浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



カジバタ

4254号

1月8日(日)夜

さて、カジバタ。

カジキのバタヤキ

簡単でうまい。

浅草のOKストアで買ってきた。

これ。

セイシェル産、解凍。
インド洋ということであろう。
マグロも獲れればカジキも獲れる。

大きなものではないが、二枚299円。
そこそこ安かろう。

まだ凍っているようなので常温に置いておく。

カジバタはしょうゆに漬ける。
濃い味がうまい。

以前は3時間以上、と思っていたが、最近やっと
気が付いた。
味が染みるまで時間がかかるのは、解凍しきって
いなかったから。

生のものであれば、30分以上、1時間もあれば十分。

付け合わせは、洋食の王道、ポテサラにしよう。

カジキは寒いので常温でもなかなか中心まで溶けない。

やっと溶けたら、しょうゆ。

しょうゆは、酒も水も入れない生の濃口しょうゆ。

溶ければ1時間程度でよい。

じゃがいもは男爵。
三個洗って、ラップをしてレンジ加熱。

自動加熱をなん回か。火が通るまで。
加熱のしすぎもいけない。
大きさにもよって違うが、7~8分から10分弱。

熱いが触って柔らかくなってくるのはわかる。

7~8分レンジ加熱で布巾をかけて保温し余熱でも
加熱が進む。

串を刺して中心まで火が通っているのを確認。
熱いうちに、炊事用の手袋を左手にして包丁で皮をむく。

ちょっと包丁の刃できっかけを付ければ
スルスルと皮はむける。

ポテサラにはソーセージも入れよう。
細かく切って、フライパンで軽く炒める。
ポテサラは冷たいものなので、生のままでもよさそうだが、
やはりいちど加熱してから和えた方がうまい。

じゃがいもをボールでつぶし、炒めたソーセージを
加えて、マヨネーズ。
塩胡椒。
味見。
やはり濃い方が好きなので、マヨネーズが
増えてしまう。

よいかな。

カジキ。
漬かった。

しょうゆを切って、強力粉。

素手で触るとせっかくつけた粉がとれてしまう。
箸で。

側面を含めてしっかりつける。

フライパンにバター。

溶けたらカジキを投入。
中火。

ここでもまぶした小麦粉がはがれる危険があるので
注意しなければいけない。
表面もスプーンで溶けたバターをかけ、
早めに固める。

強火、ではなく、中火。
強すぎると、中心まで火が入らない。

狐色になってきたら、ひっくり返す。
反対側もよい色まで。

OK。

皿へ。
パセリをみじん切りして、散らす。

ポテサラも添える。

ポテサラはマヨネーズを入れすぎたか。
ちょっとベトッとしてしまった。

カジバタは、もう滅多に失敗はない。

濃いバターしょうゆでうまく焼けた。

ポテサラは、濃い味でよいのだが、この見た目
やっぱりちょっと油っこい感じ。
マヨネーズ増量ではなく、塩がよかった。
いつもはそうしていたと思うのだが。
濃い味目指して、マヨネーズばかり入れると、
こういうことになる。
反省、で、ある。

 

 

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国産牛サーロインステーキと里芋とねぎの含め煮

4253号

1月6日(金)夜

正月もそろそろ終わり。

お節に飽きたら、、、!・

肉。

ステーキにしようか。

いつもの浅草松屋の[日山]にきてみる。

あれ?、いつもの国産牛ヒレ、がない。

頼めば切ってもらえる。
以前には切ってもらったこともある。
出ているのは同じ国産牛だが、サーロイン。

毎度書いているが、サーロインは切り方が薄い。
どうしてであろうか。昔からサーロインというと
ここに限らず、1cmない厚さに切っている。
薄いと、すぐに火が通ってしまう。
これはウェルダン前提の厚みであろう。
ヒレは厚く切っているのに。
長さは半分でよいが厚く切ってほしい。

が、正月早々頼むのも面倒なので、薄いサーロイン、
買ってみるか。

付け合わせは、どうしよう。
雑煮用のゆでた里芋が残っている。
食べてしまわねばいけない。
ステーキにはちょいと妙だが、煮っころがし、か?。

肉。

同じ国産牛でもヒレよりも多少安い。

開けると、こんな感じ。

脂がそこそこあるよう。

[日山]は個体識別番号を表示している。

調べると、北海道産2歳2か月の雌。肉専用種と
乳用種の交雑種。
生まれは北海道広尾町、清水町に移動、7か月
育てられ、上川町へ移動、1年半。
だからどう、ということもないのだが。

里芋。そうである。

ねぎと煮ればよいか。

里芋とねぎの含め煮。
これ、池波レシピ、で、ある。

出典は「鬼平」(11)。「土蜘蛛の金五郎」。

三ノ輪の一膳飯や[どんぶり屋]で提供される。
お頭は、ひげだらけで垢くさい汚い浪人に身をやつし、
ここに通う。
この飯やが、実は、、、、。

池波先生は、里芋とねぎが不思議に合う、と
書かれている。

なん度も作っているが、べら棒に合うかと言われれば
そうでもないが、合うことは合う。
うまいもんである。

煮っ転がしは甘くした方がうまいが、これは
しょうゆと酒のみで、煮て、甘くしていない。
鬼平」には甘くないとは書いていないが、
これは私の判断。
甘くない方が、うまいだろう、と。

ねぎと里芋とは味が付くのに時間差がある。
里芋はゆでてあるが、先に鍋に入れ、酒としょうゆ。
ある程度煮〆てから、ちょっと大き目に切った
ねぎを入れ、煮る。
ねぎに火が通ればOK。

サーロインを焼く。
薄いがなんとしてもミディアム程度にはしたい。

強火で短時間であろう。

フライパンに軽くオリーブイル。
強火。

肉を投入。

強火で焼き目を付け、すぐにひっくり返す。

強火で反対側も焼き目を付ける。

付いたらすぐに火を止め、あげる。
塩胡椒。
切っておく。
切り口は、赤味が残り、意図通りには焼けたか。

皿へ。
里芋とねぎも添える。

里芋とねぎの含め煮と、国産牛サーロイン
ステーキ。
ちと妙ではあるか。

ビールを開けて、食べる。

肉にはしょうゆをかけようとも考えていたが、
塩胡椒で十分。

国産牛サーロインは柔らかく、脂も適度で
なかなかうまい。

里芋とねぎも、うまい。

里芋とねぎの煮物というのは、定番、かといわれれば
そうでもなかろう。
ただ、どちらもとても一般的な野菜なので
この組み合わせが逆に妙かといわれれば、それも
そうでもなかろう。
ちょいと不思議だが、うまいものである。

ともあれ。
サーロイン、厚く切ってもらえないだろうか。

 

 

 

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国立劇場初春歌舞伎遠山桜天保日記 その2

4252号

引き続き、国立の初芝居。

「遠山桜天保日記」。
作は竹柴其水(たけしばきすい)。

この芝居の初演は明治26年1893年)と書いたが竹柴希水は
主に明治に活躍した歌舞伎作者で、かの黙阿弥翁の弟子。
其水は黙阿弥の俳号。(ただ黙阿弥には三代河竹新七
継いだ五歳年長の弟子もいる。代表作は「籠釣瓶花街酔醒」
「塩原多助一代記」他。其水よりも作数は多い。)

其水の代表作は「神明恵和合取組」(め組の喧嘩)(明治23年
(1890年)初演)。これは黙阿弥との共作、監修付き。
明治17年1884年)から新富座の座付き立作者(たてさくしゃ)を
長く勤め、その後、左團次と組み明治座へ。この作品はその頃の
もの。大正12年(1923年)に亡くなっている。

ともあれ、作者の其水は黙阿弥のDNAを受け継いでいるといって
よいのであろう。(この話では善人・若旦那→小悪党化という、
前々回書いた黙阿弥お得意の人格変化の一部が見えている。)

ストーリーは落語、講談でいう政談ものなので、犯罪者がいて、
その捕り物があって、捕まって、お裁き、一件落着という
わかりやすい展開。
むろん、金さんのお奉行様なので、お馴染みのお白洲での
桜吹雪も登場。

ただ、話は江戸だけではなく、安房、新潟などにも展開して、
なかなかダイナミック。また明治時代に作られた作品なので
時代設定は江戸時代だが、単筒(ピストル)強盗なんというのが
出てくるのがおもしろい。

配役は、お奉行様、金さんがもちろん、座頭尾上菊五郎
単筒強盗の悪役が尾上松緑
尾上菊之助は商家の若旦那で、出奔して小悪党になる。
TVでも売れっ子の尾上右近が清元のお姐さん。

菊之助の子息丑之助も、丁稚(小僧)として、なかなかの
台詞数で、複数回登場。
9歳になったよう。いかにも育ちのよいお坊ちゃんという
感じで、ハキハキとした口跡。かわいい演技がほほえましい。
音羽尾上菊五郎家の御曹司。成長がたのしみ。

菊五郎は80歳になっている。
こうして、座頭として一線で舞台に立っているのは
奇跡に近いのではななかろうか。
この世代では、吉右衛門だったり、鬼籍に入った
名優も多い中で一人奮闘している印象である。
心配になってくる。
若干、足元があぶないようにも見えるが台詞はしっかり。

菊之助。私なぞがいうのも僭越であるが、
かなりよいのではないのであろうか。

今回の役は、商家の若旦那から小悪党という役。
いずれにしても江戸っ子らしい雰囲気。
江戸弁の台詞回しと、身のこなし、立ち居振る舞いである。
音羽尾上菊五郎家のお家芸、江戸世話物(人情もの)に
不可欠な要素である。
実のところ、菊之助はこれをしっかり受け継げるのか、
大きなお世話だが心配していたのである。

もともと、菊之助女形もしたし、いわゆる色若(いろわか)
などという若い色男をよく観ていた。
だが、その役者として演技力はかなり凄いものを感じた。
憑依型というのであろうか。
お姉さんの女優寺島しのぶもどちらかといえば、
そちらの系統であろう。
菊之助の俳優・役者として能力の高さはよくわかって
いたのだが。
今回のちょっと軽い江戸っ子らしい雰囲気は、なんだか
安心して観ていることができた。
なにか、心境の変化でもあったのあろうか。

毎度書いている私の好きな「雪暮夜入谷畦道」そばやの
直侍なぞ、演ったことがあっただろうか。
素足にわら草履で雪の中、花道から走って登場。
入谷のそばやに入り、そばやでの振る舞い、五代目菊五郎
が作った江戸っ子の美意識が詰まったものである。幸四郎
演るが、やはり菊之助にきれいに継承してもらいたい。
お父さん、七代目菊五郎もいつまでも舞台には立てなかろう。

松緑。この人、どんどん怖くなる。
むろん、悪役なのでそうでなければいけない。
人(ニン)、なのか。
身体も大きくなっているのではなかろうか。
主役級の悪役、実悪などというが、は、歌舞伎では、
座頭のする役。「助六」の意休など。
近い将来できるのではなかろうか。
ともあれ、重みがかなり付いているようにみえる。
悪役ではなく、ほんとうの重みがなければできない
時代物の大きな役も演れそうな気がしてくる。
例えば「碇知盛」。悪役系だが「河内山宗俊」あたりも。
ちょっと言いすぎかもしれぬが亡くなった吉右衛門
雰囲気を感じるのである。
コロナ禍であまりフォローしていなかったが、ここ数年
歌舞伎座の舞台でも奮闘をしていたよう。ちょっと気にして
みてみたい。

幕間にカツサンドと、

柿の葉寿司。

国立は席では食べられない。ロビーで。

最後、大詰
大団円というのかエピローグ、芝居小屋の楽屋でお奉行金さんも
含めて、出演者皆出てきて、踊る。正月らしい、いわゆる総踊り。
ここに、四人の子供が加わる。
これが、先の丑之助、菊之助の子息。寺島しのぶの子息寺嶋眞秀
まほろ)君、他梅枝、彦三郎の子息。
これも正月らしく、かわいくナイス。

眞秀君は10歳。もっと小さい頃も観ている。小さい頃は
わからなかったが、段々顔立ちが変わってきた。
鼻が高くなり、目の色も多少違うか。お父さんはフランス人。
歌舞伎の舞台で違和感があるか、とも思ったのだが、
ちょっと、考え直した。

よいではないか。落語にも快楽亭ブラックという名跡
ある。バタくさい歌舞伎役者だって、あり、であろう。
トトロだったり菊之助が力を入れている新作だってある。
また眞秀君は、既に子役としてTVドラマにも随分出ている
よう。(さすが、寺島しのぶ、ステージママ!。)

先入観で決めてはいけなかろう。
多様性ということもあるが、それ以上に役者というのは、
舞台でびくとも言わせない説得力があればなんら問題はない
はずである。
ともあれ、本人がどんな風に育っていくのか。
役者なんかになりたくないという、選択肢だってむろんあろうし。

歌舞伎というのは、看板役者の子息を5歳、6歳から初舞台を
踏ませるというのが伝統ではある。
観客としては、親のような目線で成長をたのしみにする。
むろんこれでお客を呼べる。
これはこれで、よいことではないか。

さて、さて。
今年は久しぶりに、歌舞伎座と国立と二本の初芝居。
歌舞伎界もこのコロナ禍では大きな影響を被ったことであろう。
團十郎の襲名も延期されやっと旧臘になった。
また、奇しくも、世代交代の時期にあたっている。
七之助菊之助は大きく成長していた。
ちょうどこの時期に努力、稽古に励んだのであろう。
わるいことばかりではなかったか。

初芝居によい一年の兆しを感じたのは収穫である。

 


国周 明治26年(1893年) 東京明治座 遠山桜天保日記
久喜万字屋若紫 四代中村福助
初演時のもの。

 

 

 

 

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国立劇場初春歌舞伎遠山桜天保日記 その1

4251号

1月4日(水)

さて、正月4日、またまた歌舞伎。
今日は、国立。

今年の初芝居は、歌舞伎座と国立の両方に。
国立は、建て替えが決まっており、さよなら公演と
銘打っている。(国立の歌舞伎は3月の公演が最後か。)

毎度国立は、音羽尾上菊五郎が座頭(ざがしら)の
菊五郎劇団。

今年の正月の演目は「遠山の金さん」。
国立なので、これも通し。
国立の歌舞伎はほぼ通しだけなのではなかろうか。
文化財保護という意図がむろんあろう、やはり
作品にとっても通しがよい。

12時開演なので、10時半頃内儀(かみ)さんと家を出る。
やっぱり着物。

大江戸線新御徒町から春日、春日から三田線
神保町。神保町からはタクシー。
半蔵門というのは、元浅草の拙亭からは行きにくい
のである。

着いて、チケットを引き上げ、入る。
例年通り、正月なので、獅子舞も出ている。

売店で、カツサンドと柿の葉寿司を買う。
もう少し他にないのかとも思うが、国立なので
しょうがなかろう。

席は、こちらは前の方なのだが、花道の下手側。

開演。だが、完全な暗転。
スライドショー画像でスタート。
ナレーション(影ナレ)の声は菊之助のよう。

長いが、プログラムを書き出しておこう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
未来へつなぐ国立劇場プロジェクト
初代国立劇場さよなら公演

竹柴其水=作
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言 遠山桜天保日記 六幕十一場
-歌舞伎の恩人・遠山の金さん-
 (とおやまざくらてんぽうにっき)
 国立劇場美術係=美術

序幕 第一場  河原崎座楽屋の場
   第二場  花川戸須之崎政五郎内稽古所の場
   第三場  隅田川三囲堤の場
二幕目    安房国山中の場
三幕目第一場 花川戸須之崎政五郎内の場
   第二場  山の宿尾花屋の場
   第三場  大川橋六地蔵河岸の場
四幕目第一場  新潟行形亭座敷の場
        第二場  同  庭先の場
五幕目        北町奉行所白洲の場
大 詰           河原崎座初芝居の場


遠山金四郎 尾上菊五郎
太夫女房おもと/河原崎座役者 中村時蔵
生田角太夫河原崎座役者 尾上松緑
尾花屋小三郎後ニ羅漢小僧小吉/河原崎座役者 尾上菊之助
佐島天学/河原崎座役者 坂東彦三郎
遠山家用人 樋口善之助/与力 大里忠平/河原崎座役者 坂東亀蔵
政五郎養女おわか/河原崎座役者 中村梅枝
太夫 河原崎権三郎/八州廻り 咲島千介/河原崎座役者 中村萬太郎
捕手頭 佐藤清介 市村竹松 待乳山のおえん/河原崎座役者 尾上右近
楽屋番紋助 市村光
八州廻り 宮森源八/河原崎座役者 尾上左近
河原崎座役者 坂東亀三郎
尾花屋丁稚 辰吉/河原崎座役者 尾上丑之助
河原崎座役者 寺嶋眞秀
河原崎座役者 小川大晴
笛方 六郷新三郎/旅の一座の座頭 市村橘太郎
尾花屋番頭 清六 片岡亀蔵
須之崎の政五郎/座元 河原崎権之助 河原崎権十郎
行形亭女将お滋 市村萬次郎
遠山家家老 簑浦甚兵衛 坂東楽善
羅漢尊者 市川左團次
ほか

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

令和5年初春歌舞伎公演
『通し狂言 遠山桜天保日記-歌舞伎の恩人・遠山の金さん-』

これが、プログラム上のタイトル。

“歌舞伎の恩人”がキーワードである。
遠山の金さんを知らない人はおるまい。
江戸後期、天保の頃の実在の江戸町奉行
ご存知、桜吹雪の。

天保の改革で老中水野忠邦によって取り潰されそうになった
歌舞伎芝居を、北町奉行遠山左衛門尉(さえもんのじょう)が
水野と戦い守ってくれたので、歌舞伎界は多大な恩義を感じていた。

天保の改革では水野は200席以上あった寄席の全廃を主張し
金さんは戦ったがほんの一部が残されたのみ。
歌舞伎の方は、金さんのお蔭で閉鎖は免れたが
今の人形町などにあったものが浅草寺裏に三座とも移転
させられている。
まあ、歌舞伎界と遠山の金さんとはこういった関係にあった。
史実といってよいのであろう。。

こういったことは私も知識としては知っていたのだが、
実際に歌舞伎芝居として、遠山の金さんを観るのは初めて。

金さんといえば、我々世代であればTV時代劇。
お奉行は杉良(スギリョウ、杉良太郎)であろうか。
憶えている範囲でも、高橋英樹松方弘樹も思い出す。

裃姿で片肌を脱いで、桜吹雪の彫り物を見せて、
「この、桜吹雪が目にへえらねえか!」とべらんめいの
江戸弁で容疑者を一喝する。
水戸黄門の「この紋所が、、、」同様に痛快なお決まり
シーンであった。

TVの前は映画、さらにその前が当の歌舞伎から
遠山の金さんは始まっていた。もちろんのことである。
数ある、遠山の金さんものの、元祖。
それがこの芝居ということになろう。
(講談、落語にも遠山政談というのはあってどちらが先かは
未調査。講談、落語の方が先ではなかろうか。)

過去、どのくらい上演されてきたものか。
国立のプログラムには記録は載っていなかったが、
ともかくも観ておかねばならないものの一つであろう。

初演は明治26年1893年)東京明治座
当時の明治座といえば、座頭は明治の名優初代市川左團次

明治の歌舞伎界は、團菊左時代などともいわれ、
九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎と並んで
三本指の大看板役者であった。写真も残っているが、
鼻筋の通った二枚目。
若い頃の左團次は、歌舞伎ではなく両国のいわゆる
緞帳芝居にも出るなど不遇な時代もあったよう。
明治座というのは初代左團次がこの「遠山の金さん」
初演の年、自ら作った劇場である。

しかし、明治26年初演というと、維新から大分たっている。
このくらい時間がたたないと実在の江戸町奉行
主人公にした芝居は作れなかったということか。
(それでも、初演時は遠山ではなく、大山と、
もじった名前にしている。)

 

つづく

 

※追記

この芝居より前、明治7年(1874年)大阪で「接木根岸礎
(つぎきねぎしのいしずえ)という外題で初演された
遠山政談ものがあったよう。これが最古か。

 


国周 明治26年(1893年) 東京明治座 遠山桜天保日記
大山左衛門尉 初代市川左團次
初演時のもの。

 

 

 

 

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初芝居 歌舞伎座新開場十周年 壽 初春大歌舞伎 第三部 十六夜清心 その2

4250号

引き続き、歌舞伎座初芝居三部。

例によってあらすじを書くのはやめよう。
ご興味あれば、こちらを。(wiki

通し狂言といっているが、初演時の脚本を原作とすると、
そこそこカットされていてかなりお話が飛んでいる印象。

ただ、三幕五場、三時間弱で、飽きずに観られるのは
このくらいかもしれない。

お話が飛んでいるので、逆にそれがおもしろいことに
なっているかもしれない。恋愛から心中、その後の悪党化。

この芝居は戦後もなん度も上演されていると書いたが、
その時、その時の二枚目の立役(男役)と、立女形
(たておやま、女形のトップ)が演じるものとして
定着しているとのこと。

例えば、一つ前が菊五郎時蔵、その前が仁左衛門玉三郎

そして、今回が松本幸四郎中村七之助
やはり世代交代の時期である。

芝居を観終わって素直な感想を書くと、十分に
たのしめた。おもしろかった。

ただ、この芝居、あまり歌舞伎、特に黙阿弥作品を
観たことのない方にはやはりハードルが高いかもしれない。

心中はまだよいとして、その後の泥棒、強請(ゆすり)をする
悪党に落ちてしまうことが唐突であろう。

この原作である「小袖曾我薊色縫」のあと、黙阿弥は
二年後に「三人吉左」、四年後に「白浪五人男」と
泥棒を扱ったいわゆる白波物を次々と書いている。
どれも現代まで人気の名作であるが、その習作、プロトタイプ
という印象もあるかもしれない。

善人→悪人→死・浄化という人格の変化が、このあたりの
黙阿弥白波作品に流れている。
(今回の芝居では死・浄化にあたる本来の大詰(結末)が
存在するのだがカットされている。)

ここが、黙阿弥白波作品群の本質であろう。

あまり語られていないが、前回書いたように、このあたり幕末の
世相をまずしっかりと把握するべきと考える。
少し横道にそれるようだが、大切なことと思うので少しまとめて
書いておきたい。

イヤホンガイドでも、悪人化は幕末だから、時代の終わりだから、
などと乱暴な説明をしている。

近世日本史研究者の責任は否定できまい。
どうも幕末といえば、幕府と薩長土肥、勤王の志士の
倒幕活動、京での戦いから、戊辰戦争と政治にばかり
目がいき、当時の名もない民衆の生活がどうであったかを
あまりにもみてこなかった。
政治は必要だがむろんのこと、政治ばかりが歴史ではない。
民衆あっての歴史であり、上から下まで我々の過去をしっかりと
知らねば歴史研究としては、足らなかろう。
政治とは不可分であろうが、同時進行する民衆レイヤーが
ちゃんと存在し、そこに歌舞伎があったのである。

そう。
これを知らなければ、この時代民衆の中で生まれた
黙阿弥らの歌舞伎も、同じ時代に生まれた落語も本当には
理解できないのである。

まあ、それで私は日本近世民衆史須田努先生の
三遊亭円朝と民衆世界」などの江戸末から明治初めの
民衆史研究に行き当たり大きく腑に落ちたのである。

黙阿弥作品にしても落語にしても、きれいごとでは
すまされない、かなりエグイものがある。
普通の善人が、なにかをきっかけに一転、悪人になる。
博打(ばくち)はあたり前、「黄金餅」「らくだ」は死体損壊。
圓朝作品では強盗殺人も多い。また、徹底して貧乏を描く。

落語も歌舞伎も創作されたエンターテインメントなので
ある程度デフォルメされているとは思うが、極貧、博打、
強請、強盗、殺人等々が今我々が思う以上に身近にあった
のである。
背景は、冷害、飢饉から米価の高騰(物価高)、ここから一揆
打ち壊しが発生。これが天保中頃(1830年代終わり)大政奉還まで
まだ30年ほどある。そしてこれらが多発、エスカレート。
もう手に負えない。これが悪党の世紀である。(ただ幕末だから、
ではない。むしろ、幕末は結果であろう。)

前回、無政府状態と書いた。江戸期でもこれより前であれば
罪を犯せば公権力に捕まり、処罰を受けることは保証され
人々に浸透していたことであった。
が、この時代は幕府などの通常の治安維持機能は結果として
弱体化、犯罪を犯しても、様々な形で逃げてしまえるように
なっていたのである。
また、モラルの低下。死体損壊など、むろん従前からの仏教的な
倫理観では否定されるべきものだが、そうしたものも
民衆全員ではもちろんないが、あたり前に無視する者どもも
一定数出現していた、のである。
ヤクザという言葉はまだこの時代には生まれておらず、
博打打ちだが、頭目は博打打ちの親分。歌舞伎でいえば、
「髪結新三」の弥太五郎源七などがこれ。ヤクザ、今言う、
反社会的暴力集団の源流もこの時代になろう。

ともあれ、これだけの限界状況の社会から生まれた
黙阿弥歌舞伎、落語などの作品群は、より深く人間を
描いているのである。人間の真実を。
エグイが、これが人間の本当の姿でしょ、と。

さて、幕間。
酒は呑めないが、歌舞伎座は席での飲食は可。
黙食推奨。

京都大徳寺の[さいき家]というところのさば寿司。

こんな感じ。

さばが肉厚。
一本分であろうが、なかなかの量。
棒鮨などともいうと思うが、さばの押し寿司というのは
うまいもんである。

ともあれ。
この芝居、よかったのだが、全般を通して特によかったのは、
やはり七之助であろう。どっしりとびくともしない。
また、花道の七三(しちさん)で止まって身体をひねり流し目の
七之助。ぞくっとするほどの色気であった。

数年前から立女形玉三郎七之助を特訓中とも聞く。
目覚ましい進捗ではなかろうか。
玉三郎の芸の道は苦しく、厳しかろうが、たのしみである。

一方、もう一人の主役、幸四郎
七之助に比べるともう一つという印象はぬぐえない。
特に、大詰めの強請の場面。
なんであろうか、泥棒コントを観ているよう。
コミカルで軽さが目立つ。七之助のマジな芝居とも違和感があった。
この役、仁左衛門に習ったという。線の太い二枚目の仁左衛門だから
これでよかったのではなかろうか。比べると、幸四郎は真面目
だがどうしても線が細い。この演出、今の幸四郎の人(ニン)には
合っていないのでは、なかろうか。

 


三代豊国 安政6年(1859年) 江戸市村座 小袖曽我薊色縫
二八蕎麦屋 六代坂東又太郎、鬼薊清吉、四代市川小團次
八重垣紋三 九代市川團十郎

初演時のもの。

 

 

 

 

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初芝居 歌舞伎座新開場十周年 壽 初春大歌舞伎 第三部 十六夜清心 その1

4249号

1月2日(火)夜

さて、正月二日。
初芝居、で、ある。
歌舞伎座で、それも初日。

一年ぶり。昨年は結局、初芝居以来行かずじまいに
終わってしまった。

地元浅草の平成中村座もあったのだが、あまり興味を
魅かれなかった。

昨年の初芝居は国立で歌舞伎座自体も、三年ぶり、
になるのか。
歌舞伎自体が、なんだか遠くなっていたのかもしれぬ。

歌舞伎座は三回公演の第三部「十六夜清心(いざよいせいしん)」。
通し狂言と銘打っている。
これが行こうと思った理由。
毎度書いているが、できる限り、芝居は通しで観たい、
というのが持論。

見取り狂言などというが、名作の名場面だけを抜き出して
上演することがほとんどの歌舞伎座
なん度もなん度も観ている芝居であれば、これでも
よいのだが、全部を観ていない初見の芝居でこれを
観ても、ほんとうの理解は得られないから。

また「十六夜清心」が私の好きな黙阿弥先生の作であると
いうこと。これも是非とも観なければいけないであろうという
理由である。ちなみに、私は初見。

さて。

17時45分開演なので、15時半前に着物に着替えて、マフラー、
トンビのコートを着込んで内儀(かみ)さんと出かける。
足元は、いつも通り、白足袋に雪駄
銀座線で稲荷町から銀座。
三越の地下で弁当を買う。
歌舞伎座前の木挽町[瓣松]は残念ながらコロナ禍に閉店して
しまった。

京都大徳寺の[さいき家

というところのさば寿司。
特に決めてきたわけではない。
たまたま見かけて、買った。

歌舞伎座到着、チケットを引き出して入場。
プログラムとイヤホンガイドを入手。
今、歌舞伎座酒類は売っておらず、飲酒自体が禁止。
お茶だけ買う。
席は、2列9番、10番。
着席。

前から2列目で花道から上手側3、4番目。

久しぶりの歌舞伎座の定式幕。

花道には下から上がるスッポンという穴が開いている
のだが、そのすぐ横。七三(しちさん)というが、まさに
その足元といってよい。
前すぎる、近すぎるか。

柝(き)が入って、幕が開く。

演目と配役を書き出しておく。

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第三部
河竹黙阿弥
花街模様薊色縫
  通し狂言 十六夜清心(いざよいせいしん)
浄瑠璃「梅柳中宵月」

序 幕 稲瀬川百本杭の場
    同 川中白魚船の場
    百本杭川下の場

二幕目 初瀬小路白蓮妾宅の場

大 詰 雪の下白蓮本宅の場

極楽寺所化清心後に鬼薊の清吉 幸四郎
扇屋抱え十六夜後におさよ 七之助
恋塚求女 壱太郎
下男杢助実は寺沢塔十郎 亀鶴
佐五兵衛後に道心者西心 錦吾
船頭三次 男女蔵
白蓮女房お藤 高麗蔵
俳諧師白蓮実は大寺正兵衛 梅玉

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初演は幕末、安政6年(1859年)江戸市村座。初演時の
名題(タイトル)を「小袖曽我薊色縫(こそでそが
あざみのいろぬい)」というよう。

この年、横浜開港、コレラの流行、また政治的には井伊大老
による安政の大獄の嵐が吹き荒れている。

その中で当たりを取ったという。
やはり、思うのはこんな頃でも芝居が作られ演じられ、
お客はこぞって観にきたのである。
江戸庶民の日常というのは、そういうものであった
ということである。たくましい。

また、背景に、前に書いた、天保から一揆や打ち壊しが全国で
頻発し、幕府の統治機能不全が明らかになった“悪党の世紀”

いう殺伐とした世相、人気(じんき)がこの作品、いや、
広く幕末の黙阿弥作品を生み出した、と理解すべきと考える。

ご多聞に漏れず実話ベースの物語である。
そして、黙阿弥先生お得意の泥棒を扱った白波(しらなみ)物。
実話は、安政初期の幕府御金蔵破り、寛永寺の僧侶と
吉原の花魁との心中。
さらに、時代としてはもう少し前の文化の頃だが実在の泥棒、
鬼坊主清吉というのがモデル。

この作品、どのくらい有名かというと超ではないが“そこそこ”、
であったのであろう。現代まで芝居の上演も戦後で2~3年に
1回程度でそこそこ多い方であろう。
落語でも坊主の恋の話しの例として枕などでも語られていた。
それで、私は観たことはなかったが「十六夜清心」という
名前だけは知っていた。

さて。
十六夜(いざよい)というのは女性の名前。吉原の花魁。
清心というのが寛永寺の僧。この二人の恋。
この二人の名前を並べて、十六夜清心となっている
のである。

落語、歌舞伎がお好きな方は、おわかりであると思うが、
女性の名前と男性の名前を女性男性の順に並べるのは、
こうした恋愛のお話の通称、タイトルではお決まりになっている。

例えば「お若伊之助」、「お花半七」(宮戸川)、「お初徳三郎」、
「お初徳兵衛」(曽根崎心中)、「お富与三郎」(与話情浮名横櫛、
源氏店)などなど。

で、この芝居、恋の話しかと思うとそれは最初だけ。
心中から、悪党の世紀流のとんでもない方向へ向かっていく。

 

国周 慶応元年(1865年) 江戸 見立白浪八景 永代橋の夕照
鬼あざみ清七 市川小団次 十六夜清心?

 

 

 

 

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断腸亭の年越し2023

2023年令和5年癸卯

明けましておめでとうございます。
本年が皆様におかれましてよい年となることを
お祈り申し上げます。

相変らずの断腸亭料理日記ですが、
飽かずに、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

断腸亭錠志


さて。
年が明けて癸卯。癸卯はミズノトウと読む。
十干十二支(ジュッカンジュウニシ)というが、いわゆる
ご存知の子、丑、寅、卯、、、の十二支の頭に甲(きのえ)、
乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、
己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、
癸(みずのと)、の十個の干という要素を付ける。
甲子(きのえね)に始まり、乙卯(きのとう)、丙寅(ひのえとら)
といった具合に双方を順に組み合わせていく。
順に組み合わせていくと、60通りになるが、六十年でこれが一周して
また同じ組み合わせになる。これが還暦。

と、いうことで、旧臘から書いているように、私を含め
1963年昭和38年癸卯生まれの皆様は、今年2023年令和5年癸卯で、
六十歳還暦となる。
少し前までは、還暦は長寿でもあり子供に戻る、めでたいというので、
赤いちゃんちゃんこ贈るなんということもしていた。
人生100年時代などといって、今はそんなことをしている人は
少なかろう。
まあ、自分があと40年も生きるとはとても思えないが、
少なくとも老後という言葉にはあまりあてはまらないようにも
思われる。
また、60歳といえば定年退職であった。先日も書いたように
先に退職している私は別だが、一般の企業では定年が延長され
あと数年は仕事を続ける方がほとんどであろう。
六十歳という区切りも少なくなりつつあるのであろう。
ちょいと、中途半端な還暦?。
時代はどんどん変わっている。最近とみに感じる。

ともあれ。
今日は、毎年、あまり変わりない年越し。

断腸亭の年越し2023

4239号

12月31日(土)~1月1日(日)

昼、自転車で出て、神田[まつや]に年越しそばを
買いに行く。曇りでそこそこ寒い。
拙亭のある元浅草から神田須田町までは秋葉原を越えて、
自転車で30分弱。
晦日でも秋葉原はなかなかの人出。外国からの
観光客が目立つか。
[まつや]は店ではなく、毎年同様裏の販売スペース。
事前にTELで予約をしておいたもの。
三人前を買って帰路。例年、長く上野広小路の[うさぎや]で
どらやきを買っていたがコロナになり、列が外に作られ
寒い中とても並ぶ気にはならなくなってやめていた。
中央通りを広小路まで戻ると、あれま、同じ。
やっぱり外に長い列。
これ、どうにかしてもらえまいか。
やめよう。
自宅そばの[竹隆庵岡埜]でよいか。
こごみ大福と、栗きんつばを買って帰宅。

帰宅すると、これも例年通り、お節が届いている。
市谷の[鮨太鼓]のもの。届けてもらえるのが
ありがたい。

昨年までは、ちらしずしも付けていたのだが、
量が多いので、今年はお節のみに。
壱ノ重

付いている栞を書き出してみる。かまぼこ(鈴廣)、伊達巻
(これは自家製・筆者)、ゆず柿、田作り、黒豆、いくら、
なま酢(三浦野菜)、栗きんとん(江戸屋弘東園 川越いも使用)、
鰊昆布巻、子ヤリいか。

弐ノ重

車海老具足煮、磯つぶ貝、数の子白麹漬け、からすみ、鱒味噌焼き、
はじかみ、鴨スモーク、麩まんじゅう、煮物(里芋、人参、はす、
くわい、筍、ふき、椎茸、梅生麩、穴子八幡巻き)

毎年買っているが、年々味が薄くなる。
やはり、時代なのであろう。甘いものも段々薄味に。
うまかったのは、昆布巻き、八幡巻き。やりいかは
子がパンパンに入っていて、かなりうまい。

[まつや]のそば。

開けると、

いつものことだが、ねぎが付いているのが、おもしろい。

紅白途中にそばをゆでる。

生わさびを忘れてしまったので、なし。

いつも乾麺のそばばかり食べているが、流石に[まつや]の
生そばはうまい。

元旦。いつも通り、火鉢に炭で餅を焼く。

雑煮。

しょうゆ味で鶏がら出汁、入るのは鶏肉、小松菜、里芋、
三つ葉。餅はお替りして、二つ。

あけて、天気になったので、内儀(かみ)さんと
ぶらぶら歩いて、初詣に産土神の鳥越神社へ。

鳥越自慢の千貫神輿。

今年こそは、ノーマルな祭りに戻ってほしいもの。

夜は、鴨。
正月は、近所の鶏肉店で買った国産鴨肉。
立派である。

裏。

もちろん鍋。内容はねぎのみ、しょうゆで食う。
これに尽きるだろう。

スライス。

ねぎ。

脂身から脂を出し、焼く。

鴨の脂でくたくたになったねぎが堪えられぬ。
国産鴨肉は、冷凍でないのもあり、みずみずしいし、
うまみも濃いような、、。

気は心、ではあるが、よい正月、である。

 

 

 

 

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