浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



国立劇場12月歌舞伎公演 東海道四谷怪談 その2

dancyotei2015-12-08


12月6日(日)

引き続き国立劇場の「四谷怪談」。

作者の大南北先生のことを書いていた。

南北先生は当時から、現代に至るまで超有名でありかつ、
生世話=写実を完成させた等々、歌舞伎史的にも評価は絶大で、
功績は大なのであろう。
また実際の作品数も少なくないのであろう。

しかし、以前から不思議に思っていることがある。

なにかというと、この人作(さく)の芝居は、
この「四谷怪談」以外に数作しか今は上演されていない
ようなのである。

今でも上演されているのは「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」

「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」

この二つは幸運にも私は観ている。
(ただ「盟」の方は幕見でかつ、まだまだほとんど歌舞伎のことが
わかっていない7年前で、チンプンカンプンであったようである。
また「浮世柄」の方も、通しで観てはいるが、ストーリーが
アッチャコッチャへいって、わからん、と書いている。)

あとは「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」
あたりであろうか。
これもあまり上演機会多くはないと思うが、落語「蛙茶番(かわずちゃばん)」
という噺になっているので知っているだけではあるが。

四谷怪談」を入れても四つ。

他にも数作はあるのかもしれぬが、もう一人の大作者、
黙阿弥翁と比べてもこの数はいかにも少ないように
思われる。
まったく不思議である。
段々に上演されなくなったのか。
時代が下るごとに、専門家の評価は高くとも、
一般観客の人気がなくなったのか。
(私が観た二つだけでも、なんだかわかりずらい、という
感想ではあったのだが。)

これには回答があるわけではなく、私自身現在の疑問である。

さて。

四谷怪談」、お話について書いてみようと思うのだが、
ここから先、いわゆるネタバレになるので、これから観ようという方は、
ご注意を。

この話、そもそもは、かの「仮名手本忠臣蔵」の二番目、
ワンセットの上演で始まっている。
つまり、二日かけて、「忠臣蔵」と「四谷怪談」と
交互に両方の幕を上演したという。

この頃は一番目が時代物で二番目が世話物と、二つの演目を
同時に上演するというのが普通であったわけであるが、
四谷怪談」はお話も「忠臣蔵」の塩冶の浪士らが登場し、
仇討というのが、ベースのお話に流れているのである。
(つまり「忠臣蔵」が一番目で「四谷怪談」が二番目。)

ただ、こういう上演形態であったのは初演時のみで
それ以降は「四谷怪談」単独の上演になっていった。

今、上演される場合には、そうではないらしいのだが、
今回の国立では大詰(最後の場)が、実は「忠臣蔵」の十一段目、
つまり討ち入りの場になっている。(お話しとしてはかなり唐突な
印象はぬぐえないのだが。)

そしてまた、実際の討ち入りはご存知の通り、12月14日。
この12月に「四谷怪談」を上演するのはこれに合わせたから、で
季節外れではない、という説明が今回されている。

今興行のポスターなどにも背景に白が使われ雪を
イメージさせている。

国立劇場やら、関係者の都合で、12月になっちゃいました、、
ではなく、最初から意図していました、ということではある。

ただ、調べてみたら、実際の初演は文政8年の12月ではなく、

7月26日で、やっぱり真夏であったようではある。

まあ、怪談を12月に上演するというのもまた、洒落ている
とは思うが。

さて。
皆様は、この「四谷怪談」のストーリーはご存知であろうか。

ネタバレ以上に煩雑なので詳細を書くのはやめる。

詳しくは、こちら

または、こちら。

基本は民谷伊右衛門とその妻お岩の話し。

(前段いろいろあって)お岩は毒を盛られ目が腫れて顔が崩れ、
あの怖〜い顔になる。産後で体調もわるく、髪を梳くと、
どんどんと抜けていく。そのまま憤死。
伊右衛門は家来の小平を殺し、二人の情死に見せかけて
一枚の戸板の両面に二人の死体を打ちつけて川に流す。

ここからお岩は亡霊となり、最後には伊右衛門をとり殺す。

とても簡単に書くとこんなことであろう。

登場人物は皆、塩冶家と高家忠臣蔵なので)の家来で
主従関係、敵関係などになり、話しが複雑。

筋書かイヤホンガイドなしではおそらくわからなくなったであろう。
(イヤホンガイドで聴いていても、あれ、こいつ誰だっけ、
があったほど。)

さて。

この芝居の最大のポイントはなにか。
歌舞伎でいう大仕掛けのケレンであろう。

染五郎はお岩で、亡霊になって宙乗りで飛び回り、
同時に三役、四役の早替わり。

驚かせるだけでなく、ホラー映画などそこのけに
大道具の仕掛を繰り出し、観客を怖がらせてくれる。

ホンモノの火の玉が飛び、提灯や壁の書き割りの仏壇から
お岩の亡霊が飛び出してくる。

本所砂村隠亡(おんぼう)堀の場、なんという地名もおどろおどろしいが、
そこで戸板の両面に打ち付けて流した、二人の死骸が流れ着いたり。
(この両面が染五郎の二役だったりして。)

むろんデジタルや、ハイテク装置を使わずに、人力(じんりき)と
アナログでここまでやるわけである。

これで金だらいが落ちてきたら、ドリフの大規模大道具コント。

この手の大仕掛けなケレンは歌舞伎に人を呼ぶための
工夫としてこの南北の頃あたりから盛んになっていったと聞く。

観客をよろこばせるためにはありとあらゆる手を使う。
まさにエンターテインメント。
素晴らしい。

また、これは人力だからこその素晴らしさ、なのかもしれない。

 


もうすこし、つづく


国貞画 1831年天保2年)8月6日 江戸 市村座
東海道四谷怪談 五幕目 蛇山庵室の場
神谷仁右衛門 五代目松本幸四郎 お岩
三代目尾上菊五郎 

 

 






12月6日(日)

引き続き国立劇場の「四谷怪談」。

作者の大南北先生のことを書いていた。

南北先生は当時から、現代に至るまで超有名でありかつ、
生世話=写実を完成させた等々、歌舞伎史的にも評価は絶大で、
功績は大なのであろう。
また実際の作品数も少なくないのであろう。

しかし、以前から不思議に思っていることがある。

なにかというと、この人作(さく)の芝居は、
この「四谷怪談」以外に数作しか今は上演されていない
ようなのである。

今でも上演されているのは「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」

「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」

この二つは幸運にも私は観ている。
(ただ「盟」の方は幕見でかつ、まだまだほとんど歌舞伎のことが
わかっていない7年前で、チンプンカンプンであったようである。
また「浮世柄」の方も、通しで観てはいるが、ストーリーが
アッチャコッチャへいって、わからん、と書いている。)

あとは「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」
あたりであろうか。
これもあまり上演機会多くはないと思うが、落語「蛙茶番(かわずちゃばん)」
という噺になっているので知っているだけではあるが。

四谷怪談」を入れても四つ。

他にも数作はあるのかもしれぬが、もう一人の大作者、
黙阿弥翁と比べてもこの数はいかにも少ないように
思われる。
まったく不思議である。
段々に上演されなくなったのか。
時代が下るごとに、専門家の評価は高くとも、
一般観客の人気がなくなったのか。
(私が観た二つだけでも、なんだかわかりずらい、という
感想ではあったのだが。)

これには回答があるわけではなく、私自身現在の疑問である。

さて。

四谷怪談」、お話について書いてみようと思うのだが、
ここから先、いわゆるネタバレになるので、これから観ようという方は、
ご注意を。

この話、そもそもは、かの「仮名手本忠臣蔵」の二番目、
ワンセットの上演で始まっている。
つまり、二日かけて、「忠臣蔵」と「四谷怪談」と
交互に両方の幕を上演したという。

この頃は一番目が時代物で二番目が世話物と、二つの演目を
同時に上演するというのが普通であったわけであるが、
四谷怪談」はお話も「忠臣蔵」の塩冶の浪士らが登場し、
仇討というのが、ベースのお話に流れているのである。
(つまり「忠臣蔵」が一番目で「四谷怪談」が二番目。)

ただ、こういう上演形態であったのは初演時のみで
それ以降は「四谷怪談」単独の上演になっていった。

今、上演される場合には、そうではないらしいのだが、
今回の国立では大詰(最後の場)が、実は「忠臣蔵」の十一段目、
つまり討ち入りの場になっている。(お話しとしてはかなり唐突な
印象はぬぐえないのだが。)

そしてまた、実際の討ち入りはご存知の通り、12月14日。
この12月に「四谷怪談」を上演するのはこれに合わせたから、で
季節外れではない、という説明が今回されている。

今興行のポスターなどにも背景に白が使われ雪を
イメージさせている。

国立劇場やら、関係者の都合で、12月になっちゃいました、、
ではなく、最初から意図していました、ということではある。

ただ、調べてみたら、実際の初演は文政8年の12月ではなく、

7月26日で、やっぱり真夏であったようではある。

まあ、怪談を12月に上演するというのもまた、洒落ている
とは思うが。

さて。
皆様は、この「四谷怪談」のストーリーはご存知であろうか。

ネタバレ以上に煩雑なので詳細を書くのはやめる。

詳しくは、こちら

または、こちら。

基本は民谷伊右衛門とその妻お岩の話し。

(前段いろいろあって)お岩は毒を盛られ目が腫れて顔が崩れ、
あの怖〜い顔になる。産後で体調もわるく、髪を梳くと、
どんどんと抜けていく。そのまま憤死。
伊右衛門は家来の小平を殺し、二人の情死に見せかけて
一枚の戸板の両面に二人の死体を打ちつけて川に流す。

ここからお岩は亡霊となり、最後には伊右衛門をとり殺す。

とても簡単に書くとこんなことであろう。

登場人物は皆、塩冶家と高家忠臣蔵なので)の家来で
主従関係、敵関係などになり、話しが複雑。

筋書かイヤホンガイドなしではおそらくわからなくなったであろう。
(イヤホンガイドで聴いていても、あれ、こいつ誰だっけ、
があったほど。)

さて。

この芝居の最大のポイントはなにか。
歌舞伎でいう大仕掛けのケレンであろう。

染五郎はお岩で、亡霊になって宙乗りで飛び回り、
同時に三役、四役の早替わり。

驚かせるだけでなく、ホラー映画などそこのけに
大道具の仕掛を繰り出し、観客を怖がらせてくれる。

ホンモノの火の玉が飛び、提灯や壁の書き割りの仏壇から
お岩の亡霊が飛び出してくる。

本所砂村隠亡(おんぼう)堀の場、なんという地名もおどろおどろしいが、
そこで戸板の両面に打ち付けて流した、二人の死骸が流れ着いたり。
(この両面が染五郎の二役だったりして。)

むろんデジタルや、ハイテク装置を使わずに、人力(じんりき)と
アナログでここまでやるわけである。

これで金だらいが落ちてきたら、ドリフの大規模大道具コント。

この手の大仕掛けなケレンは歌舞伎に人を呼ぶための
工夫としてこの南北の頃あたりから盛んになっていったと聞く。

観客をよろこばせるためにはありとあらゆる手を使う。
まさにエンターテインメント。
素晴らしい。

また、これは人力だからこその素晴らしさ、なのかもしれない。

 


もうすこし、つづく


国貞画 1831年天保2年)8月6日 江戸 市村座
東海道四谷怪談 五幕目 蛇山庵室の場
神谷仁右衛門 五代目松本幸四郎 お岩
三代目尾上菊五郎