浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭落語案内 その29 桂文楽 鰻の幇間

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引き続き、文楽師「鰻の幇間」。

お客に逃げられてしまったことが判明し、手銭、自腹が確定
している。

ここまでもおもしろいのだが、さらにここからが聞き所である。
文楽師の一人語り。
鰻やのお姐さんにクドクドと、悪態をつく。

・・・
君、お燗を直しとくれ、お燗を。
こんなぬるい酒てな、ないよ。
水っぽいってな、ねーや。
呑んでるそばから、頭へピン。アタピンじゃねーか。

徳利の縁(ふち)が欠けてるよ。どーでもいいが。

鰻やの徳利なんて、無地にしてもらいてぇや。
柄(ガラ)が描いてあらぁ。絵もいいや、山水かなんか描いてありゃ。
この絵をご覧。恵比寿様と大黒様が相撲を取ってら。
こんな徳利から酒が出るかと思うと、君、うまくねえや。

猪口をご覧よ。君、言いたかないけど、そうでしょ。
君、客が二人(ふたぁり)だよ。猪口が一つ違ってるのが
おかしいでしょ。

それもいいや、こっちに伊万里があって、こっちに九谷がある
ってなぁ乙なもんだ。

この猪口をご覧。中の字を。金文字で三河屋としてあらぁ。
酒屋から貰ったんだろう。

こっちの猪口が勘弁ならねえ。
丸に天の字があらぁ。天ぷらやから貰ったんだろう。
天ぷらやから貰った猪口を、君、鰻やで使って、君、よろこんで。
頭が働かなすぎらぁ。

この新香(しんこ)を見ねぇ。鰻やの新香なんて乙に食わせるもんだ。
このワタだくさんのキュウリ。キリギリスだってこんなもなぁ
食わねえ。また奈良漬けをこう薄く切ったねぇ。こう薄く切れる
もんじゃないよ、君。(中略)

鰻を見ねえ、鰻を。
ついでだから言うがね、さっきは客の前だからお世辞に口入れて
トロっと、っていったが、トロっとくるかいこれが。
三年入れたって溶けやしねえ。パリパリしてらぁ。
(中略)

払うんだよ!。グズグズ言ったって、払うんだよ。

きったねえ家だねー。
この家の色てぇな、ないね。佃煮だ、まるで。

床の間をご覧、床の間を。床の間の掛物をご覧よ。

「応挙(丸山応挙)の虎」!。

偽物(ぎぶつ)です~?。あたり前ですよ。こんなとこに
本物掛けるわけねーじゃねーか。

第一、丑寅(うしとら)の者は鰻を食わないてぇくらいのものだ。

(丑年と寅年の者は鰻を食ってはいけないという俗信があった。
丑年と寅年の守護は虚空蔵菩薩で、鰻は虚空蔵菩薩のお使い姫
であることから。)

虎の掛物を掛けて、鰻やで、君、よろこんで、、。
君、勘定はいくらだ、払うから。君。

姐「ありがとう存じます。九円七十五銭頂戴いたします。」

(大正期、円本、円タクというのがあった。円本は一冊一円の
均一価格の本。円タクは東京市内、一円の均一料金のタクシー。
これから考えると、一円は現在の5千円~1万円の間か。)(養殖のない
時代の鰻の値段である。ここ数年の値が上がった今の感覚よりも
さらに高めのようである。)

君、しっかりしとくれよ。わからないかよ。じれってぇな。
ものにはねぇ、上中下、順ってのがあるんだよ。
なんだよ。このセコなる鰻が二人前でしょ。酒に新香。
いくらだい?九円七十五銭?。

高いよ、君、高いよ。
ぼり過ぎだよ。高いよ君、高い!。

姐「でもお供さんが三人前、おみやげに持ってらっしゃいました。」

へ!?。

みやげに持ってったのかい?。

へ!。

よく手が回りやがったねぇ。
みやげとは気が付かなったなぁ。
敵ながら天晴れな奴だねぇ。

よーし!。よろしい。
覚悟をしちゃったよ。あたしゃ。

こういうこともあるだろうと思うから、ここへ十円札
縫い付けておいたんだ。
取っときの十円をここで出そうとは思わなかった。
人はどこで、どういう災難に出くわすかわからねえ。

(おそらく襟に縫い付けてあった。これを取り出す仕草か。)

へい。十円。
この十円だって、あたしが稼いだお足じゃない。
あたしが家を勘当になる時にねぇ、弟が後から追っかけてきて
きたんだ。兄(あに)さん、あーたは親に逆らって芸人になる。
これから弟がそばについていられませんから、ってせめてこれを
弟だと思って、なんかの時の足しにして下さいって、この十円
くれたんだ。この十円だってしばらく私の懐にいたんだ。今この
十円と別れたら今度いつまた会えるかわかりゃしない。見ねえこの
十円の影の薄いこと。

楊枝をくれ。楊枝をくれってんだよ。

おつりになります?。
今更、二十五銭おつり貰ったって、しょうーがないでしょ。
君にあげます。
いろいろ厄介になったから!。
じれってぇな。
またいらっしゃい!?。
誰がこんなとこ、くる奴があるか。
ぶざけちゃいけねえ。

おいおい、寝ぼけちゃいけない。
下足(げそ)だよ、下足、履きもんだ。

姐「そこに出ております。」

君、なんて口のききようすんだ。僕は客だよ。
出てないよ、君!。

姐「ここに出てるじゃございませんか。」

おい!、この下駄かい?!
冗談いっちゃぁいけない。芸人だ、こんな小汚い下駄履くかい。
今朝買った五円の下駄だ。

姐「あ、は、は。あれはお供さんが履いてまいりました。」


これで下げ。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その28 桂文楽 鰻の幇間

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引き続き、八代目文楽師「鰻の幇間(たいこ)」。
志ん生、円生は当代がいないのだが、文楽は九代目がいる。)

冒頭の幇間の一八が、町で浴衣がけの客を捕まえたところから
書き始めた。

この噺ではないが、幇間(たいこもち)の噺は、師匠志らく師からの
課題として、長屋ものはまあ、できるようになったから、次は
幇間の噺を、といわれて、取り掛かったはいいのだが、覚えられず
結局、ここで挫折をしていた。

パアパア言っているので、簡単そうに私自身も聞いていたのだが、
これが左に非ず。
むろんプロは幇間の噺くらいできなければ、話しにならないが、
実は、そうそう簡単ではないのである。

パアパアテキトウなことをいっているのは、アドリブではない。
私なんぞも、当初はアドリブかと思っていた。

それで、アドリブでやってみようかと思ったが、すぐに不可能である
ことが分かった。

余談だが、スポーツ中継のアナウンサーも「栄光への架け橋だ!」など
名言がたまにあるが、あれ、アドリブではない。用意しているのである。
あの、古館氏のフロレス中継も然りである。事前に考えてある。

幇間はすべて、きちんと覚えて喋っている。
あの幇間の早口で独特のリズム。アドリブなどでできるものではない。
(特異的にできる人はいるかもしれぬが。)
短い時間に、驚くほどの言葉が入っている。

ともあれ。
鰻やへ連れてってもらえることになる。

だが、依然として、どこの人だかわからない。
それとなく聞き出そうとするが、避けられている。

鰻や到着。

私は鰻を見ていくから、と一八は先に二階に上がらされる。

以前は、鰻やの店先には簡単な生け簀があって、そこに鰻がいた。
これを見て、これを焼いとくれ、といって選んでいた。

一八が二階に上がると、手習いをしていた子供が机を持って
出て行った。

客席で子供が手習いをする家に繁盛する家はないね。
まあいいや、せっかくきたんんだから、ゴチになろう。
(ゴチになるは、古い言葉であった。)

客も上がってくる。
酒がきて、二人で呑み始める。
いい酒だの、新香がうまい、だの、一八は、パアパアと、褒める。

まだ、客の自宅を聞き出そうとするが、やっぱり避けられる。

鰻も焼けてくる。

うなぎも、口に入れると、トロっとくる、と褒める。

客が、小用に立つ。
一八は、お供、と付いていこうとするが、客は断る。
客と旦那ではなく、友達として、付き合おう。
そこでゆっくりやっといて、などという。

一八は、感心する。
ああ枯れるまでには、そうとう遊んでいるな。
江戸っ子だ。粋なもんだ。
あの客、大事にしよう、と。

、、、ん!。

少し便所が長いね。

お迎え、お迎え。
しくじっちゃいけない。

姐さん、憚(はばか)り、ここ?一つっきり?。

が、いない。

姐「ここには誰もいません」
え?、帰った?!。

よし!。よろしい。
勘定払って、スーッと帰っちゃう。
流石のもの。また関心。

姐さん、帳場に、なにか預かってないか?
祝儀、で、ある。
「こんな、紙に包んだ、、」。

あ、そうだ。お飯(まんま)をいただいて。
いただくものはいただいて、っと。

あ、ご苦労さん。
そこ置いてって、よこざんすよ。

え?、いや、これは君、ツケだよ。勘定書き。

紙にね、こうなって、こう包んである、、、

姐「そういうものは、まるっきりありません。」

よろしい。なけりゃいいんだよ。食べるだけで、ね。
勘定は済んでるんだろ?

姐「まだいただきませんので、ございます」

え?。あ、晦日みそか)に取りにくんだ。お前んとこで。
お馴染みの人なんだろ?。

姐「初めていらした方でございます。」

えへへ、嘘だよぉ~。君にゃぁわかりゃしないよ。
君は、二、三日前にここの家に奉公にきたんでしょ?。

え?七年もいます。!。そらー、長くいたね~。

なぜ君、勘定のこと、そ、いわなかったの?。

姐「ご勘定と申し上げましたら、俺ぁこんな浴衣を着たお供だから
  二階に羽織を着ているあれが旦那だから、あれから貰っとくれ
  と仰いました。」

え~~?!

さーたいへんなことになっちゃった!。
冗談じゃない。君ね、そりゃあたしゃぁ、羽織は着てますよ、
羽織は着てますけどねー、商売上ばんやむを得ず着てるんじゃないか。

口のききようで、わかりそうなもんじゃないか。どっちが客だか
取り巻きだか。じれってえなぁ。

七年も鰻やの二階にいて、君、そんなことわからないのか。

じゃ、逃げられたんじゃないか。

じゃ、これ遠慮することねえんじゃねぇか。
手銭(てせん)でやるんじゃねーか。

笑いごっちゃないよ、君!。
気を付けないといけませんよ。これからもあるこったぜ!。
そーいえば、へんな奴だと思ったよ。目付きのよくねえ奴でね。
俺のこと、師匠、師匠っていぃやがんの。
お宅はどちらですか?、ってえと先のとこだ、先のとこだ、って
先のとこで立て切ってやがんの。

払うよ!。払やいいんでしょー!。払わなきゃしょーがねーだろ?!。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その27 桂文楽 鰻の幇間

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さて、八代目桂文楽

師は、明治25年(1892年)~昭和46年(1971年)。
亡くなっ頃、私は小学校に入っていたので覚えている。

志ん生師は明治23年(1890年)~昭和48年(1973年)。
円生師は明治33年(1900年)~昭和54年(1979年)。

三人ほぼ同じだが、昭和の三名人の中では志ん生師が一番上で
文楽師は真ん中。しかし、三人の中では、少し早く戦前から売れて
いたよう。

文楽師。
私が大人になり、落語を自覚的に聞き始めた頃は、この人のよさが
わからなかった。やはり志ん生の方が、魅力があった。
ただ、やはり談志家元の高座を追っかけるようになって、
よさがわかってきた。教えられたといってもよいかもしれぬ。

三人の中では、持ちネタが極端に少ない。
長い噺も少ない。
だがそれだけ、一席一席が、限りなく磨かれている。
演ずる時間は秒単位で、毎回同じ。持ちネタであればどれでも。
こんな落語家は、ほぼいないだろう。

ある意味、志ん朝師は近いのである。
完璧に演じる。
ただ、おもしろいかおもしろくないかは別の問題。

文楽師はむろん、おもしろい。

持ちネタ。

明烏」「愛宕山」「按摩の炬燵」「鰻の幇間」「馬のす」「厩火事
「王子の幇間」「景清」「かんしゃく」「小言幸兵衛」「しびん」
「素人鰻」「心眼」「酢豆腐」「つるつる」「富久」「寝床」「干物箱」
船徳」「星野屋」「松山鏡」「やかん泥」「厄払い」「夢の酒」
「よかちょろ」「悋気の火の玉」。

出典はwiki。五十音順である。

実際、こんなものであるろう。

幇間(たいこもち)の噺がちょっと目に付く。
文楽師が幇間(のよう)であったということをいう人もいるほど。
文楽師以前の落語に出てくる幇間を知らないが、以後は文楽師の
演ずる幇間が落語に登場する幇間になっていったのかもしれない。

NO.1はなんであろうか。

一般の意見は「船徳」「明烏」あたりであろうか。
ほぼこの人しか演らなかったといえば、この二席になろう。
「富久」「寝床」も入れたいが、これは志ん生、円生も演った。
それぞれよかったが。

だが「鰻の幇間(たいこ)」を私のNo.1に挙げたいと思う。

文楽師の演ずるこの噺、大好きである。

時代設定は明治、、銭勘定から大正かもしれない、そんな頃。。

お話しはかなり単純である。

幇間(のだいこ)といって、どこか決まった花柳界置屋などに
所属せずまあ、フリー。町をあてどもなくさまよって、取り巻く、
旦那にする相手を探す。

「取り巻く」「旦那にする」というのはまとめて動詞である。
客にくっ付いていき、食い物を食べさせてもらう、
祝儀をもらう、など、幇間のお客にすることである。

文楽師だと、噺の舞台は兜町の人がいたりするので、茅場町人形町
あたりであろうか。季節は真夏で暑い。

幇間の名前は、まあ、なくてもよいのだが、お決まりの一八(いっぱち)。

知った人がいた。浴衣姿で手ぬぐいをぶら下げて。どっかで見たことが
あるが、どこの人であったか思い出せない。向こうから近づいてくる。
思い出せないまま、きてしまった。

一「へい、どーも、ご機嫌よろしゅう。おかわりもございませんで。」
客「どうしたい、師匠!」
一「大将。意外ですねぇ。いや、ここでお目にかかろうとは。
  わるいことはできません。あの節ねぇ、酔いました。あんな
  酔ったことはない。あのね、騒ぎてぇのはなかった。
  ねえ、大将!。大勢、婦人を集めの、あの・・・わ~~~っと!」
客「なんだな、、、騒々しいなぁ。
  オメエといつ酒呑んだぃ。」
一「え、へ、へ、、、呑みましたよ。」
客「だからどこで呑んだ?」
一「どこで呑んだ、って、呑んだじゃないですか。」
客「だから、どこで呑んだ。」
一「なんです。あの、、、柳橋で!」
客「な~にを言ってんだ。オメエとどこで会ったんだか、知ってるか。
  麻布の寺で会ったんじゃねえか。」
一「麻布の寺ですか~?」
客「歌沢(端唄から派生した江戸後期の短い歌謡)の師匠が死んだろ。
  お前、寺へ手伝いにきてて、煙草盆に突っかかって、剣突(けんつく、
  叱られる)食らったりなんかしてた。あん時会ったんじゃねえか。」

(中略)

一「大将、先(せん)のお宅ですか?」

と、住まいを聞き出そうとする。
だが、客は言わない。

一「大将!、絶えて久しく、対面ですな。
  今日(こんち)はひとつ、どこかへお供を願いたいですなぁ。」
客「いやな奴だなぁ。すぐに取り巻く。浴衣ぁ着てるんだ。
  手ぬぐいぶら下げてるんだ。お湯行くんだよ、あたしは。」
一「お湯ぃひとつ、手前がお供をいたします。」
客「オメエに背中流してもらったってしょうがねえだろ。」
一「え、ヘ、へ、ぇ~~~~、なんですよ、大将!
  敵に後ろを見せるってぇのは、ないよ。あ~た!。
  駒の頭を立て直したな!、え、へ、へ、、、たいしょ!」
客「よ~せよ!。へんな真似すんなよ。」
一「大将。あたくしはね、空腹の君なんです。
  ばかな千松(せんまつ)なんで。

千松というのは歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」に
登場する子供。幼少の若様の小姓。飯炊き場、といわれる場面。
若様の毒殺を恐れて、若様とともに用意された食事は食べない。
それで、空腹なのである。
腹が減ったことを、千松と、洒落て言う言い方があった。

一「あんの、ちょくの(安直)あるところで、ひとつ、大将!
  もよおしましょう。」
客「おい、しょ~がねえなぁ、まるで、ダニだねぇ。

  よし。せっかく会ったんだ、ただ帰すのはなんだ。
  どっかで飯を食って、別れよう。」
一「ぃよ!

パン!手を打つ

  待ってました!。
  どこ、いらっしゃる?」
客「遠出(とおで)はいけないよ。浴衣を着てるんだ。
  近間(ちかま)だ。」
一「ぃよ!、近間、けっこう!
  どこいらっしゃる。」
客「どうだい。鰻を食うかい?」
一「ウナトトはいいね。ノロ、ね。あれにあたくしは、久しくお目にかか
  らない。土用の内に鰻に対面なんぞは、ようがすな。
  是非(ぜし)、お供を!。」
客「じゃ、一緒においで。
  断っておくよ。家はあんまりきれいじゃないよ。その代わり
  食べ物は本場だ。新しい魚、食わせる。」
一「大将。あたくしはね、家を食べるんじゃない。鰻を食べるんだ。
  家なんぞで、曲がってたって、かまわない。是非、お供を。」

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その26 古今亭志ん生 三軒長屋

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引き続き、志ん生師「三軒長屋」。

枝葉の部分がおもしろく、残ってしまった。

ただ、もう一つ、疑問がある。
枝葉がおもしろいのはいいが、ストーリーだけを取り出しても
一席の噺として成立するのか、おそらくするだろうと、書いた。
なぜこの形にならなかったのか。

鳶頭と先生が入れ替わるという意表を突く下げにつながるギミックの
部分である。(これが原話。)
成立するのであろうが、これは一度聞けばわかってしまう。
落語は繰り返し聞くことに耐えられるものでなくてはいけない。
獅子舞の件(くだり)などを省いてしまうと、この繰り返しに
耐えられなかったからではなかろうか。
そんなことで、古い形の、ダラダラ長くなる、という形が残った。
こういうことではなかろうか。

さて、そんな「三軒長屋」。

もちろん、私など演じようと考えたことすらないが、
談志家元も、話していたと思うが、やたら疲れるという。
そうであろう。

鳶頭一派の部分、特に、聞かせどころの、獅子舞の部分。
言いよどみ、言い間違いの多い、志ん生師。ではあるが、まったく
そんなことがない。そう。この人、ホントはできるのである。
やらなかっただけ、なのである。(困った人である。もちろん理由は
あろうが。)

早さに加え、小気味よいリズムが不可欠。
言いよどみ、間違いなどは絶対に許されない。
(でなければ作品が崩れてしまう。古典芸能の厳しさである。)
そして、長い。

落語などでよくいう、言い立て。
寿限無」の「寿限無寿限無、五光のすりきれ・・・」
は最も簡単な例だが「大工調べ」の棟梁の啖呵。
「なにぉ~、あったりめえじゃねえか、目も鼻も口もねえ、
のっぺら棒みてえな野郎だから丸たん棒っつたんだ。・・・」。

これは私も覚えたが、江戸っ子の啖呵なので早口でなければ
いけない上に、啖呵らしく、粋で凛々(りり)しくなくては
いけない。むろん、ちゃんと言葉として聞き取れなければいけない。
まあ、演じる場合は、青筋を立てて、息も絶え絶え。ほぼ酸欠状態。

「三軒長屋」は談志家元は、頭がボーっとしてくる、と
言っていたが、こういうことなのではなかろうか。
テンポが緩くてもいい部分もあるのだが、比率とすれば、
早いところの方が多い。そして、全体が1時間。
とにかく、たいへんな噺、なのである。

録音の残っている落語家は、志ん生師。
円生師(6代目)のものもある。わるくはないが、もう一つ。
円生師(6代目)の人(ニン)ではないのかもしれぬ。

三遊亭金馬(3代目・先代)が、よい。
禿げ頭で出っ歯の金馬である。
この人、ダラダラ喋っていることの方が多いように聞こえるが
こういうメリハリがあって、リズム感命のものも、実は人(ニン)
なのである。

談志家元は、自分で言っている通り、実際にはあまり演っていない
のではなかろうか。「ひとり会」を私は追いかけていたが、生では
聞いた記憶がない。アーカイブを観ると、やはり多少のアラは見える。

志ん朝師のものもある。
流石に、うまい。口調として、志ん朝師お得意のあのリズミカルな
口調である。よく演じている。ただ、まあ、これは私自身の好み
ではあるが、もう一つ。(志ん朝師、一度ちゃんと考察をした方が
よいと思うが、この人、上手すぎた、のではなかろうか。
上手すぎて、噺によって、強弱というのか、色があまりないように
思うのである。優等生的というのであろうか。)

小さん師(5代目)のものもあるが、やはりというべきか、獅子舞は
カットしている。テンポも緩い。剣術の先生のところはさすがに
うまいが。

存命の落語家だと、小三治師。音になっているのは、若い頃のものか、
かなりイマイチ。鳶の者が与太郎に聞こえてしまう。

志の輔師のものもある。この人も、やはりというべきか、獅子舞は
飛ばしている。この点では、この噺が本当の意味でできている、
とは言い難い(小さん師(5代目)もそうなると思う。)。ただ、
この人の人物描写、演出は天才的である。無難に1時間ものを仕上げて
いる。

市馬会長のTBSのものがあるようだが、聞けていない。どんなものなのか。
談春師はあるようだが、志らく師は演っていないのではなかろうか。

いずれにしても、ハードルの高い噺である。
だがやはり、獅子舞の部分は、滅んでいくのかもしれぬ。

「三軒長屋」、志ん生師もこんなところでよかろうか。
長い噺ばかり書いてきたが最後に軽いのもちょっとだけ書こう。

私が好きなのは「替り目」。この噺、まさに、師の地、かもしれぬ。

「付き馬」。「ちょぃっと、煙草買ってくるから」というのが、
最高に、うまいし、おかしい。大好きである。

ちょっと長いが「子別れ」。「上」で「お前の下駄は、減っちゃって
駒下駄じゃなくて、コマビタだね。これ以上減るとお前の足が減る」。
「昨日、今日、でき星の紙屑やじゃねえ。先祖代々の紙屑やだ」。
そして「下」の「八百屋!」。これが志ん生のセンスである。

大河「いだてん」では内儀(かみ)さんをもらって、大震災。
地震直後、酒やをまわって、呑みまくっていた。

志ん生師は戦後にならないと、うだつは上がらない。
しばらくは暗い感じなのかもしれぬ。

前にも書いたが、松尾スズキ氏演じる橘家円喬(4代目)の「富久」。
下手な落語もどきはやめてもらいたい。
たけし氏も、やめてほしい。
落語を知っているというのと、落語が喋れるというのはまるっきり
違うことである。

落語のリズムとメロディーができていない人の噺を聞かされているのは、
音痴の唄を聞かされているのと同じ。不快である。

たけし氏は、おそらく知らないはずはない。浅草出身の漫才師で芸人。
落語のリズムはわかっているが、あえて演らないのではなかろうか。
つまり、隣の庭にトウシロウが入ってはいけない、という配慮で
はないか。オイラが落語を演る場合はあくまで余興だ、と。

よくタレント、俳優等が落語の演技、真似を余興、あるいは作品として
することがあるが、あれも然り。あういうものを褒める風潮まであると
思う。褒めてもよく覚えましたね、程度で、ちゃんと言った方がよい。
ヘタなものはヘタ。
私は、習い始めにまず、師匠志らく師から言われた。素人にはわからない
のである。私もそれ以前はまったく気が付いていなかった。
落語のリズムとメロディー。落語は伝統芸能でもある。
そんな甘いものではないのである。
余興ではなく、ドラマやアニメ、映画の作品として作る場合は製作者の
問題。落語の作品を作るのであれば、そのくらい勉強してほしい。
指導をする落語家自身が知らない、可能性もある。(意外に多いと思う。)
わかっているのであれば、ちゃんと言うべきである。
(わかっちゃうと、皆うまくなっちゃって、本職が困る?か。)

閑話休題
次は、八代目桂文楽師。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その25 古今亭志ん生 三軒長屋

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引き続き、志ん生師「三軒長屋」。

真ん中の伊勢勘の親父、お妾さんの家。
鳶頭(かしら)の家と、剣術の先生の家の両脇に迷惑をしている。
伊勢勘の親父は、妾にこの三軒は抵当に取ってあって、もうじき
自分のものになる。そうなれば、三軒を一軒にして住める。

伊「こっちゃぁ、鳶頭だ、こっちゃあ、剣術使いだ。こんなもなぁ
  おっ放り出しちゃって。
  少しの間、辛抱しなよ。
  石の上にも三年ということがあらぁ。
  横丁の占い師を見ろ、どぶ板の上に、七年いらぁ。」

これを妾の家の女中が、井戸端で喋る。
それが鳶頭の姐さんの耳に入った。
それでなくとも、鳶頭が帰らないから、じりじりしてる。
そこへもってきて、これだから、身体が震えてくる。

そして、三日ばかり家をあけた鳶頭が帰ってくる。
ちょいとばかり、入りにくいので、表から小言を言いながら

頭「どうしたんだ、どうしたんだぁ、奴(やっこ)ぉ。
  ごみで一杯(いっぺえ)じゃねえか。
  家の前掃除しとかなきゃいけねえや。
  縁起商売(いんぎしょうべぇ)だぃ。」
姐「いいよ!。そんなとこ、うっちゃっとき!。」
頭「汚えから掃除させんだい。」
姐「いいんだよ!。掃除なんかさせなくて。
  こんな家はどうせ店立(たなだ)て食っちゃうんだ。」

店立というのは、大家から、立ち退きを求められること。

頭「そらーしょうがねえじゃねーか。
  入るとき証文が入ってるんだ。」

以前は「ご入用のときは、いつ何時でも明け渡します」という
一札(いっさつ)取られていたのである。

姐「その店立てじゃないんだよ。」
頭「てやんでぇぃ。二日や三日家開けたって、なにぐずぐずいって
  やんでぃ。」
姐「焼き餅でお前さんになんか言ってんじゃないよ。」

ここまでの話しをする。
そして
姐「そんなこと言われて、お前さん黙ってんのかい!。
  男がすたるよ!」

で、先に書いたような引越し資金を伊勢勘の親父からせしめて、
鳶頭と先生が互いに入れ替わるという結末である。
http://www.dancyotei.com/2019/jun/rakugo22.html

いかがであったろうか。
志ん生師「三軒長屋」。

原話は、中国、明の笑い話集にあるそうである。(「落語の鑑賞201」
延広真治編)「口演速記明治大正落語集成3」(以下「集成」)の
解説には文化4年(1807年)の上演記録に「楠うん平」という名前で
あるという。(同)

本文では触れなかったが、剣術の先生の名前が楠運平橘正国(くすのき
うんぺいたちばなのまさくに)という。
たいしておもしろくないが、弟子の名前が山坂転太(やまさかころんだ)
石野地蔵(いしのじぞう)なんという。
また、鳶頭が楠先生の家へ行って話しをする件(くだり)だったり、先生の
ところの話しがもう少しあるのだが、どうしても鳶頭の家での部分の
おもしろさにはかなわないので、省いた。

ともあれ。
噺としての成立は、文化といっているので、かなり古いといってよいだろう。
ただ、例によって現代の形になったのがいつなのかはわからない。

「集成」に入っているのは、明治27年、四代目橘家円喬のもの。
この人は、志ん生師(5代目)が師として生涯慕った人。

当時、この円喬師(4代目)の「三軒長屋」は絶品であったと、志ん生
(5代目)自身の言。(「落語の鑑賞201」延広真治編)特に、獅子舞の
件の軽快さは志ん生師はさすがのものだが、円喬師(4代目)はもっと
よかったと、志ん生師(5代目)は語っているという。(前出)

前にも少し触れた橘家円喬(4代目)。慶応元年(1865年)~大正元年
(1912年)。円朝直弟子。
品川の円蔵(橘家円蔵)(4代目)文久3年(1864年)~大正11年(1922年)、
柳家小さん(3代目)安政3年(1857年)~昭和5年(1930年)で、同世代。
三遊亭円朝、禽語楼小さんを第一世代とすると、明治第二世代。

円喬(4代目)以外では小さん(3代目)も得意にしていた(「集成」)。
明治38年(1905年)には歌舞伎化もされているよう。(「定本落語三百題」
武藤禎夫)

この明治27年の円喬師(4代目)の速記から志ん生師(5代目)のものは
大筋では変わっていない。てにおはが違う程度といってよいだろう。
膨大に膨らんだ枝葉でできているという構成は、明治27年には既にできて
いたということである。

落語の噺というのは、大きな筋があってそれが磨き上げられて
現代に語り伝えられている。
長い因縁噺が、陰気な部分は削られ、おもしろい部分が残され、
くすぐり(洒落やギャグ)が加えられることが多い。
ここまで見てきたものでも「黄金餅」などは後半部分は演じられなく
なったり、また、後で触れようと思うが「野晒し」などもその例である。

「三軒長屋」はむしろ逆。
メインのストーリーと無関係ではないが、まあ、横道といってよい
獅子舞の件、などが膨らまされ、そこが磨かれている。
そして、聞きどころ、聞かせどころになっている。

文化年間に生まれているとすると、この円喬師(4代目)の速記まで
80年、90年、あるいは100年ほどの期間がある。
この間が、今はまったくわからない。
いつ、この形になったのか。(研究が進んでほしいものである。)

仮説ではあるが、こんなことを考えた。

このシリーズの前に円朝師の研究と速記を読んだ。

例えば「真景累ヶ淵」などでは、メインのストーリーとほぼ
関係のない枝葉のストーリーが多くあるのだが、それもかなり
細かく、演じられている。

まあ、これはあたり前。演じる限りは、その時聞いているお客を
満足させなければいけない。そこだけ切りだしてもちゃんと成立
していなければいけないわけである。

なん時間も、なん日もかけて演じるのでまあ長くてもいいわけである。
いや、むしろ、長い方がよかったのかもしれぬ。
「つづきは明日」で毎日、毎日、長く来てもらえるのが演者にとっても
興行的にも最もよいのであろう。引っ張ると、今でもいうがそんなこと。

そして、この頃の作品の作り方と、その後、明治、あるいは
“近代”的な作品の作り方、考え方というのは根本的に違っていた
のではなかろうか。
メインのストーリーとは関係のない部分も、そういう意味では
整理されずに、まあ、いえば、ダラダラと作られるのがあたり前
であったと考えてもよいのではなかろうか。

歌舞伎、その前の人形浄瑠璃も基本、もともとは作品全体は長い。
段、数多くのパートに分かれており、徐々に人気のパートのみが
上演されるようになっていった。

枝葉を膨らませ、一つの作品を作るという作り方で「三軒長屋」も
作られていった。そして、この噺の場合その枝葉が、例外的に
おもしろかった。それで、そのまま残ってしまった。
そういうことなのではなかろうか。

 

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その24 古今亭志ん生 三軒長屋

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引き続き、志ん生師「三軒長屋」。

鳶頭(かしら)のところの若い者(もん)から、妾の女中やら、
伊勢勘の親父もからかわれている。

妾「だって旦那、我慢できやしませんよ。
  隣は剣術の先生でしょ。もうこの頃は、夜稽古まで始まって
  「おめーん。お小手ー。ヤー。」こっちにドシーンとぶつかって、
  こっちじゃ、酔っ払って「さー殺せ!さー殺せ!」ドシーン。
  喧嘩と剣術の間にはさまって、こっちゃぁ、のぼせちゃいますよ。」
伊「我慢してろよー、すこーしはよー。仕方がねえじゃねぇかよー。」

鳶頭の二階

A「おーう。こっちもっと酒ぇ~」
B「野郎同士じゃどうも具合がわるいじゃねえかなー
  女の子を、一つ、引き寄せようじゃねえか。チャカチャン、、
  なんてなことになろうじゃねえか。」
C「おぅ、おぅ、おぅ!。ここぁ、料理やじゃねえよ。鳶頭の二階だよ。
  姐(あね)さんに無理に頼んだんじゃねえか。だめだよ。
  よしねーぇ。」
B「よしねー、って、なぁーんだよ。やに、お前ぇ、俺に逆らいやがんなぁ
  なにいってやがんでぇー。」
C「なんだい!」
B「なんだいとは、なんだー!」
C「手前なんぞ、俺にそんなこといえた義理じぇねーぞ!
  今、大きなツラァしてやががるけど、三年前(めえ)のこと忘れたか!」
B「三年前、どうしたい?」
C「三年前どうしたー?、忘れやがったか、こん畜生め。
  やい!。俺のいうことよく聞け!。

(ここから獅子舞の件(くだり)になる。まさに枝葉の枝葉。
 志ん生師のリズミカルな語り口が、珍しい。珍しいが聞き所である。)

  三年前の暮れの二十八日だ。
  ぴゅー~~~~~っと、北風とともに俺んとこへ、入(へえ)って
  きたのが、手前(てめえ)だ。

  尻切り半纏(ばんてん)一枚ぇで、兄い、あがきがつかねえんだ
  助けてくれって、人を兄いごかしぃしやがった。
  こっちゃぁ、しゃーねえから、まあ、二階にいねぇ。春ンなったら
  儲け口探してやるから。
  
  一夜明けた。
  獅子舞出るんだから、手前太鼓叩けるか、ったら、夜回りの太鼓っきゃ
  叩けねえ、ってやがる。なにを言ってやがんだ、春早々夜回りの太鼓
  なんぞ叩かれてたまるか。そいじゃぁ、ヨスケ(鐘のこと。芸人の符丁)
  持てるかっ、たら、手が冷(つべ)たくっていやだ、って。じゃ、
  どうすんだ、っら獅子が被りてえって。なにを言ってやがんだ、獅子を
  被るのは真打の役だって。でー、俺に被らせてくれってから、被らせて
  やったら、この野郎、なーんだ、そうじゃねえんだ、寒(さぶ)い
  もんだから獅子が被りてえんだ。
  で、俺がヨスケ持って、チャンチキ、チャンチキ、チャンチキよ。
  
  山の手行って、田中の旦那んとこ行って、
  どーも、おめでとうございます、ったら、
  旦那が、あー鳶頭かい、やっとくれ!
  あい、よう、頼むぜ。

  チャーン、チャーン、チャンチキチ。
  チャンチャンチキチ、チャンチキチ。

  この野郎、グルグルグルっとまわって、
  これ、ご祝儀だよって、二分下すった。
  だから俺、威勢付けるために、おぅ、旦那がご祝儀二分下すったよ、
  ったら、この野郎、二分ってこと聞きやがって、面食らいやがって、
  二分かー、ってグルグルって回りやがって、
  玄関に坊ちゃんが機嫌よく遊(あす)んでる坊ちゃんの額んとこに
  獅子の鼻っツラをコツーんとぶつけやがった。
  坊ちゃんがワーっと泣いちゃった。

  ショーガネーから俺ぁ、坊ちゃん、勘弁してください。獅子が
  道化たんでございますから、って頭ぁなぜているとってぇと、あろう
  ことか、あるめいことか、この野郎、獅子の口から大きな拳骨(げんこ)
  出しゃぁがって、このガキぁ喧(やかま)しいって坊ちゃん
  殴りゃがった。
  俺ぁ、見ちゃいられねえから、この野郎踏み倒して、二つ三つ
  ひっぱたいて旦那に詫びをして、

  どうも山の手は付き合いがわるいから、一つ、下町ぃ行こうじゃねえか
  ってえと、ずーーっと九段坂、チャンチキ、チャンチキ、チャンチキ
  チャンチキ、くるってぇと、
  子供がワーっとくっついてくる。獅子の鼻から煙(けぶ)が出る、煙が
  出るって、俺がヒョイッと見ると、獅子の鼻から煙がでてやがんの。
  どうしたんだろうってヒョイッとまくるってえと、中で焼き芋食って
  やがんの、こん畜生は。下がってやがんでぇ。

  そいでシバサキの親方んとこ行って、親方!おめでとうございますって、
  こういったら、おう!、やっとくれよ!、へい!よろしゅうございます
  って。おう、兄弟(きょうでえ)頼むよ!。おう!。

  チャン、スチャチャン、チャンチキ、チャンチキ、、、
  
  この野郎、獅子を被りやがってよろけながら、ぐるぐる回ってやがる。
  祝儀だよ、って一両くれた。
  さっき、二分で面喰いやがったから、一両ってこというのよそうと
  思うけど、こっちがいくらかギッテルと思われんのも具合がわるいから
  おう!、ご祝儀一両だぜ!、っていうと、
  そーかい!、っていーやがって、どっかいなくなっちまった。
  獅子はどうしたい、ってえと、獅子は穴倉、落っこった、っていいやがる。
  野郎はとにかく、獅子は借りもんだ、さーたいへんだ、って引きずり
  上げたら、獅子の鼻ずら欠いちまぃやがって、その割前(わりめぇ)も
  まだよこしゃがらねえー。

  三軒長屋の上(じょ)でございます。

ここで切って、休み。時間的にもほぼ半分。
志ん生師は全体で45分、ここまでで22分。)

穴倉というのは、昔、大きな商家などにあった、地下室。

この獅子舞のところ、文字に起こしてしまうと、志ん生師のリズムと
メロディーは伝わらない、か。
笑いもあって、志ん生師、愉しそうに演じているのが伝わってくる。

書いている通り、ここは全体のストーリーとはほぼ関係ない。
最も関係がないパートといってもよいだろう。

明治の速記にもちゃんとこの部分はあって、ほぼ変わっていない。

まあ、とにかく喧嘩の仲直りから、また喧嘩になる。

下へ降りてきて、出刃包丁を持って二階に上がろうとするところに
お湯に行っていた、姐さんが止める。
振り切って、二階に上がって、突く、よける、壁に出刃包丁が
刺さる。

隣の伊勢勘の親父、妾の壁に、ぶすー。
伊「あー、驚いたよー、こりゃぁ」
妾「どうですー」
伊「いけないね、こりゃぁ」

一方、反対隣、剣術の先生の家、兼道場。

ヤアー、トウ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ。
ドズン、バタン、ドシン。壁にあたる。

伊「あ~~、たまらねぇ。
  御神酒徳利が落こってきた。しょーがねーなぁ、こりゃ」
妾「だから旦那、言わないこっちゃないじゃないじゃありませんか。
  ここを越してくださいよ。」
伊「待ちなよ。な。越すてーことは、かまわないけど、そいじゃぁ
  こっちが負になっちゃうじゃないか。
  まあ待ちな。
  この三軒の長屋は、これは俺が脇から家質(かじち)に取って
  あってな、もうじき抵当流れになんだ。そうすりゃ、三軒を一軒に
  して住めるんだ。」

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その23 古今亭志ん生 三軒長屋

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引き続き、志ん生師「三軒長屋」。

ストーリーはわずかなもので10分程度で終わるであろうものを
1時間にも膨らませている。
その枝葉のディテールを追っている。

喧嘩の仲直りに鳶頭の家の二階を姐(あね)さんに借りる。
皆が呼び込まれる。

A「姐さん、こんちはー」
姐「おや、松っぁんかい」
B「えー、こんちはー」
姐「おや、こうさんかい」
C「こんちは」
姐「あ、こんちは」

・・・(中略)・・

姐「大勢きたんだねー!。まー。なんだい?」
男「さーあがった、あがった、あがった。
  そこへ、ぶる下がっちゃいけねえ。」

二階へ上がろうとする若い者へ

男「おう!、おう!、手前(てめえ)なんだい!。」
若「えー、わたくしはねえ、、」
男「わたくしだぁ~?この野郎、カタクチみてえなツラしやがって。
  なんだい!?」
若「二階に上がって、皆さんと、、」
男「皆さんと仲直りすんで、二階(ニケエ)で一杯(いっぺい)呑もう
  ってのか。
  なぁ~~~にを、いいやがんでぇ。うぬなんぞ、二階で酒呑むガラか。
  縁の下で飯でも食らってろ。馬鹿野郎め。
  二階は役付きばかりだ。降りてろぃ。降りねえか!?蹴落とすぞ!。」
姐「まただね。お前は。それがいけないって、いってんだろ。
  ふん!、しょうがないね。
  おい、おい、兄ぃ。
  お前だって、二階上がったってしょうがねえよ。
  下にいて少し、用しとくれ。」
若「へー、どうもすいません。
  うっかり上がろうとしたら、怒鳴りつけられちゃったんで。」

姐「おーい!。
  なんかきたよ。
  魚やさんかい?
  誂えてきたの?刺身かい?

  あー、酒やさん?。酒持ってきたの?。
  みんな誂えてきたんだね、、

え?、炭なんぞいいんだぁね、ウチのを使やぁ。

  おー、奴(やっこ)、七輪のなかへ火種入れてね、
  その人に、熾(おこ)してもらいな。
  んで、お前は徳利やなんかの用意してな。」

(奴というのは、鳶頭の家にいる雑用をする若者。)

若「へい。
  おー、火種入れたか?よし。俺が心得た。

  へい。
  どーも、姐さん。
  お騒がせ申してすみません。

  鳶頭は?え?、お留守。
  お宅の鳶頭はいい鳶頭ですねー。
  あっしみてえな、こんな三下(さんした)ぁ捕まえても、表で会う
  ってえと「おう、兄ぃ儲かるけぇ?」なんて言われるとね。貫禄が
  あってそういわれるんだから、こっちゃぁ頭ぁ下がっちゃうよ。
  二階の奴ら、威張(えば)る一方なんだから。」

すると、表を、飛び切りいい女が通り、隣へ入っていく。
若い者は目の色を変えて、見る。
姐さんに聞くと、お妾さんで表の質屋[伊勢勘]の親父の持ち物だ、と。

若「え~~~?あんなの?あの爺(じじい)!。あんな若い?!
  いい年しやがって。
  こちとら、若くって、一人でいて。
  歯なんぞありゃねえじゃねえか。」
姐「歯がなくてもいいじゃねえか。歯がなくたって、銭があらぁ。
  お前、銭がねえじゃねえか。」
若「銭は、ねえや。なー。
  やっぱり銭だね。」
姐「そうだよ。なにごとも金の世の中。
  旦那、あれ買って下さい、これ買って下さい。あいよ、あいよ、
  という目が出りゃぁ、言うことも聞かぁな。」

姐さんは、ここで湯へ行く。

若「奴ぉ。姐さんの下足(げそ)出して。

  はい。留守は引き受けました。ゆっくり行ってらっしゃい。

  姐さんもいい女だけど、ちょいっと、もう、とうがたっているなぁ~
  さっきの女ぁ、いい女だったねー。もういっぺん出てこねえかなぁ。
  あすこんち、行ってみりゃ、出てくるかしら。
  「ちょいと、お尋ねします。隣の鳶頭んところはどちらでしょうか?」

  二階の奴らぁ、見られやしねえ。

  ん!?出てきた。

  なんだいありゃ!。

  おーう、二階のぉ~!下ぁ見てみな、へんなものが通るから!」
 「なんだ、なんだ」
 「なんだへんなものって」
 「あ、あれだ、あれだ」
若「あー、たいへんな女が通りゃがんなー
  なーんだ、駆け出しゃがった。
  太ってやがんなー。
  駆け出すより、転がった方が速えぞ!、オメエは。

  やい!
  こっちみて、泣いてやがる」
 「化け物ぉ~~~~」

妾「どうしたの?
  なんで泣くんですよ。

  隣の若い人が、お前のこと化け物だって、言ったってぇ?。

  だからわたしが、そ、いってるでしょ。
  今日は若い人がたいへん寄ってっから、表、出ちゃいけないって
  言ってるのに。お前さんが勝手に出てそんなこと言われてきて。
  あたしゃ知りゃぁしないよ。

  泣いてちゃいけませんよ。旦那がおいでなすったよ。」

伊「はい、こんちは。
  あー、なんだい?。」
妾「いーえ。これが表へ出て、隣の若い人にね、化け物、化け物って
  いわれてね、悔しくって泣いてるんですよ。」
伊「そーか。うっちゃっとけ、うっちゃっとけ。
  どうせあんなやつらだ。
  俺が今、この裏通ってくるとな、「ヤカンが通る、ヤカンが通る」って
  いいやがんだ。俺、ヘンだと思って、上ぇ見たら、俺の頭指差しゃがって、
  ゲラゲラ笑って。
  癪に触ったけど、なんたって相手が相手だからな。仕方がねえから
  ま、我慢をしてるんだ。」

 

つづく