浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



銀座・新富寿し その1

12月23日(水)天皇誕生日



昨日も忘年会、ではないのだが、呑み会で、
なんだかんだ、やっぱり、呑む機会が多い。


またまた、ちょいと、残っている、朝。


第一食は、箱根で買ってきた、酒盗を飯にのせて、
ねぎのみじん切りをまぶし、湯をかけた、湯漬。


昨日の呑んでいる席で、
酔った勢いと流れで、落語をすることになってしまった。


仕事納めの日、どこの会社でもそうだと思うが、
オフィスで納会。皆で、軽く呑む。
そこで、やれ、ということなのである。


このところ、少しご無沙汰。
すぐにできる噺、といえば、第一回の断腸亭落語会
でもやった、黄金の大黒、か。
稽古をしなくては、、、。
(いや、思い出さなくては。)


と、もう一つ。
先週の、末広町の花ぶさ、で、書いたが、
今まで理由(わけ)あっていっていない、
なんとなく、いきそびれている、池波先生が
行きつけであった店へ、いってみなくては、という
課題。


で、今回は、銀座、新富寿し。


そうである。
落語の稽古方々、銀座まで歩いてみよう。


と、いうことで、やっと酒も抜け始めた、12時前、
黄色いダッフルコートにマフラーと、着込んだ姿で、
出る。


今日は、さほど寒くないのか、歩き始めて
しばらくすると、暖かくなってきて、
マフラーを手に持つほど。


ルートは、裏通りだが、基本は、清洲橋通りから、
靖国通りを渡り、Y字路を右、あとは中央通りに沿って
真っ直ぐ。


途中、日本橋で、一休み。


丸善をのぞいたりしながら、銀座へ着いたのは、
1時。
(稽古はしたのだが、やはり、久しぶりで、
口が回らない。28日の仕事納めまで、がんばらねば。)


銀座、新富寿し、というのは今さら私が書くまでもなく、
池波正太郎行きつけの鮨や、と、して、あまりにも有名。
池波ファンの方であれば、先刻ご承知であろう。


様々なところに書かれているが、
先生が、小学校を出て株式仲買店の小僧になった時分から
いっていたところ。


その頃、先生が食べ終わり、くわえ楊枝で店を出ていきかけたら、
若いうちから、そんなことをしてはいけません、と、店の
親方に注意をされた、と、いう。
昔の東京には、そんな男のマナーを教える大人が
沢山いたものであった、と。


その池波先生に説教をした親方も先生がエッセイに
書かれた頃には既に故人。
今は、むろんのこと、代替わりをして、大分経っている
のであろう。


新富寿し、というくらいで、新富町、なのかと思うと、銀座。


大正の初めの創業という。
その当初は、新橋にあり、その時の親方が、
富太郎という人で、新橋の富太郎で、
新富寿し、ということだそうな。


場所は、五丁目。
銀座四丁目の交差点、日産ショールームの角から、
築地側に一本目の路地(あづま通り)を入り左側、ビルの一階。
ちょうど、銀座コアビルの裏、で、ある。


年中無休、11時半から、通しで営業。
21時閉店。
通し、で、と、いうのは、昔ながら、ということであろう。


お、あった。


臙脂(えんじ)色の暖簾に白抜き文字で
新富寿し。


暖簾を分けて、自動ドアが開いて、入る。


手前からずーっと奥に、白木のカウンター。
職人は二人。先客は、奥に、呑んでいる初老の
男性が一人。


年配の奥の職人が、親方、で、あろうか。


手前の若い職人が、目の前の椅子を指し、こちらへどうぞ、と。


座って、どうしようか、考える。


軽く、一人前、か、な。


お飲み物は、なにか?


またまた、悩む、、、。


元浅草から、銀座まで歩いてきて、
やっと酒が抜けた、のであるが、、、


やっぱり、、ビール。
一番少なそうな、生のエビス。


なにか、つまみますか?


にぎって、、、


お好みで?それとも、おまかせで?


うーん、と、、じゃあ、
一人前。


はい。


と、いうことで、生がきた。


カウンターの上、向う側は、広い昔風の付け台。
ネタケースは平らなガラスケースだが、
冷蔵庫ではなく、下には氷を入れてある。
むろん、きれいにしてあるが、
見た感じ、これも年季が入っていそう。


生ビールを呑みながら、待つ。


八割方呑んだところで、一気に、出てきた。


まぐろ赤身、鰹、しまあじ、すみいかから、
付け台に置かれる。


ニキリはつけられていない。


しょうがは、カウンターに、ふた付きの陶器の器に入れて
置かれ、そのふたの上には、小さめの取り箸が揃えて、
置かれている。


ふたを開けて、箸で取って、付け台に置く。


と、あ!、と、止められた、、。


皿に取ってください、とのこと。
ここの付け台には、受け、がないので、
付け台に置くと、しょうがの酢が流れてしまう、
と、のこと。


なるほど。


ともあれ。


どれもうまい、が、すみいか、が、ピカイチ。


続けて、穴子、いくら、かっぱ 玉子。


これで、一人前です。


玉子は、だし焼き、ではなく、
昔風(カステラ式)のものに、包丁目を入れて、
酢飯をはさんだもの。


穴子も柔らかく、うまい。


親の敵のように、バクバクと、食べる。
エンジンがかかってきた。


なんとはなしに、様子見、ではあったが、
やっぱり、追加で食べよう。


光りものがなかった。
なにがあるかと聞くと、


小肌、鰯酢〆、鯵は生と、酢〆。
鯖酢〆、春子、生のさより。


ほう、光りものは豊富。
それも、〆てあるものが大半。
なるほど、江戸前スタイルを続けている
と、いうことか。


じゃあ、小肌と、鰯。


と、出てきた小肌。
魚が大きく切られている。


先ほどの、一人前では気がつかなかった。


例の酢飯とたねのバランスの問題。
ここは、たねによって変えているようだが、
基本は、酢飯が小さく、魚を大きく切り、
にぎっているよう。


酢飯の存在感を求める、美家古から鶴八、しみづ、
などの流れとは、また違うもの、で、ある。


鰯も大き目。
そして、〆具合も強め。
これも、江戸前


うまい。


続けて、春子も。


春子も〆具合は、強め。


白身はなにがあるか、聞いてみる。
先ほどの、しまあじ、平目、それから、鰤。


鰤と中トロを頼む。


鰤もよいし、中トロもよい。


にぎっている職人と、奥の親方と、よくよく見ると
顔が似ている。親子、で、あろうか。
(と、すると、三代目と、四代目?)


二人とも、ほとんど余計な無駄口はきかない。
その上、親方の方はそうでもないが、私ににぎってくれている
若い職人は、怒っているのかと思えるくらいに、
ニコリともしない。
これが、新富寿しに受け継がれている、雰囲気、
あるいは店の風(ふう)、ということであろう。


音楽もなにもなく、寡黙な職人。
淡々とにぎり、お客も淡々と鮨をつまむ。


従って、常連も一見(いちげん)も関係なしに扱う、と、
いうことであろう。


だが、知らないと、多少の、気詰まり感は
ある、かもしれぬ。


と、いったところで、腹も一杯。
お勘定。


8000円也。
(一人前は、3150円のようなので、
結局、昼のおまかせ価格、に、なっていたか。)


ご馳走様でした。


ありがとうございます。


と、さっくりと出る。




といったところで、だいぶ長くなった。



今日はここまで。
次回は、今年の鮨、総括の意味も込めて、
新富寿しについて、考えてみたい。





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