浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



日本橋高島屋・特別食堂・うなぎ・五代目 野田岩

3月29日(火)夜

夕方、日本橋で仕事終了。

さて。

どうしようか。

せっかくの日本橋なので真っ直ぐ帰るのも
もったいなかろう。

池波先生も銀座と並んで日本橋はお好きであった。
なぜ銀座と日本橋なのか。
誰かが考察していたが、やはり、世代というのもあろう、
先生は浅草の生まれ育ちであるが浅草から見ると
江戸随一の繁華街日本橋、明治以来のハイカラな街銀座という
街のブランドに対するある種の憧れがあったのであろうと。

私も今は先生が幼少期をすごした元浅草に住んでいる。
浅草は浅草でよいのだが、日本橋と銀座はやはり別格。
西の繁華街の新宿、渋谷とはくらべものにならぬし、
わざわざ出かけようとは今はまず思わない。

また日本橋と銀座を比べても、日本橋の方がやはり
格は上であろう。特に最近は銀座でも、新宿渋谷的においに
浸食されている。

日本橋の選択肢はいろいろある。
蕎麦で[利休庵]
一杯呑んで納豆そば。

先日の[やぶ久]という手もある。

[たいめいけん]の洋食。

[吉野鮨]

お!。
そうだ、忘れていた。
ちょっとこのところご無沙汰か。高島屋特別食堂の
うなぎの[野田岩]。

ちょいと、ご機嫌をうかがおうか。

室町側にいたので日本橋を渡り、永代通りの向こう側をあるいて
一本目を入る。

高島屋裏の、、、、、?。
特別食堂があったのは、別館、、、なのだが、、、
ビルそのものがない。いや、再開発の工事中。

調べると2014年から取り壊しが始まっていたようで、
確かに、私も14年にきてはいた。

それにしても、特別食堂には来ていなかったが[吉野鮨]には
きていたが、まったく目に入っていなかった。

あきらめるか!?。
と思っていると、特別食堂は本館の8階で営業中と書いてある。

さすが、高島屋さん。
ちゃんと残してくれている。
やはり特別食堂のニーズは高いのであろう。

高島屋さん、高島屋さん、、、高島屋さん左団次?!。
うれしさに落語『山号寺号』の一節を口ずさみつつ、高島屋に入る。

8階まで上がって、店内の案内に従って特別食堂へ。
催事の階で広く場所が取れたのであろう、
待合のスペースも広い。

入口に立っていた黒い上下のマネージャーさんらしい
年配の男性に一人という。

にこやかに案内してくれる。

やはりここの接客は別格である。
最上位ランクのホテル並み。

高島屋でもこの日本橋店の接客は一般の売り場でも
丁寧さという意味で他店よりもそうとうにレベルが高い。
このあたりが日本橋の格なのであろう。

「奥でも、このあたりでも、、」
奥へいくほどの者でもない。

壁際のテーブル。

テーブルを引いて、掛けさせてくれる。

「今、係の者が参ります」。

すぐにメニューとお茶を持ってお嬢さんがくる。

瓶ビールを頼み、メニューを見る。

野田岩はむろん、麻布にある野田岩で、ここに昔から
入っている。
くるたびにメニューの雰囲気(構成)が変わっている。

白焼きのついた重ね重というのをもらうことにする。

ビールを呑みながら、待つ。

ここの客層は、買い物のついでか、やはり上品な年配の女性。
一人できている姿も多い。
あるいは、同じような雰囲気の老夫婦。

到着。


 

上が白焼き、下がご飯が入った蒲焼のお重。

肝吸いにお新香、麻布の本店でも出てくる、箸休めです
といって出される、大根おろし
そして、山椒と蒲焼のたれ。

白焼きにしても、蒲焼にしても美しいではないか。

これだけきれいに焼き上げている店はやはりそう多くはあるまい。
やはり間違いなく東京のうなぎやのトップの
一角を堂々と占めている。

ビールとともに白焼きをつまみ、
蒲焼のお重をさくさくと食べる。

幸せ、で、ある。

食べ終わり、立って入口でお会計。

ご馳走様でした。

日本橋高島屋特別食堂のサービスと野田岩のうなぎ。

これもまた、このままの形で続けてほしい
東京の重要無形文化遺産ではなかろうか。

 

 

日本橋高島屋