10月16日(土)
さて。
10月分の『講座』。
芝、大門のりそな銀行前で集合し、
歩き始める。
大門は増上寺の総門、なのであるが、これは後回しにし、
浜松町方向に。
より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き10月 を表示
大門の交差点。
これは、第一京浜。
日本橋から京橋、銀座、新橋とつづく、
東海道の本道は、ここを通り、札の辻、高輪大木戸、
品川宿へ向かっている。
第一京浜を新橋方向に曲がり、しばらく行くと、
左側に入る道があり、大きな石の碑が建っている。
これが、芝大神宮(だいじんぐう)の参道。
芝大神宮は、通称、芝神明(しんめい)。
参道は真っ直ぐ続き、鳥居があり、石段と、神明様の
本殿が見える。
芝の神明様を知っている方は、おそらく今はそう多くはないであろう。
この界隈、きれいなオフィス街。
そのビルに埋もれるようにしてここに鎮座している。
江戸の頃は芝を代表する、神社。
門前は、この界隈では、名代の盛り場であった。
今、皆さんは、芝といえば、なにを思い浮かべられるであろうか。
東芝?。東芝は元は東京芝浦電気で、さらにその前身が芝浦電気。
芝浦とは、芝の前の浅瀬。(芝浦は東芝の発祥の地ということになる。)
そして、その昔は、芝海老が獲れたところ。
落語好きならば、芝浜?。
「芝で生まれて神田で育ち 今じゃ火消しの纏持ち」
なんという文句もあり、その昔は、江戸っ子を代表する
ところで、生粋の下町といってなんら問題はない。
まったく、今のこの界隈からは、想像もできない。
で、その中心といってもよいのが、この神明様、なのである。
お祭は、私の住む浅草や、神田界隈とは違い、9月。
祭期間が長いので、だらだら祭、という。
生姜が名物で、縁起ものとして売られる。
あるいは、千木筥(ちぎばこ)といって、木で作った、
小さな曲げものの箱を三つ重ねた子供のおもちゃのようなものを
売っている。
(東京近郊でもその神社固有の縁起物がいろいろある。
お酉様の熊手などは、その代表であろう。
きっと、以前は、近郊の農家の副業であったのであろう。)
この神明様の歴史は古い。
平安の頃までさかのぼるという。
お祀りしているのは、伊勢神宮と同じ、
アマテラス・オオミカミと、トヨウケビメ。
関東のお伊勢様とも呼ばれた。
ちなみに、神棚は、大神宮様と呼んだりするが、
これは、伊勢神宮の神様をお祀りしていることが多いから。
落語好きの方なら、富久、なんという
噺を思い出されはしまいか。噺の中で買った富くじを
神棚に供えるが、ここで、久蔵は神棚を、大神宮様のお宮、
と、いっている。
ともあれ、そんなことで、芝大神宮なのである。
さて。
この浮世絵「江戸自慢三十六興」というものの内の
「芝神明生姜市」。三代国貞、二代広重の合作。
年代は1864年(元治元年)で、幕末もどん詰まり。
京都では蛤御門の変やら、池田屋事件、勝海舟が
神戸に海軍操練所を設立した年。(海軍操練所は、
坂本龍馬が塾頭であったが。)
そんな世相と関係あるのかないのか、
参道にきれいなお姐さん(おそらく芸者さん)二人。
右側には生姜市の生姜が描かれている。
今の、谷中生姜といわれているものである。
そして、左後ろ「太々餅」という暖簾が見える。
これは神明様門前で名代だったもの。
今は、影も形もないが、明治以降もあったらしい。
石の鳥居をくぐって、参道の石段を上がると、
左右に一対(いっつい)の狛犬がある。
この台座には、手前側の面に大きく「め組」と彫られている。
「め組」とは、時代劇、暴れん坊将軍でもお馴染みの
ご存知、江戸町火消しの「め組」。
江戸町火消しは、いろは四十八組、などというが、本所深川の
十六組を加えて、全体では六十四組。
彼らはご存知のように吉宗の頃、町奉行大岡越前によって
作られた。それぞれ組によって、持ち場の町が決まっていたが、
「め組」は、この界隈。
この狛犬は「め組」が寄進したということ。
そして、神明様と「め組」は、なんと、歌舞伎芝居の
演目にもなっている。
「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」、
と、いうもので、別名「め組の喧嘩」。
(これを談志家元は落語にもしている。)
1890年(明治23年)新富座初演。
作は河竹黙阿弥の弟子、竹柴基水。
一部、黙阿弥の作の部分もあり、七五調の美文の台詞も聞きどころ。
なのであるが、
実は、これ、1805年(文化2年)、実際に芝神明境内でおこった、
町火消の「め組」と相撲取りとの喧嘩を下敷きしているのである。
といったところで、今日はここまで。
つづきはまた来週。