鮨・新ばし・しみづ その1
6月23日(土)夜
さて。
土曜日。
今日はこのところ、行こうと思って行けていなかった鮨。
土曜なので、久しぶりに、新橋の[しみづ]。
頻度としては、日本橋の吉野の方が多いのだが、
こちらは土曜は夜はやっていない。
昼前にTELを入れ、五時に予約。
今日は、着物を着る。
なぜ、ということもないのだが、
たまには着物も着たい。
蕎麦やだの、鮨やであれば、着物を着ていって
よいであろう。
六月は単衣(ひとえ)。
昨年九月まで一年半やっていたNHK文化センターの
『待ち歩き講座』では着物を着ていくことに決めていた。
そのお陰で、夏冬一通りのものは、安物だが揃っている。
四時半前、内儀(かみ)さんと出る。
稲荷町から銀座線に乗って新橋まで。
降りて、地上に上がり、SL広場の前を通って、
烏森神社の路地へ入る。
神社の前を左に曲がり、次を右。しみづは左側にある。
ここはご存知の、烏森の小さな呑みやが密集している一画。
夏向きに白い麻の暖簾。
同じく、桟に簾の入った格子を開けて入る。
5時からの開店のはずなのだが、もうカウンターには
奥から先客二組。
その二組の右側、真ん中に座る。
今日は少し涼しいが、単衣ものとはいえ、着物の場合、
下着、襦袢、着物、羽織と四枚も着ているので、
歩いてくると、汗が出てくる。
扇子でパタパタ。
ビールをもらう。
ここは、サッポロの黒ラベル。
あまり今は見かけなくなった。
薄手でシンプルだが、大きめのグラス。
なぜ大きいのか、以前に親方に聞いてみたら、
チマチマ呑むのいやじゃないですか、と。
確かに、ここにくると、ビールはガンガン呑んでしまう。
つまみを、一つ二つ、と、頼むと、
三つでもいいですか?、と親方。
もちろん、OK。
その前に、お通し。
しらすおろし。
生、ではない。
茗荷なども入り、さっぱり、さわやか。
つまみは、かつお、鰈、たこ。
塩と、かつお用のたれの皿もきた。
かつおは腹側で見た目にも脂がありそう。
食べてみると、この季節らしく、くどくない、
さっぱりとした脂。食感もよい。
鰈は、まこがれいであろう。
これは塩で。
比較的厚めに切ってあるので、弾力があり、
うまみが濃厚。
ここのたこは、いわゆる江戸前の桜煮に近いもの。
皮がほろっと柔らかく、あまみがある。
ビールから冷酒に。
にぎりもおまかせで。
最初はきす。
〆たもの。
久しぶりにここの握りを食べると、
赤酢で色のついた酢飯が、あ〜、ここはこれだったぁ〜
と、思い出される。
赤酢というのは、今はほとんど作られていない酢だが、
にぎり鮨が江戸で生まれた頃、使われていたもの、という。
酒粕が原料で、当時は安いので使われていたよう。
味が濃い。
酢で〆た、きす、というのを握っているのは、
東京でもそう多くはないと思う。
この[しみづ]、の親方は、[新橋鶴八]で修行をされた。
[新橋鶴八]の親方は[神田鶴八]の、出身。
さらに[神田鶴八]の先代親方は、[柳橋美家古(みやこ)鮨]の出身。
しめて、柳橋美家古の系統と呼んでよかろう。
それから、私が知っているのは、天神下の[一心]、
ここも柳橋美家古系。
[柳橋美家古鮨]は、にぎり鮨が生まれた、
江戸文化文政期に創業がさかのぼれる鮨店のうちの
一つ。
で、今挙げた店では、きすを〆たものをにぎる。
私は、にぎり鮨の場合、すべて古ければよい、という
懐古趣味というのか、江戸前至上主義、というわけでは
ないのだが、古くてもよいところは残してしかるべき、と
考えている。
最大のポイントは、酢飯の割合が大きいこと。
これは、にぎり鮨の場合必須のように思う。
にぎりの鮨が生まれた頃は、それこそおにぎり
くらいの大きさであったという。
それが段々に小さくなってきたわけだが、
問題は、上に載る魚(種、ネタ)とのバランス。
今(大正の頃からあるらしいが)、酢飯から魚を
長く伸ばして握る店がある。これは、いけない。
種が大きい方が、うれしいだろう!、と考えて
こう握っているのであろうが、そんなに魚が
食べたければ、刺身で食べればよい。
にぎり鮨には、酢飯と握る、ということに
意味があるのである。
ほんの短時間だが、酢飯と魚を一緒に握ることで
アミノ酸の量が増えるという。
つまり握った方が、うまくなる。
実際に食べても酢飯とにぎった方がうまい魚は
わかるものもある。
小肌、穴子、などは典型である。
このため、適切なバランスが必要なのである。
酢飯が大きいとすぐに腹が一杯になってしまうので、
酢飯と魚のバランスはそのままに、全体を小さくする。
しみづにしても、鶴八、一心など、この系統は皆、こうしている。
銀座の久兵衛などもそのようで、東京の鮨やでは、やはり、
少なくはない。
明日につづく。