浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その6前座、二つ目、真打、協会のこと、騒動


さて、前回は、落語家の着物の意味。
枕、噺そのもの、下げ、などについて述べてみた。
これで、落語の骨組み、のようなものは説明できたかと思う。


今回は、東京の落語家、落語界、について、ちょっと述べてみたい。

前座、二つ目、真打


東京の落語界には、身分制度がある。
前座、二つ目、真打、である。
(ちなみに、関西(上方)の落語界にはこうした制度はない。)

前座修行


少し、細かくなってしまうが、落語家のベースになるもので
やはり知っておいて欲しいことでもあり、書いておきたい。


まず、そもそも、落語家になろうと思えば、どうするか、である。
自分の好きな師匠に弟子入りをお願いし、引き受けてもらえれば、
弟子、となり、名前をもらい、前座、と、なる。

もともと、落語家は内弟子といって、住み込みが基本であった。
師匠の家へ住み込んで、掃除洗濯、師匠の鞄持ち、その他もろもろ、
寄席へ行っては、楽屋内の雑用、前回にも述べた、座布団を引っくり返す、
めくりをめくる、出囃子を演奏する、太鼓を叩く、などなど、
実に様々なことをしなくてはならない。
また、大事な仕事、文字通り、前座として、舞台の、初っ端(はな)の開口一番、
噺をすることができる。


しかし、現代は、ほぼ、内弟子という形を取っている師匠は
いないのではないだろうか。
ただし、住み込んでいない、というだけで、ほぼ同様の
仕事をしなくてはならない。
また、師匠にもよるが、前座は基本的には、バイトは禁止である。
(表向きには、という師匠もあろう。)
従って、収入は、ない。
師匠から、小遣いをもらう、だけ、である。
やはり、厳しい世界である。


そして、噺を覚える。


前にも書いたが、落語家は、師匠から弟子へ
口伝えで、噺を覚えさせる、というのが基本である。


まず、師匠は、三べん稽古(けいこ)といい、一対一、
差し向かいで一つの噺を話してくれる。
弟子は、憶えて、後日また、師匠の前でやる。
また、師匠がやってくれる。
これを三回。その間に、憶え込まなければならない。


現代では、ほとんどの師匠が、録音は可で、
師匠にやってもらうときに、テープを回す。


先に、前座の仕事をいろいろと書いたが、実は、現代では、
寄席の数も昔ほどなく、その割りに落語家の数は多い。


寄席が、四軒、ちょい。落語家は300人以上である。
一日あたり、一軒で、昼夜40人程度。四軒で160人である。
つまり、半分は出られないのである。
そこで、前座も寄席の雑用などには、さほど、必要がないのである。
そこで、実のところは、バイトの時間も出てくるし、また、
当然、落語を覚える時間もある。


では、録音などができなかった、昔は、本当に、三回で
憶えていたのか?という疑問も、起きる。
本当に、前に書いていたような、前座仕事を全部していた。
しかし、現代と比べると、落語との接し方が濃密であった。
住み込みであり、師匠とともに、寄席へ行き、
他の師匠の噺も聞くし、一日中落語に浸かっている、
といっても、過言ではない。
つまり、稽古などしてもらわなくとも、ベース部分は
自然に憶えてしまう環境でもあったのである。


また、基本は自分の師匠に教わるわけであるが、
許可があれば、他の師匠でも教わることは、許されている。
しかし、教わった噺以外は、たとえ憶えていても、
やってはいけない。
(それもあり、自分の師匠が憶えていない噺は、他の師匠に
教わりにいってもよい、ということになるのである。)


教わった噺以外はやってはいけない、というのは、やはり、
人から人へ伝える伝統芸能たるところ、である。
噺は飯の種である。
飯の種を教えてもらえるのは、有難いことなのである。


前座は通常3年〜5年。
評判と、師匠の許しで、二つ目、となる。
二つ目になれば、基本的には、一応の一人前となる。
羽織も着てよいし、口が掛かれば、どこで仕事をしてもよい。
(従って、バイトも可であるが、二つ目で、マックのバイトは
さすがに、しない。落語でなくとも、結婚式の司会など、など、
人脈次第で、仕事はあり、食えるようになる。)

協会


二つ目のあとは、真打、であるが、
その前に、協会について、述べなければならい。


東京の落語家のほとんどは、今、二つの協会のどちらかに所属し、
四つの寄席に出ることができる。
(所属していないと、寄席には出られない。)

落語協会
http://www.rakugo-kyokai.or.jp/

と、落語芸術協会
http://www.geikyo.com/

である。

真打は、大体が入門から10年程度で昇進する。
決めるのは、各協会の合議である。
やはり寄席での評判などを参考にする。


客観的な試験、基準などは、一切ない。


真打の話とは、ずれるが、簡単に、両協会の説明をしておく。


もともと、落語協会は古典、芸術協会は、新作、などと
いわれていた。


これは、前に書いた、志ん生文楽、円生をはじめ、小さん、など
いわゆる、古典派の大看板、


(おおかんばん。寄席に大きな看板を上げたことから、
名人と呼ばれ、その人の名前だけで、
客を呼べる人気のある噺家を大看板、と、呼んだ。)


が、みな、落語協会にいたからである。
現在、会長は、三遊亭圓歌。(ヤマノアナ、アナ、アナ、、、。の圓歌である。)


落語芸術協会は、筆者の年代であれば、
桂米丸春風亭柳昇、などが知っている範囲であろう。
現在の会長は、桂 歌丸歌丸さん、である。


落語協会、真打昇進騒動


もう随分前の話で、落語ファンの間でも、
もう忘れ去られたこと、かも知れない。


先に、二つ目の真打昇進は、協会で、決める、と書いたが、
騒動は、昭和53(1978)年、今から20年以上前、真打昇進会議で、もめた。
こいつは、いい、悪い、といったことで、ある。
結局、基準がはっきりしていない、というのである。


もともと、なんとなく、評判で決める、という、とても
日本人らしい、決め方、である。


もめて、どうした、かというと、
当時まだ、存命だった、大看板の円生一門が脱退。
その後、立川談志師が、会長でもあり、師匠でもある小さん師に
反旗をひるがえし、一門を引き連れて、脱退。
円生師没後、一番弟子の円楽師を頭に、円楽一門となり、円楽党として、活動。
談志一門は、立川流として、活動。
今に至っている。


このため、今でも、円楽一門と、談志一門は、東京の四つの寄席には
出られない状態が続いているのである。


しかし、もうこれも、20年。
どちらも、もはや、戻るつもりもなかろうし、
今更、今の寄席に出たい、とも、思わない、のであろう。

真打


さて、やっと真打のこと。


真打から、本当の一人前である。
ここから、晴れて、「師匠」と呼ばれ、弟子を取ることが許される。
真打昇進は、「看板を上げる」、と、いう言い方もする。
この看板は先の、大看板同様、寄席の看板のことで、その日のトリは
看板が、大きく、他の芸人とは別に掲げる。そこで、このようにいうのである。
(ちなみに、ここから、狭義に、トリのことを真打、と、いうこともある。)


真打昇進は、噺家にとって、大イベントである。
パーティーをやったり、昇進披露興行は各寄席を回る。
当然、この席は、昇進した新真打である当人が、初めてトリを取る。


しかし、、両協会ともに、このところ、これ、という
真打昇進は、いない、、。


(今週は、堅い話で、おもしろい話でもなかったかも知れない。
しかし、現代の東京落語の、一側面でもあり、また、基本的な
ことでもあり、入門編としても知っておいていただきたいことと思い、
書いた次第である。
来週は、もう少し、面白くせねば・・・。)