浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭落語案内 その27 桂文楽 鰻の幇間

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さて、八代目桂文楽

師は、明治25年(1892年)~昭和46年(1971年)。
亡くなっ頃、私は小学校に入っていたので覚えている。

志ん生師は明治23年(1890年)~昭和48年(1973年)。
円生師は明治33年(1900年)~昭和54年(1979年)。

三人ほぼ同じだが、昭和の三名人の中では志ん生師が一番上で
文楽師は真ん中。しかし、三人の中では、少し早く戦前から売れて
いたよう。

文楽師。
私が大人になり、落語を自覚的に聞き始めた頃は、この人のよさが
わからなかった。やはり志ん生の方が、魅力があった。
ただ、やはり談志家元の高座を追っかけるようになって、
よさがわかってきた。教えられたといってもよいかもしれぬ。

三人の中では、持ちネタが極端に少ない。
長い噺も少ない。
だがそれだけ、一席一席が、限りなく磨かれている。
演ずる時間は秒単位で、毎回同じ。持ちネタであればどれでも。
こんな落語家は、ほぼいないだろう。

ある意味、志ん朝師は近いのである。
完璧に演じる。
ただ、おもしろいかおもしろくないかは別の問題。

文楽師はむろん、おもしろい。

持ちネタ。

明烏」「愛宕山」「按摩の炬燵」「鰻の幇間」「馬のす」「厩火事
「王子の幇間」「景清」「かんしゃく」「小言幸兵衛」「しびん」
「素人鰻」「心眼」「酢豆腐」「つるつる」「富久」「寝床」「干物箱」
船徳」「星野屋」「松山鏡」「やかん泥」「厄払い」「夢の酒」
「よかちょろ」「悋気の火の玉」。

出典はwiki。五十音順である。

実際、こんなものであるろう。

幇間(たいこもち)の噺がちょっと目に付く。
文楽師が幇間(のよう)であったということをいう人もいるほど。
文楽師以前の落語に出てくる幇間を知らないが、以後は文楽師の
演ずる幇間が落語に登場する幇間になっていったのかもしれない。

NO.1はなんであろうか。

一般の意見は「船徳」「明烏」あたりであろうか。
ほぼこの人しか演らなかったといえば、この二席になろう。
「富久」「寝床」も入れたいが、これは志ん生、円生も演った。
それぞれよかったが。

だが「鰻の幇間(たいこ)」を私のNo.1に挙げたいと思う。

文楽師の演ずるこの噺、大好きである。

時代設定は明治、、銭勘定から大正かもしれない、そんな頃。。

お話しはかなり単純である。

幇間(のだいこ)といって、どこか決まった花柳界置屋などに
所属せずまあ、フリー。町をあてどもなくさまよって、取り巻く、
旦那にする相手を探す。

「取り巻く」「旦那にする」というのはまとめて動詞である。
客にくっ付いていき、食い物を食べさせてもらう、
祝儀をもらう、など、幇間のお客にすることである。

文楽師だと、噺の舞台は兜町の人がいたりするので、茅場町人形町
あたりであろうか。季節は真夏で暑い。

幇間の名前は、まあ、なくてもよいのだが、お決まりの一八(いっぱち)。

知った人がいた。浴衣姿で手ぬぐいをぶら下げて。どっかで見たことが
あるが、どこの人であったか思い出せない。向こうから近づいてくる。
思い出せないまま、きてしまった。

一「へい、どーも、ご機嫌よろしゅう。おかわりもございませんで。」
客「どうしたい、師匠!」
一「大将。意外ですねぇ。いや、ここでお目にかかろうとは。
  わるいことはできません。あの節ねぇ、酔いました。あんな
  酔ったことはない。あのね、騒ぎてぇのはなかった。
  ねえ、大将!。大勢、婦人を集めの、あの・・・わ~~~っと!」
客「なんだな、、、騒々しいなぁ。
  オメエといつ酒呑んだぃ。」
一「え、へ、へ、、、呑みましたよ。」
客「だからどこで呑んだ?」
一「どこで呑んだ、って、呑んだじゃないですか。」
客「だから、どこで呑んだ。」
一「なんです。あの、、、柳橋で!」
客「な~にを言ってんだ。オメエとどこで会ったんだか、知ってるか。
  麻布の寺で会ったんじゃねえか。」
一「麻布の寺ですか~?」
客「歌沢(端唄から派生した江戸後期の短い歌謡)の師匠が死んだろ。
  お前、寺へ手伝いにきてて、煙草盆に突っかかって、剣突(けんつく、
  叱られる)食らったりなんかしてた。あん時会ったんじゃねえか。」

(中略)

一「大将、先(せん)のお宅ですか?」

と、住まいを聞き出そうとする。
だが、客は言わない。

一「大将!、絶えて久しく、対面ですな。
  今日(こんち)はひとつ、どこかへお供を願いたいですなぁ。」
客「いやな奴だなぁ。すぐに取り巻く。浴衣ぁ着てるんだ。
  手ぬぐいぶら下げてるんだ。お湯行くんだよ、あたしは。」
一「お湯ぃひとつ、手前がお供をいたします。」
客「オメエに背中流してもらったってしょうがねえだろ。」
一「え、ヘ、へ、ぇ~~~~、なんですよ、大将!
  敵に後ろを見せるってぇのは、ないよ。あ~た!。
  駒の頭を立て直したな!、え、へ、へ、、、たいしょ!」
客「よ~せよ!。へんな真似すんなよ。」
一「大将。あたくしはね、空腹の君なんです。
  ばかな千松(せんまつ)なんで。

千松というのは歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」に
登場する子供。幼少の若様の小姓。飯炊き場、といわれる場面。
若様の毒殺を恐れて、若様とともに用意された食事は食べない。
それで、空腹なのである。
腹が減ったことを、千松と、洒落て言う言い方があった。

一「あんの、ちょくの(安直)あるところで、ひとつ、大将!
  もよおしましょう。」
客「おい、しょ~がねえなぁ、まるで、ダニだねぇ。

  よし。せっかく会ったんだ、ただ帰すのはなんだ。
  どっかで飯を食って、別れよう。」
一「ぃよ!

パン!手を打つ

  待ってました!。
  どこ、いらっしゃる?」
客「遠出(とおで)はいけないよ。浴衣を着てるんだ。
  近間(ちかま)だ。」
一「ぃよ!、近間、けっこう!
  どこいらっしゃる。」
客「どうだい。鰻を食うかい?」
一「ウナトトはいいね。ノロ、ね。あれにあたくしは、久しくお目にかか
  らない。土用の内に鰻に対面なんぞは、ようがすな。
  是非(ぜし)、お供を!。」
客「じゃ、一緒においで。
  断っておくよ。家はあんまりきれいじゃないよ。その代わり
  食べ物は本場だ。新しい魚、食わせる。」
一「大将。あたくしはね、家を食べるんじゃない。鰻を食べるんだ。
  家なんぞで、曲がってたって、かまわない。是非、お供を。」

 

つづく