浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



渋い茶

dancyotei2007-07-16

『俺(お)りゃぁ、恩にゃかけねえ。


いいかい。


恩にかけるわけじゃねーが、そうじゃねーか。


いつまで、家に置いてもしょうがねーから、


婆(ばあ)やぁを付けて、こうして一軒、所帯(しょてぇ)を


持たしてやって、旦那体(だんなてい)の来たときには


“渋い茶”の一杯(いっぺえ)も汲んで、羊羹の三切れも


切りゃぁ、二分(にぶ)の祝儀がもらえるようになったのは、


誰のお陰だ、手前(てめえ)!』


圓生百席(8)おみき徳利/お若伊之助


これはなんだかお分かりになろうか。
落語の一節、で、ある。


三遊亭圓生師匠の「お若伊之助」という噺、で、ある。
根岸の回に書いたことがあった。)


少し長い噺で、落語というよりは、怪談噺、に近いかもしれない。


話は、ある商家の一人娘のお若が、一中節(浄瑠璃の一種)を習いたい、
というので、出入りの、に組の初五郎という
鳶頭(かしら)に師匠の世話を頼む。


鳶頭は、以前から面倒をみていた、伊之助、という若い師匠を
紹介する。伊之助は年は二十六でいい男。お若は十八。
二人はあっという間に、できてしまう。


驚いたお若の母親は、伊之助に手切れ金を出し、手を切らせ、
お若を、根岸で町道場を開いている叔父さんのもとに預ける。
剣術の道場ならば、安心であろうと思っていたのだが、
なんと、そこに、また、伊之助が夜な夜な、現れ、
お若は、とうとうおなかが大きくなってしまう。


気付いた叔父さんは、その場で切って捨てようかと思うが、
一応、間に、鳶頭が入っているから、というので、
初五郎を呼び、手が切れているのに、どういうことかと、
問い詰める。


聞いた鳶頭は、根岸から両国の伊之助の家まですっ飛んできて、
伊之助に問いただす。


冒頭は、その問いただしているところであるが、
お前を世話してやって、
『一軒、所帯を持たしてやって、
“渋い茶”の一杯(いっぺえ)も汲んで、、、』
と、いうことになるのである。


今日のテーマは、この、渋い茶、なのであるが、
ここまでストーリーを書いて、後が気になる方もおられよう
最後まで、書いてみる。


話を聞いてみると、伊之助は、
一切、お若のところへは行っていないという。


それが本当なら、というので、今日も来るだろうから、
叔父さんは鳶頭も誘い、その夜、寝ずに、張り番を、する。


と、伊之助が、確かに、来た。


叔父さんは、おもむろに鉄砲を取り出し、
ズドーンと、伊之助を、撃つ。


「あー、、」と、鳶頭は目を覆う。
「よく見ろ」と叔父さんにいわれて見ると、
撃たれたのは、伊之助ではなく、
なんと、毛むくじゃらの、狸であった。


お若が恋焦がれる、伊之助に化けて、
年ふる狸が、毎夜、お若のもとに来ていたのであった。


お若は、しばらくして、双子の狸を産み落とし、
御行の松のかたわらに、塚をこしらえて、葬った、
と、いう、根岸御行の松、因果塚の由来という一席でございました。


なかなか、すごい話、で、あろう。
明治の落語中興の人、三遊亭圓朝作といわれているが、
圓朝作には、怪談噺も多く、こんなグロテスクな噺もある。


噺の笑えるところは、冒頭のような鳶頭の啖呵というのか、
言い立て部分である。
全体としては暗い噺だが、爆笑、ということはないのだが、
それでも奇妙にバランスが取れていて、不思議な雰囲気を
醸し出し、筆者は、この噺、好きである。


余談なのか、本題なのか、わからなくなってしまった。


「渋い茶」、である。


結論からいうと、筆者、「渋い茶」、が好きなのである。


『旦那体(だんなてい)の来たときには
“渋い茶”の一杯(いっぺえ)も汲んで、、、』


というのは、どういうことであろうか。
「茶の一杯」、ではなくて、わざわざ「渋い茶の一杯」と、いっている。


「茶の一杯」といえば、随分軽い感じになる。
「渋い茶」といった方が、ちょっと雰囲気が出る、そういうことであろう。


お茶、というのは、一般的にというのか、全国的には、というのか、
あまり渋く淹れないのが、作法、と、聞いたことがある。


筆者、まったく知識がないのだが、いわゆるお抹茶の茶道、ではなく、
挽いていない茶葉(煎茶)を使う、煎茶道というのがあるようである。
その煎茶道のお茶の正しい淹れ方は、熱い湯ではなく、少し冷ました湯で
玉露、などは、甘みをたのしむ、という。


「渋い茶」というのは、東京の習慣、で、あろうか。


それも、舌がやけどするくらい、熱くして、濃く渋く淹れる。
東京の鮨屋のお茶は、ずばり、これ、で、ある。


最近は、鮨屋のお茶、というようなネーミングで
粉のように挽いて、すぐ濃く淹れられるお茶も売られている。


また、ペットボトルのお茶では、筆者はほとんどこれしか買わないが、
伊藤園が出した「濃い味」というのも、売れているようである。
今、「渋い茶」が、好きな人も、少なからずいる、のであろう。


しかし、どうも、お茶、というものは、よくわからない。


筆者、年齢の割には、かなりお茶というものが好きであろうと思う。
家にいれば、ほとんど、ずっと切れ目なく、飲んでいる。
したがって、拙亭のお茶の消費量は多い。


スーパーでお茶を買うわけであるが、購入基準というのか
どれを買ってよいのか、よくわからないのである。


皆様はどうされているだろうか。


お茶の場合、ブランド、というのもあまりないのではなかろうか。
東京では、先の伊藤園、それから丸山園、というのがよく聞くが、
必ず、どこのスーパーにもある、ということもなく、
知らないブランドの方が多いように思われる。


あるいは、種類。
玄米茶や、ほうじ茶は明らかに違うからわかる。
また、葉っぱが少ない、くき茶、と書いてあるのも
安いので、わかる。先の、鮨屋の、、、というのもわかる。


それ以外の、普通のお茶っ葉、と思われるものでも、
なん種類も売られているが、種別というのか、表示というのか、
あるのだか、ないのだか、よくわからない。


わからないから、なんとなく価格を見て買っている。
高くもなく、安くもなく、おおかた、100g600円〜
800円くらい、で、あろうか。1000円は出せない。


それでも、この値段帯の中でも、随分と、
当たり外れ、うまい、まずいがある。


以前に、豆腐のことを書いた。


値段と味が必ずしも一致しない。
豆乳の濃さやら、なんらか品質の基準、というものが
あってもよいのではなかろうか、と。


お茶の場合、どうなのだろう。


筆者のように「渋い茶」が飲みたい者もいれば、
作法通り、ぬるめのお湯で、甘みを楽しもうという人もいて、
それによって、選ぶべき葉っぱの種類も違うのかもしれない。
このへんも、もう少し、基準なり、わかりやすい表示など
どの商品、ブランドでも同じように書いてもらえないだろうか。


また、関連するのだろうが、品質の良し悪し、
いったい、価格の差が、なんの差なのか、
これもわかりにくいと思うのだが、、。


豆腐にしても、お茶にしても、日本の伝統のものであり、
お茶は、業界も古く、その商習慣も昔からのものがあるようだ。


お茶は、問屋商売で、例えば、静岡茶、といった場合
これは、産地表示ではなく、ブレンドして、包装されたところ、
問屋の場所でよい、とも聞いたことがある。
こんなことすら、一般には、わかりずらい。


昔からの習慣は習慣で、別段、四角張ったことをいうつもりもないが、
もう少し、わかりやすく説明できないものだろうか。