浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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2013年 新橋演舞場 初芝居 その2

dancyotei2013-01-07



1月3日(木)



1月3日(木)

さて、引き続き、新橋演舞場初芝居。

一本目の、幸四郎の『ひらかな盛衰記・逆櫓』が終わって、
いよいよ、『忠臣蔵七段目、祇園一力(いちりき)茶屋の場』。

本来は由良助が團十郎であったが、病気休演で幸四郎
寺坂平右衛門が吉右衛門
おかるが芝雀

と、まあ、知ったように書いているが、
始めて観る。

忠臣蔵、意外に、演らないのではなかろうか。
と、思って調べてみると、昨年、4月に通しで演っていた。
これは観ておくべきであった。

その前は、東京では22年(国立)、21年(歌舞伎座)、
20年(歌舞伎座平成中村座)、、、と、いった具合。

年に1回程度。

例えば『勧進帳』などは私もなん度も観ているが
年に二回以上は、演っているのではなかろうか。

忠臣蔵は人気はあり、あまりにも有名だが、やはりそれなりに
特殊な演目なのであろう。

しかし、一方で、私達くらいの世代であれば、
よっぽどの歌舞伎好きでなければ、まず、もう皆、知らない。


幕が開く。

唄と三味線、踊地(おどりじ)と呼ばれる
にぎやかな出囃子で始まる。


花に遊ばば 祇園あたりの 色揃え

東方南方北方西方 弥陀の浄土へ

ひっかり ひかひか 光りかがやく色揃え

わいわいの わいとな


これ、聞けば皆さん、なんとなく耳に残っている音と
歌詞ではないかと、思われる。

にぎやかで、うきうきする。
いかにも花街らしい幕開き。

祇園一力茶屋。

基本の話は、討ち入りを前に、
もう諦めた、と世間に思わせるため、
由良助は遊びまくる、という。

と、いえば、これも皆さん、あ〜、と思われよう。

昨年亡くなった、勘三郎先生が主演した、
大河ドラマ元禄繚乱』などTVの忠臣蔵時代劇でも
必ず出てくるシーンである。

ちなみに、祇園一力というのは、ご存知、実在のお茶屋
今も京都祇園にある、というのは、すごい話ではないか。

もう一つ、念のため、内儀(かみ)さんに聞かれたので
書いておく。由良助、と書いているが、
これは役の名前。むろん大石内蔵助のこと。

実際にあった事件なので、江戸時代には実名は使えず、
もじった名前を作っている。
一力茶屋というのも、本当は『万(よろず)』というのが
もともとの屋号で、万を、一と力、に分けた。
しかし、芝居の影響で有名になってしまったので、
店の屋号も一力に変えたということである。


ともあれ。

あらすじを書いてもしょうがないので、例によって
やめるが、やはり、この芝居、筋が複雑で、知らないと、
難しい。

仮名手本忠臣蔵』というのは、
基本の仇討へ向かう赤穂の浪士達の話に
独自に創作された人情話がたくさんくっついて
出来上がっている。

七段目は、道行、五段目、六段目と続いている
おかる・勘平のことがわかっていないと、ほぼ絶望的、
で、あろう。

イヤホンガイドを聞きながら観て、
私もかろうじてわかったという有様。

ここで、七段目の浮世絵を二つ。



一魁斎芳年1862年文久2年)、江戸中村座
由良助/八代目片岡仁左衛門、おかる/三代目澤村田之介。

由良助が顔世(かおよ)御前(浅野内匠頭未亡人阿久利(瑤泉院))
からの密書を読む場面。

上からおかる、縁の下から裏切り者の斧九太夫
盗み読みをしている場面。

これは七段目の中でも印象的なシーンであろう。

階上、一階、縁の下と舞台上の縦位置の三か所で
別々のことを行なっているという演出。



この絵は、幕末。
黙阿弥先生活躍中の頃。

この絵の、おかるの、三代目澤村田之助
この頃、美貌の女形として人気を博した役者。
ドラマ『JIN-仁-』に出ていたので憶えておいでの方も
あるかもしれない。なかなかすごい人。余談だが書いてみる。

ちょうど、この年、文久2年に別の芝居の宙吊り演技中、落下。
その傷から壊疽になり、左足を切断。それでも舞台に
立ち続け、病状の悪化で四肢すべてを切っても、
舞台に出た。最終的には精神にも変調をきたし、明治11年
33歳で亡くなったという。壮絶。


もう一つ。




これは、北斎。1806年(文化3年)45〜6歳の頃の作品。

終盤、寺坂平右衛門、おかるが裏切り者の
斧九太夫を討った場面。

左から平右衛門、九太夫、おかる、縁側にいるのが由良助。

一般の役者絵と違うところがあるのだが、
お気づきであろうか。

最初の芳年の絵では、その時に行われていた芝居の宣伝、
記念という目的で描かれ、売られるので、
役者の名前や上演された劇場の名前が入るのだが、
それがない。

私も理由はよくわからぬが、より写実的で、
芸術性が高くなるっていることは確かであろう。


と、いったところで、
また明日。