浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浦里

4月27日(木)夜


さて、浦里(うらざと)、で、ある。


と、いってもなんのことやら、わからない。


では、落語マニアの方へ問題。


浦里といえば、花魁の名前。
では、浦里花魁(おいらん)が出てくる噺は?


1.盃の殿様


2.五人廻し


3.明烏


(答えは文末に。)


ともあれ、今日の主題は落語ではない。


またまた、池波レシピである。
今日は、鬼平でも剣客でも梅安でもない。


ちょっと珍しいが、「その男 1 (文春文庫 い 4-23)」という作品。


舞台は幕末から明治。主人公は直参の剣士、杉虎之助。
幕臣であり剣家でもある伊庭八郎、薩摩の中村半次郎や、
そして、西郷隆盛まで登場する。
なかなか、好きな作品である。未読の方、是非、お勧めする。


池波先生には、伊庭八郎を主人公に描いた


幕末遊撃隊 (集英社文庫 い 8-2)


「幕末遊撃隊」という作品もある。これも好きである。
この作品も「幕末遊撃隊」同様で、なにが好きなのかというと、
江戸生まれ、直参(じきさん)の武士、の目から、
幕末と明治を描いている、ところなのである。


多くの幕末物の時代小説が描くのは、当然ながら官軍である薩長だったり、
せいぜい新撰組。江戸生まれの幕臣達から書かれた作品というと、
ほとんどなかろう。(まあ、勝海舟もの、はあろうが、彼は別格。)


そんな中で、この作品、「その男」や「幕末遊撃隊」は希少である。


江戸生まれの幕臣は、明治以降、敵(かたき)役であり、敗北者。
むろんのこと、その後の時代の中で、
現代まで日が当てられたことはなかろう。


筆者などは、東京で生まれ育った者として、やはり、これは寂しい。


もっというと、こうした扱いは平成の現代に至っても、続いている、
と、いうと話が飛躍しているようだが、少なくともそう筆者は思っている。
江戸らしさ、東京らしさというものを、声を大にして叫べない。
いや、叫ぼうというような者は、少数派なのである。
(複雑なのは、そういうことをいうのは野暮である、という美学
(これは敗北の美学、である。)まで、東京人は持っているのである。)


日本橋の上には、依然として野暮な高速道路が走っている。
また、「東京って、田舎者の街でしょ」なんていう人もいる。
「そうじゃないんだよ。東京は東京人の街だよ。」
ほんとは、そういい返したい。
とても極端な言い方をするが、薩長政府の占領状態が、
今だに続いている、そんな風にもいえまいか。
今も江戸・東京の歴史や江戸人・東京人の心、がどんどん塗り潰されていく
東京は、江戸幕府が滅んで明治になった時から始まっている。
寂しき、わが故郷、東京。嗚呼。


筆が滑った。


ともあれ、江戸の幕臣、江戸人・東京人としての目で
幕末から明治の世の動きを描いた、この作品は筆者には、
とても大切なものなのである。
池波先生も江戸生まれの目から幕末明治を書くことに
意味を見出されていたのではないかと思うのである。


そんなことは、おいといて。
この「その男」に、ちょっと登場する、乙なつまみ、浦里。


そうなのである。浦里は花魁の名前ではない。
つまみ(おかずでもある)、なので、ある。


若干の引用をお許しいただきたい。




大根おろしへ梅干の肉をこまかくきざんだものをまぜ合わせ、


これへ、もみ海苔と鰹ぶしのけずったものをかけ、醤油をたらした一品で、


炊きたての飯を食べる


 この一品。名を〔浦里〕といい、吉原の遊里で、朝帰りの〔なじみ客〕


の酒のさかなや飯の菜(さい)に出すものだが、、」



「ちょいと、その、うまいものだ。」



池波正太郎著「その男 1 (文春文庫 い 4-23)」文春文庫(181〜2P)




敵方(あいかた)に作ってもらった、なんという
色っぽいものではない。今日は、腹下しの余波で、お粥。
それに、これを作ってみた。


作り方は、引用の通りである。
何回か作ってみたが、ポイントは、かつぶしを多目に入れるのが
よいのではないかと思う。





あまりよい写真ではないが、混ぜ合わせた後。






かつぶしを多目に入れ、しょうゆをかけ、よく混ぜ、
飯にかけて食べる。白胡麻などをふってもよかろう。


これはこれは。
なるほど、ちょいと、その、うまいものだ。






(答えは「明烏」でした。ちなみに「盃の殿様」は花扇(はなおおぎ)、
「五人廻し」は喜瀬川(きせがわ)。誰も知らないですね。)