浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



二日酔いで担々麺

4月21日(木)昼



さて、さて。



とうにも、バタバタした生活が
続いている。


仕事も立て込んでおり、移動も多く、
また、歓送迎会的なものもあったり、、。


昨日も若干の呑みすぎ。
それほどひどくはないが、二日酔い。


朝は、拙亭近所の小島町、清洲橋通りと、
春日通りの交差点角にある、路麺、アズマで、
春菊かき揚げのそば。


柏の事業所でAMは会議。


昼飯は、なににしようか、考えたのだが、
二日酔いには、辛い汁物。


と、くると、麺類が二食続くが、担々麺。
もうこれしか、ないであろう。


しかし、担々麺というもの、今では、
そうとう一般的な中華のメニューになっているが、
考えてみると、これは最近のことである。


むろん子供の頃には、なかった。


初めて食べたのは、いつ頃か。
思い返してみると、大学生の頃、で、ある。
もうかれこれ、30年近く前になろう。


当時私は、筑波大学の学生で、、
いまのつくば市(当時は桜村)に住んでいた。


今は、つくばは、TXが開通しているので、
東京から通うことができ、大学でも実際に通っている人もあろうが、
当時は、常磐線しかなく、学生は皆、大学の宿舎や、
大学周辺のアパートに住んでいたのである。


その頃、確か、西武百貨店が開業し、そこのカウンターだけだが、
中国人がやっている中華やがあり、そこで食べたのでは
なかっただろうか。


そもそも、担々麺は、中華でも、四川料理
いわれている。


しかし、ご存知の方も多かろうが、
本当の四川料理の担々麺というものは、
汁なしの和えそばで、辛いラー油や、
中国の山椒、花椒(ほわしゃお)が入り、
それこそ、油そば、のようなものである。


日本人にはそうとうに辛いもの、ではある。


日本の四川料理といえば、あの陳建民先生であるが、
先生が、麻婆豆腐同様、日本人向けにアレンジし
今のような汁そばにした、という。


しかし、なんとなく、これには、釈然としないものがある。


麻婆豆腐というのは、少なくとも
私の子供の頃、昭和の40年〜50年代にはもうあった。
学校の給食だったり、丸美屋の麻婆豆腐の素だったり、
で、ある。


そこから、担々麺が一般的になるのに、少なくとも、
10年、あるいは、15年程度は経っていることになる。


まあ、方や、家庭のおかずになる料理で、
方や、家庭では作らない、ラーメンのメニュー、
という違いはあるかもしれぬ。
(麻婆豆腐がなぜ、日本の家庭に一般化したのか
は、確か、陳建民先生が、NHKの今日の料理に出て、
広めた、ということであったと思う。)


そうすると、もしかすると、陳先生の四川飯店や
そのお弟子さん達の四川料理店では、担々麺は
あったのかもしれぬが、やはり、それほど
一般化はしない時期が長くあった。
そういうことかもしれぬ。


思い返してみると、私の学生時代、昭和の60年代は、
バブルのチョイ前、で、あるが、そろそろ、
エスニック料理というようなものが、流行り始める頃
ではなかったか。


このころ、担担麺が現れ始めたのは、
そんな背景が考えられるような気もする。


そして、東京などで、ほぼ一般的になるのは、
その後、やはり、5〜6年程度はかかっているかもしれない。


はしご、なんという担々麺を看板にした、
チェーンもできたし、普通の中華料理店で
四川料理の店でなくとも、置くようになっていった。


では、担々麺というのは、どういうものか。


しょうゆベースのスープに芝麻醤(ごまペースト)が入り、
麺の上に、豆板醤で辛めの味付けがほどこされた
豚挽き肉の肉味噌を載せたもの、ということになる。
このレシピは、陳先生が作ったのかどうかは
わからぬが、定番の担々麺レシピはこんなところであろう。


これがなぜこれだけ日本で一般化したのか。


エスニックブームをすぎて、辛さに日本人が
慣れてきたこと。


そして、こってりとした、胡麻ペーストのスープ。
これが、うまい、ということか。


陳先生の作品なのかどうかはわからぬが、
なかなかな、発明ではあったと思われる。


ま、ま、そんなこんなの
担担麺。


柏の某チェーンの中国料理店。





(と、いっても、写真を見れば歴然だが。)



胡麻



二日酔いには、汗をかいて、、、。


担担麺。


うまいもの、で、ある。