎麦の香り、ではなく、しょうゆの濃い
つけ汁に対して失礼ではないか、といったあたりのようである。


ある種、ざるそばというのは、そばそのもの
なのであろう。


そばの王道というのは、
かけそばでもなく、天ぷらそばでもなく
ざるであることに異を唱える人はおそらくあるまい。


そのざるをつけるつゆは東京下町の
アイデンティティーともいえる、しょうゆの
勝った、濃いつゆ。


つまり、このつゆをカレー味にしてしまうのは、
自らのアイデンティティーに対しての裏切り
ではないか、と考えていたのではないかと。


まあ、しかし、今は、それはそれ。
しょうゆの濃いつゆを決して否定しているのではない。
うまいのだから、これもあり、と。


では、そんなカレーせいろは、どこにあるのか。


私が把握していて、
ある程度著名なところを挙げてみよう。


上野[藪]蕎麦、日本橋[藪久]、百人町[近江屋]。


この三軒は押しも押されぬ老舗であるが、
ちゃんとカレーせいろがある。
(近江屋については10年近く前に食べたきり
今もあるのかは未確認。)


有名どころはわからぬが、冒頭の五反田[二月堂]をはじめ
無名なところはまだまだ、たくさんあろう。


みなさんも、食わず嫌いの方があったら、
一度お試しいただきたい。



カレーせいろ、うまいよ!。







二月堂
03-3495-6345
品川区西五反田2-6-3