浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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2013年 新橋演舞場 初芝居その3

dancyotei2013-01-08

1月3日(木)



引き続き、新橋演舞場初芝居。

仮名手本忠臣蔵・七段目』。

観終っての感想は、というと、やはり、
筋が複雑でむずかしい。
いや、複雑ではないのだが、踏まえているものがわからないと
素人には取っ付きにくいのである。

お話とすれば六段目以前から続いている、
おかると関平のことが肝(きも)なのであるが、観ていないので、
今一つ、入ってこない。

現代とすれば、イヤホンガイドなしの初見ではまず、
理解不能であろう。

予習として六段目以前のDVDを観る必要があるだろう。
このあたりが、現代人にとっての歌舞伎の
最も大きな問題ではなかろうか。

江戸の頃は、芝居を観ていなくとも、
話題になった芝居は、落語や本等々にすぐに
転載されるし、演じられる。

芝居を観にいくほどのお金がなくともお話そのものに
触れる機会は、今と比べれば、驚くほど多かったと思われる。
(昭和30年代まではこの状態は続いていたのであろう。)

そういう下地がある観客に対して作られているので
やはり、どうしても筋は複雑になるし、細かい演技や
演出、セリフを変えて、煮詰められ、初演から200年以上かけて
出来上がっている芝居である。

観客の方もむろん勉強をしてから行かねばならぬが、
この幕だけを観た現代の観客にももう少し
わかる工夫はないものかと思ってしまう。
勘三郎先生ならばどうしたであろうか。)

さて、役者はどうか。

いうまでもなく、この舞台の主人公は
幸四郎の由良助。

仇討のことすっかりあきらめたふりをして浮かれ騒ぐ部分と
後半、素に戻り、仇討を目指すリーダーとしての
振る舞い、心理を、演じ分ける。
昔から、難しい役といわれてきたという。

幸四郎先生も、この役はなん度も演じてきたようであるが、
なんとなく、もう一つ、という印象であった。

同じ舞台で吉右衛門の寺坂平右衛門。
さすがに人間国宝、トウシロウの目にも
どうしてもこちらの方が存在感がある。

過去を調べてみると、同じ七段目の舞台に
兄弟一緒に出ていたことはないようである。

まあ、幸四郎團十郎のピンチヒッターで、
正直のところ出たくはなかったのでは、
と思われてしまうのは勘ぐりすぎか。


さて、七段目、いろんな印象的なセリフがあるのだが。
一つはこれ。

後半、寺坂平右衛門とおかるの絡みで、

「なに?残らず読んだ、そのあとで、互いに見交わす顔と顔。
じゃら、じゃら、じゃらと、じゃらつきだして身請けの相談。
おお!読めた!」

おかると平右衛門が二人で同じセリフを繰り返す。
(深刻な場面なのだが、妙にこの、じゃら、じゃら、じゃら、が
ユーモラスに聞こえる。)

実は、この正月にTBSのCSで落語をやっており、
これで、落語『七段目』を聞いたばかりであった。

歌舞伎を扱った落語というのは、少なくないのだが、
ずばりこの忠臣蔵の『七段目』を扱ったもの。

落語『七段目』は芝居好きの若旦那と小僧の定吉
家の二階でこの『七段目』の声色(こわいろ)を含めて、
物真似をする、という。
まあ、いってしまえば、それだけの噺。

で、この落語『七段目』のクライマックスは、先の
「じゃら、じゃら、じゃら」のセリフの後、芝居通りに
興奮した若旦那が、刀を抜いて、定吉に切りかかる。
この刀が、たまたま本身(真剣)で、慌てて逃げた、定吉

で、後ろは階段。ゴロゴロゴロ、と落っこった。
下で旦那が「まったく、お前達はなにをしてるんだ。
え?定吉、一番上から落っこちたのか。」「いいえ七段目」。

私の場合、落語の方はなん度も聞いて知っていたので、
芝居の『七段目』を観て、あ〜、このセリフだったんだ、と、
やっとわかった次第。

落語『七段目』ほど芝居の物真似、声色だけでできている
噺も、落語としては珍しい。若旦那と定吉
仕草がおもしろいのでそれなりに笑えないこともないが、
芝居がわからなくなった今、ほぼ成立していない噺といってよいのだろう。

(そんな状況なんだよな〜。
ほんとは落語も芝居も、、、。)

ただ、おそらく昭和の30年くらいまでは、歌舞伎の『忠臣蔵・七段目』は
すべての人が知っていて、若旦那と定吉のような、マニアのような人も、
まわりに一人や二人は、必ずいて、芝居の物真似をするような場面は
よくあった、ということの証拠にはなろう。

また、落語好きの方は、聞いたことがあるかもしれぬが、
昔(やはり、昭和30年代あたりまでか)は、噺家の芝居という意味で、
しか芝居といって、年に1度や2度は寄席で、たいていは『忠臣蔵』や
『白波五人男』なんぞの人気の演目をやっていたという。
志ん生圓生文楽、小さんという大師匠達が衣装を着て、
笑いを取っていたのである。

もう一つ。「さめての上のご分別」。

このフレーズ、聞いたことがある方はおられようか。

おそらく昔は、慣用句になっていたもの。
由良助は酔っぱらっており、仇討なんぞもう忘れた、
といっているのに対して、平右衛門がいうセリフ。

酔っぱらっているので、さめたらまた別の分別もあるだろう、
というような意味。

実は、こんなものも、落語にはよく出てくるフレーズ。
(子別れ、鰻の幇間船徳など)

あ〜、これが元か、と気が付いたのであった。

寝床、のように落語からの慣用句もあるが、
芝居のセリフが慣用句になっていたものも多かったということであろう。

とりわけて、この『忠臣蔵』は人々の中に入り込んでいた
のであろう。


追伸。これを機会にDVDの『忠臣蔵』通し、買ってしまった。
しかし、長い・・・。寝ちゃうね。