浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



下谷花柳界のこと〜天神下・ラーメン・麺屋げんぞう

3月26日(月)夜



帰り道、ラーメン。



天神下、、、。



今日は、大喜、ではなく、ちょいとした新顔、
げんぞう、というところ。


先週からの流れ、というわけでもないのだが、
先に、このあたりの江戸の地図を、見ておこう。



江戸の地図 東、下谷側。


西、本郷側。


現代の地図も。




より大きな地図で 断腸亭料理日記/天神下 を表示


このいつも、見ている地図は、江戸切絵図、というもの。


今でいう、区分地図。


この天神下は、湯島天神を境に、切絵図が下谷と、
本郷に分かれているので、二枚になってしまった。


このあたり、天神下、天神下、といっているのは、
むろん湯島天神の下、だから。


湯島天神の北側の道に、切通し、とあるが、
これが今の春日通り。


今はあまりいわなくなっているように思うが、
これが切通し坂。


昔の、ここを都電が走っている写真などを見ると、
今よりも、もっと急な坂であったようである。


今は切通しから、真っ直ぐ東へ広小路へ向かっているが
江戸の頃は坂下で終わりで、大名屋敷。
春日通りは明治になってから。


この湯島天神下界隈、やはり、旧花街。


下谷花柳界


下谷花柳界の最盛期は戦前、大正期。
1922年(大正11年)で料亭28、待合108、芸妓屋231。


当時、新橋がN0.1、次が江戸正統の柳橋、その次が
相場師達でにぎわった、芳町人形町)。


その次、4番目が、この下谷、で、あった。
都内でも有数の花柳界である。


が、戦後は復活せず、1960年(昭和35年)には
料亭待合組合員数が4軒となっていた。


江戸の頃は、どうだったのであろうか。


実際のところ、よくわからない。
つまり、この花柳界がいつできたのか、が。


当時の町屋は地図でわかる通り、天神下の
切通町、坂下町、同朋町。不忍池池之端側が、
茅町、それから、仲町、広小路寄りの各町。


池之端仲町は、先に書いたように、春日通りがないので
広小路から、本郷方面へ行くための本通りであった。
ここには、現代でも江戸から続く、組紐の道明、
薬の宝丹、その他江戸からの老舗がなん軒もあり、
間口の大きい呉服屋、というようないわゆる大店はないが
洒落たもの、高額のものを売る店舗。
それから、不忍池側は、今は仲町の通りにあるが
蕎麦やの蓮玉庵、あるいは、うなぎの伊豆栄も
江戸の創業で、不忍池の中を含めて、料理屋、
食いものやの類は、この界隈、数多くあった。


また、広小路は小屋掛けの、見世物、飲食店、
楊弓、講釈場などなどが建ち、雑踏をきわめてもいた。
江戸でも指折りの盛り場、といってよかろう。


こんなことを背景に、あったのが岡場所。


この地図の範囲外だが、上野山下、といわれたところ。
ちょうど、今の上野駅前、ガード(じゅらく)のあたりは
提灯店(ちょうちんだな)という名前で、
いわゆる岡場所(私娼)、で、このあたりの代表格であろうか。


その他にも、広小路の両側、路地を入った裏には
そこここに岡場所はあり、まとめて、ケコロ、などと
呼ばれていた。


山下はどちらを見てもよりなんし


と、こんな川柳もあった。


場所柄、上野寛永寺関係の坊さん達も
いいお客であったともいう。


しかし、わかっているのは、このあたりまで。
岡場所ではなく、芸だけを売る、いわゆる芸者が
このあたりにいたのかどうか、これが、よくわからない、のである。


いや、史資料の類に出てこない、というのは、
なかった、ということなのかもしれぬ。


明治になり、制度として、芸者と娼婦を明確に分ける
芸娼分離というのが行われた。
つまり、江戸の頃は、吉原と品川などの四宿以外の娼家は、
すべて、非合法であったわけである。
三味線も弾けば、枕の相手もする、という。
商売として分かれていなかった、のが普通、と、
考えた方がよいのかもしれない。


その中でも、柳橋は、芸本位、というのを看板にしていた
というのは、一般にいわれていた、というが、そういう
意味では、柳橋が例外中の例外であった、ということ
かもしれぬ。


まあ、そんなことで、この界隈、江戸の頃は、岡場所や
料理屋が混在しお姐さんはいた。
そうした業態が、明治になり、三業地、芸者町として指定されて、
お上によって(芸娼分離が)明確に定められた、ということ
なのであろう。


そんなことで、麺屋げんぞう。


春日通り、切通し坂に向かって、湯島の信号の
手前、左側の路地裏。
その下谷花柳界の流れの、密集したクラブ街の中。


カウンターのみ、広さは、全部でも2〜3坪であろうか。
まだ30代(?)、お兄ちゃん一人。
おそらく、小料理やのあとに、居抜で、入ったのであろう。


できたのは、そう古くはなかろう。
ここ2〜3年ではないか。


前に一度来ている。


塩ラーメンが看板。


塩ともう一つ、なぜだか、担々麺もある。


今日は、それ。





なかなかうまい。


けっこうこってりしているが、これは芝麻醤・胡麻ペースト
ではなく、スープからのもののよう。


辛味もそこそこ強く、全体としてもまとまっている。


塩と対照的だが、うまい担々麺。



お兄ちゃんは、福島のいわき、のご出身のようで、
ガンバッペ、のTシャツを着ている。



まだ、小っちゃな店だが応援したいものである。






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