12月21日(日)
引き続き、箱根塔ノ沢温泉の[福住楼]。
二日目、年賀状書き。
昼飯に出る。
今、普通の旅館に連泊をする、というのは
かなりレアな客であろう。
仲居さんやら宿の方にとってはイレギュラーで
多少の面倒をかける、ということにはなっていよう。
この[福住楼]も以前は作家やら学者先生やら、
執筆のために、こもるというようなこともあった宿ではある。
一晩だけで朝飯を食べてバタバタと勘定をして
出掛けるだけではこういう老舗の日本旅館は
やはりもったいないと思うのである。
ほんの一日だけでも昼間、素晴らしい数寄屋造りの
宿にいる贅沢を味わえるのは幸せである。
部屋でなにかをしていてもいいし、
朝から、湯豆腐で一杯呑んで、
またごろごろ転寝(うたたね)していても
いい。
落語[居残り佐平次](噺は品川の女郎屋での
流連(いつづけ)だが)の談志家元版では
朝からうなぎの中串で一杯呑んで、転がって
うとうとしていると、掻い巻きが掛けられ、
昼下がり、舶来の柱時計の、ボーン、ボーン、という
音を夢現(ゆめうつつ)で聞いている、なんという
描写があるが、あんな感じ。憧れるではないか。
さて。
泊まっている奥の離れから
これも磨き込まれた階段を降りて、
右に折れる。
ここから大広間のある棟になる。
大広間の外の廊下。
半分が畳で半分が板の間。障子の向こうが広間。
大広間の床の間の反対側には立派な舞台。
上の幕の紋は、三つ鱗(みつうろこ)、である。
三つ鱗といえば、北条家のものである。
小田原は戦国時代の(後)北条氏の本拠。
なんらか関係があるのであろうか。
おっと、長い大広間の反対側では、宴会の準備中。
(お膳を数えてみると、20名ちょいか。)
大広間を横切って、さらに廊下を渡って、玄関へ。
ちょうど若旦那が玄関にいたので
ちょっと、お昼に出かけてきます、といって。
いってらっしゃいませ、の声に送られて、出る。
なんというのか、これが気分がよい。
道を渡る。
これが玄関。
ぶらぶらと歩く。
昨日に比べて、多少暖かい。
風もなく日なたでは、小春日和といっても
よいくらいではなかろうか。
湯本に向かって道は昨年までは函嶺洞門(かんれいどうもん)という
王宮のようなデザインの山肌に昭和初期造られたシェルターを
通っていたが、今年からそれを避けたバイパスになっている。
それで湯本の町に入るまで、橋が二つ増え三つの橋を渡る。
きたのは通り沿いの[中村家]という鮨や。
ここには以前にも一度入っている。
ビールを一本。
名物の鯵穴子鮨。
それに特上一人前。
燗酒を一本。
[藤屋]という梅干しやに寄って
また、ぶらぶらと塔ノ沢まで戻る。
ちょっと国道沿いに上まで歩いてみる。
またまた、玉ノ緒橋という橋があって[環翠楼]。
泊まっている部屋から見えていた早川をはさんだ向かいにある
大きな旅館である。
こちらもやっぱり文化財であるが、創業は塔ノ沢温泉が
開かれたという、慶長19年(1614年)までさかのぼれるという。
14代将軍・徳川家茂の正室、かの和宮内親王の
終焉の地としても知られ、明治以降、皇室、政界の人々の
定宿になってきた。
[福住楼]の客筋が文化文芸人であったのに好対照で、ある。
部屋に戻り、内儀さんは引き続き、年賀状書き。
私は既に終わっているので、一っ風呂浴びて、
またビール。
そして、また、転寝。
まさに、極楽で、ある。
つづく