さて、昨日は落語に登場する、商家の基礎知識を書いてみた。
今日は、落語の大きなテーマである、旦那vs若旦那、である。
いうまでもなく、やかましやの旦那と道楽者の若旦那の戦いである。
ちょっと、思い出すだけでも、「よかちょろ」「干物箱」「六尺棒」。
テーマは違うが、道楽者の若旦那が登場するのは、
「唐茄子屋政談」「舟徳」「たちきり」「湯屋番」「へっつい幽霊」、、。
むろん、まだまだ、あろう。
道楽者の若旦那、入り浸るのは、吉原、と、決まっている。
なかで、「よかちょろ」を例に挙げてみたい。
この噺は、桂文楽師が得意としていた。
また、現代では、立川談志家元が演(や)る。
おそらく、他に演者(やりて)はいなかろう。
本来は「山崎屋」という噺の一部である。
(先代林家正蔵師、三遊亭円生師あたりの録音が残っている。)
「よかちょろ」は、店の掛け(つけで売った代金)を取りに出た
若旦那がそのまま、お金を持って吉原へ。
何日も流連(いつづけ)し、久々に帰ってくる。
と、親爺(旦那)に呼ばれて、説教をされる。
筋は、こんなところである。
「金はどうした?」という旦那の問いに、若旦那はなにに使ったかを、
説明をしていく。ひげ剃りが五円、それは高い、という旦那。
若「あのね、おとっつぁんのいう、ひげ剃りってぇのとね、
私のジョリジョリとは違うんですよ。私の方は町内の床屋ではなく、
花魁(おいらん)の三階の角部屋(かどべや)で行いますんで。いとも厳粛に。
緋縮緬(ひぢりめん)の座布団を二枚重ねて敷いて、
その上に私がこう座ると、後ろへ床屋の若い衆がスッと、こう立つ。
前に百三十五円という、立派な姿見(すがたみ)があって、
ここに金盥(かなだらい)。ぬるま湯が入っている、というやつだ。
ここに花魁がいて、ここに新造衆(しんぞしゅ)がいる。
ここに豆どんが居眠りをしている。
で、猫がいたりいなかったり・・・。
私が花魁の部屋着を着て、扱き(しごき。帯の一種。)をグッとしめて、
こういったかたちになります。グッとね、反(そ)り身になるてぇやつで、
こういった感じ。うん、おとっつぁん。おとっつぁん。?
ごらんなさいよ。我が子の晴れ姿を!」
旦「見てますよー。」
途中であるが、
・このフレーズが可笑しい。
「猫がいたりいなかったり・・・。」
「見てますよー。」
そして、「よかちょろ、というものを買った」
これは、安くて儲かる。という。
喜んだ旦那が、それはなんだ?と、問い、若旦那は、わけのわからない、
“よかちょろ”という歌を歌う。
「女ながらにまさかのときは、ハッ、ハッ、よかちょろ、
ぬしに代わりて、しめだすき、よかちょろ、すいのすいの、
してみて、しっちょる、味ょみちゃ、よかちょろ、
ひげちょろ、パッパッ」
文章で書いて、この馬鹿馬鹿しさが伝わるだろうか。
これぞ、落語。すごいキャラクターである。
同じ道楽者の若旦那でも、ここまでブッ飛んでいるのは
この「よかちょろ」の若旦那以外にはあるまい。
また、枕なのか、噺の中なのか、定かではないが、
談志家元のものに、こんな、会話もある。
若「おとっつぁんは、わかってないんですよ」
旦「いや、俺は、わかってるんだよ。そのわかってる俺をつかまえて
わかってない、というお前は、わかってないんだよ」
若「いや、おとっつぁんねえ。おとっつぁんは、わかってない、ってことを
私はわかってるんですよ。ね。そのおとっつぁんがわかってないことを、
わかってる私を、わかってない、っていう、おとっつぁんは、
わかってないんですよ」
旦「いや、俺はねえ、お前がわかってない、ってことをわかって、、、
これ、なかなかの、傑作である。
旦那と若旦那、父と息子というもの、
この辺に真実があるのかも知れない。
まさに、落語は「わかってる。」のである。
「よかちょろ」。文楽師匠、それから、談志家元のもので
聞いて欲しい。
これぞ、落語の奥義、かも知れない。