浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭落語案内 その22 古今亭志ん生 三軒長屋

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引き続き、志ん生師「三軒長屋」。

鳶頭(かしら)の家と先生の家は伊勢勘の抵当になっており、
もうじき、抵当流れになり伊勢勘のものになる。どぶさらいの
鳶頭とへっぽこ剣術の先生は追い出して三軒を一緒にして住む、と。

それをお妾さんの女中がそこここで喋り、鳶頭の内儀(かみ)さんの
耳に入ってきた。
姐御(あねご)は烈火のごとく腹を立てる。
そこへ数日家をあけていた鳶頭が帰ってくる。
「お前さん、そんなことをいわれて、男がすたるよ」と。

聞いた鳶頭は、羽織を着て出るが、伊勢勘の親父のところではなく、
剣術の先生の家に。先生に、今、隣の伊勢勘の親父が、こんなことを
言っている。腹が立つじゃありませんか、と。
なに!へっぽこ剣術使い!、と先生も怒る。
そこで、鳶頭は先生に、こんなことを考えたと、策を話す。

先生は真ん中の伊勢勘の親父のところへ行く。
門弟も増えたので、広いところに転宅を考えている。
しかし、金がない。そこで千本試合というものをしようと思う。
これは、数多くの剣客を集め、立ち合いをする。この時に、皆、
なにがしかのものを持てくるのでこれを集め転宅の費用にしようと。
ただ、この試合は、中には真剣で立合う者も出てくる。
切られて逃げてくる者もある。危ないので三日間の間、
戸締りをして、外へ出ないでもらいたい、と。

これを聞いた伊勢勘の親父は、そんな危ないことは
やめてもらえないか。失礼ではございますが、お引越しの
費用を出させてほしい。そうすれば、そんな危ないことを
しなくともよいのでしょう?と。
先生は、返すあてはないが、、。いや、そんなことは結構、
是非使ってくれ、というので、先生は50両もらい、明朝
すぐに引越す、といって、帰る。

次に、今度は鳶頭がくる。鳶頭は、仕事の都合で引越しを
しなくてはならなくなったのだが、金がない。それで、江戸中の
仲間を集めて、花会(はなかい、博打の会)をしようという
ことになった。面倒くさいので、酒を樽ごと置いて、まぐろを
一本置いて、そこに出刃包丁やら、刺身包丁だの置いて、勝手に
呑んで食わせようと考えている。
酒が入ると、お約束で暴れる奴も出てくる。三日間、戸締りを
して外へ出ないようにしてほしいと。
伊勢勘の親父は、なんだ鳶頭、そんな危ないことはやめとくれ。
なんで、旦那、引越し代がないから出してくれ、とこないんだ。
いくらいるんだ、と50両やる。

明日の朝、早く引越すといって、帰ろうとする鳶頭に、
伊「あ、鳶頭、先生も引越すって、言ってたが、お前はどこに
  引越すんだ?」
頭「あっしが先生のところに引越して、先生があっしのところに、
  引越すんですよ。」

これで下げ。

会話は筋に関係ある部分のエッセンスを抜き出し、全体の筋だけを
書いてみた。

実際に、お話はこれだけ。これを喋ると、10分もかからないで
終わるのではなかろうか。
しかし、この噺、上下に分けて、全部で1時間程度かかるのである。

つまり10分でできる噺を1時間に延ばしているといってもよい。
これはいったいどういうことなのか。

かなりへんな噺といってよい。
筋10分で、これを大幅に膨らませて、噺ができているのである。

今書いた部分だけを喋って一席の噺として成立するのか。

おさらく成立するのであろう。
まあ長めの小噺くらいのものにはなろうが。

結局、ストーリー、さらにストーリーに付随する枝葉を落語らしく
会話で演じて膨らんでいるのである。

どこが膨らまされているのかというと、いくつかに分けられるが、
順を追って書いてみよう。

まずは鳶頭が留守の鳶頭の家。鳶頭の内儀さん(姐御)のところに、
配下の者が、喧嘩の仲直りの会をしたいのだが、二階を貸してくれ、
と頼みにくる。

さらにこの中もさらに分かれるのだが、頼みにくると、まずなぜ喧嘩に
なったのか、喧嘩の場面が再現される。

喧嘩をしていたのは、ガリガリ宗二(ソウジ)とヘコ半。
内容は他愛もないもの。

二人で湯やに行って、湯に入っていた。
唄を唸っているガリガリ宗二の鼻先で、ヘコ半は屁をこく。
謝ればいいのに、屁は俺のもんだ、返せ、などといって、喧嘩になる。
まるで馬鹿馬鹿しいが、おもしろい。
洗い場で取っ組み合い。

湯やのお内儀さんが、姐御のところに頼みにきた者(名前は出てこない)に、
お仲間がウチで喧嘩を始めて手が付けられないので、分けてくれ、と。
他の仲間を連れて、湯やへ行って分ける。

分けたが、またぶり返さぬよう、皆で一杯やって納めようということに
なった。
それで、頼みにきたのである。姐さんはそういうことなら貸すよ、と。

姐「いつやるんだい?
  明日かい?」
男「いや、明日じゃないんで。」
姐「明後日かい?
  早くおやりよ、こういうことは。」
男「いや、
  今なんで。」
姐「早すぎんねえ、今だなんて。」
男「だって大勢表で待ってるもん」
姐「なんだい、連れてきたのかい?
  人が貸すとも、貸さないとも言わないうちに。
  しょうがないねぇ。貸すよー。
  貸すけどもねー、お前たちは寄るとさわると、言葉が荒くっていけないよ。
  この野郎だの、こん畜生だの、叩っ殺すぞ、なんていけないってんだよ。
  うちはいいけど他のおとなしい人(隣のお妾さん)がいらぁな。
  いけないよ。乱暴な口をきくんなら、貸さないよ。」
男「いや、だいじょぶです、乱暴な口はきかせません。
  乱暴な口きいたら、その野郎、俺ぁ、叩っくじいてやる。」
姐「それが乱暴だ、ってんだよ。」

このあたりのやり取り、実に小気味よいし、おもしろい。
男勝りの姐御の口調も、気持ちがよい。

姐「みんなおいでな!」と呼び込む。
男「おーう。こっちへえんな!
  姐さんがなかなか貸さねえんだぞ。手前(てめえ)達ゃ寄るとさわると
  この野郎だの、こん畜生だのいうからよ。そんなこといっちゃいけねえ
  ってんだ。ほんとに、静かにしろい。静かにしねえと承知しねえから。」
姐「うるさいねえ。」
男「うるせえなぁ。」
姐「お前がうるさいんだよ。」
男「俺だぁー。
  すいません。」
姐「なにいってんだ。」

 

つづく

 

 

 

断腸亭落語案内 その21 古今亭志ん生 らくだ~三軒長屋

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引き続き、志ん生師「らくだ」。

父、祖父は火葬場のことを焼き場といっていた。私は落語以外でも他に
聞いたことはない。東京・江戸で火屋(ひや)と言っていたのかどうかは
確かめ切れていない。

松鶴師など上方の落語家の録音には説明なしに火屋といっていたので、
関西では最近まで(?)使われていた?。そして上方種の噺だからか、
とも思っていたのだが、、。
ただ、どちらにしても、火屋は古い言い方であることは間違いない
ようである。

ともあれ、いかがであったろうか「らくだ」。

前に書いたが、明治終わり頃、京都の桂文吾(4代目)から東京の
柳家小さん(3代目)に伝えられたという。

上方では亡くなった笑福亭松鶴師(6代目)が看板にしており「らくだ」と
いえば松鶴といってよいと聞いていた。音も残っている。桂米朝師(3代目)、
桂文珍師の音もあるので聞いてみた。

聞いてみると、松鶴師から、米朝師、文珍師と段々にマイルドに
なっているのがわかる。
松鶴師では、かなり恐い。上方は丁の目の半次ではなく、やたけたの
熊五郎といっているが、松鶴師では本物であるが、文珍師になると熊五郎
いたってマイルドになり、全体として笑いが増している。
現代において大阪で演ずるとするとこうなる、ということなのかも
しれない。

東京でいえば、志ん生師の丁の目の半次はやはり恐い。
談志師も同様。円生師は少しマイルド。小さん師(5代目)は随分と
マイルド。小さん師は人(ニン)ということもあるのだろうが、これは
作品の理解、演出ということのようにも思う。

名作?、、、いや、問題作であることは間違いない。
殺人こそないが、らくだも、丁の目の半次は紛れもない「悪党」。

前に「悪党の世紀」との関係で触れたのだが、 幕末のような世の中、
皆「悪党」であった時代ということではなく、いつの時代どこにでもいる
ゴロツキという理解が正しかろう。

志ん生師、談志師を聞いていると江戸~東京の落語に流れていると
私が考える、幕末からの「悪党の文脈」に響いて定着したということ
ではないかと思うのである。

作品理解からすると、松鶴志ん生、談志のように恐い、文字通り
酷い奴として描くのが正解なのではなかろうか。特に、談志師の、
酔ってからの屑やの演出はまさに人間というものに迫っている。
作品性は高い。上方から東京に「らくだ」がきてたどり着いた姿と
いってよいと思う。

ここまで酷い奴は、円朝作品を除いて、江戸落語には登場しない
のではなかろうか。またこの噺、ノーマルな勧善懲悪でもない。
らくだは、死んだので仏。だから許しがたいが許す、という処理の
され方をしている。

また「黄金餅」もそうだが、行われる遺体損壊。
(ついでだが、火葬場が舞台になるのも二席に共通している。)
もちろん、それを笑いにしているのだが、遺体損壊を笑いにする
こと自体が日本人の伝統的倫理観ではあり得なかろう。
遺体損壊は落語ではこの二席しかないのではなかろうか。
円朝作品にもさすがに登場しないと思われる。

上方種には多いのか。上方落語を体系的に知っているわけでは
ないので、断定的なことはいえないのだが、そんなことも
ないではなかろうか。

前に、この噺は歌舞伎になっていると書いた。
こんな酷い、恐い、また、グロイ噺が歌舞伎とは、とも
思うのだが、米朝師から文珍師のマイルドな「らくだ」を
聞いてみて、なんとなくわかったような気がしたのである。

松鶴志ん生、談志のラインはリアルを追求し人間を描く。

一方、米朝から文珍などのライン(小さん(5代目)もここに入ろう。)
熊五郎(半次)をマイルドにすることによって、フィクション、
虚構世界にし、笑いを増大させた。
芝居にした場合もこれではなかったのか。
歌舞伎は映像のアーカイブを観ることができるのだが、
コミカルな演出で、やはりこういう理解でよさそうである。

つまり、二方向に発展してきた噺ということができると考える。
志ん生から談志に至った「悪党」系の人間を深掘りした「らくだ」。
また、フィクション化しエンターテインメント性をあげた
米朝師~文珍師などの大阪系の「らくだ」どちらもあり。

やはりこの噺、ちょっと稀有な例といってよいだろう。
継子(ままこ)かもしれぬが、落語としては重要な噺である。

さて「らくだ」はこんなところでよいか。

志ん生師、もう一つ。
あまりいわれないが私の好きな噺「三軒長屋」。

時代設定は一応、武士が出てくるので江戸末といったところか。

三軒続きの長屋。
ただ、これは落語によく登場する九尺二間といった狭小な長屋ではなく、
二階もある少し大きなもの。

手前から、鳶頭(かしら)、真ん中がお妾(めかけ)さん、
その向こうが剣術の先生の住まい兼道場の三軒。
この三軒が壁一枚で隣り合っている。

鳶頭は、いわゆる火消し、仕事衆(し)の頭という言い方もされる。
気の荒い配下の者達もたくさん出入りする。
内儀さんは、鉄火(てっか)で、姐御(あねご)などと呼ばれる。

鉄火というのは、例えば鉄火場というと、博打場のこと。
辞書を引くと「気性が激しく、さっぱりしていること。威勢がよくて、
勇ましいこと。また、そのさま。多く、女性についていう」。(大辞泉
鉄火巻は博打場などで簡単に食べられる巻き寿司として考えられたとも
いわれている。(まぐろの赤い色からともいう。)

剣術の道場は、こちらももちろん、荒々しく、色気もなにもない。

お妾さんは旦那がきた時だけ笑い声がちょっとあるぐらいで
いたって静か。

まずこれが初期設定。

鳶頭は寄合から女郎買いで数日家をあけている。
配下の者が集まり、一杯呑んで、喧嘩の仲直りのための会をやる。
しかし酒が入ると、お決まり。また喧嘩が始まり、出刃包丁を
持ち出し、殺ろす、殺せの大立ち回り。

剣術の先生の方は、夜稽古も始まり、ヤー、トー、ドタンバタン。

間に挟まれて、真ん中のお妾さんは血のぼせがするとか、
気のぼせがするとかで、旦那に訴える。
旦那は[伊勢勘]という質屋。
訴えを聞いた旦那は「実はな、この長屋は家質(かじち)に
取ってある」という。
土地なのか家なのか[伊勢勘]で抵当に取ってあり、それが
もうじき抵当流れになる。それで、もう少し待て。
流れれば、どぶさらいの鳶頭とへっぽこ剣術の先生なんぞは
ちょいと金をやって追い出し、三軒を一緒にして、住めばよい、と。

 

つづく

 

 

 

断腸亭落語案内 その20 古今亭志ん生 らくだ

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引き続き、志ん生師「らくだ」。

丁の目の半次に脅かされて、屑や、戦利品の酒を呑む。
「やさしく言ってるうちに呑めよー!」で、駆けつけ三杯。

屑や、出来上がってきた。

屑「あっしゃぁねえ、おまはん偉いと思うよ。
  兄弟分ってところで世話ぁしようって。
  ねえ。
  銭があって、やるんじゃない。銭がなくってやるんだから。
  なかなあ、できるこっちゃない。

~~~~~~

円生師、談志師は、ここでどれだけらくだに苦しめられたか、
金を取られたかを怪しいロレツで屑やが語る。

狸の皮があるから買わねえか、といわれる。本物であればそれなりに
儲かるので、了承すると、手付を出せというので半分の五百文出す。
すると表へ飛び出して行って、酒を買って一人で呑み始める。

どうしたんです、というと、畳をあげて、根太(板)を剥がして、
ここにある、というのでのぞき込むと蹴飛ばされて屑やは床下へ
落とされる。そして、すぐにらくだは畳を載せてその上に大あぐら
をかいてしまう。
皮なんぞないじゃないですか、というと、もう少し先に、年降る狸が
いるから、それを捕まえてもってけ、と。
冗談じゃない、生きたのじゃいやだ。とにかくここを開けてくれ、と。
開けるには後金(あとがね)出せ。とうとう一貫(千文)取られた。

談志師は他にもいくつかエピソードを酔った屑やに、涙とともに語らせる。
聞かせどころ、聞きどころであろう。

~~~~~~

  う?!

屑やの茶碗が空になった、、、、、
茶碗をひっくり返す仕草。

  おう、おうおう。注がねえか。」
半「もう、お前(めえ)よしねえな。随分呑んでるぜ。
  商売があんだろ。釜のふた開かねえって。」
屑「なんでえ、なんでえ。釜のふたが開かねえ?
  なにいってやんでぇ。
  これっぱかりの酒で。
~~~~~~

  雨降り、風間、病み患(わずら)い、その他色々あるよ。
  そのたびに、嬶(かか)ぁやガキにピーピーいわれるような
  屑やじゃねえんだ、、。

なんというフレーズも入る。

~~~~~~
  注げよ!、注げよ!
  やさしく言ってるうちに注げよー!」

立場が入れ替わる。

屑「こんな煮しめなんかで、酒が呑めるかよー。
  表の魚やいって、まぐろのブツ持ってこい」
半「よこすかなー」
屑「よこすの、よこさねえの言ったら、かんかんのう、だよー」

と、一応ここ、落ちているので、前半だけの場合はここで切る。

ここから先、後半。

屑やが、らくだの頭を丸めさせる。
志ん生師はいきなり剃刀(かみそり)ナシで手で、引っ張って抜く。
これは、グロイ。

一般には、屑やが丁の目の半次に長屋の女所帯に剃刀を借りに
いかせる。
剃刀を借りてきて、らくだの頭を坊主にする。
ただ、酔っ払っているので、面倒になり、やっぱり途中から、
手で抜く。

仏教では、仏の弟子になるので、剃髪(ていはつ)、沐浴(もくよく)をする。
沐浴は、湯潅(ゆかん)というが、遺体を洗う。
この噺には湯潅は出てこないが「ちきり伊勢屋」で出てきた。
一般に、湯潅は江戸でも寺にその設備があって、身内の者が
するものであったようである。
ともあれ。

ここから、菜漬けの樽に入れ、二人差し担いで出かける。
行き先は、屑やの知り合いのいる、落合の焼き場(火葬場)。
志ん生師は焼き場は「火屋(ひや)」と昔は言ったと説明する。

らくだは身寄りがなく、寺などない(わからない)。
丁の目の半次は自らの寺は義理がわるく、行けない。
それで、屑やのツテを頼ることになった。

早稲田から姿見橋を渡る。
道が、穴だらけ、夜になっているという設定。

穴に足を突っ込んでしまって、よろける。
「なんだか、軽くなった、な。」

落合の焼き場に着く。
屑やの知り合いに、女郎買いの割り前を負けてやる代わりに
焼いてもらうことに。

と、樽をのぞくと、らくだの死骸がない。
よろけた時に、樽がズッコケて、落としたんだ。

二人で戻る。

淀橋へんには、昔は願人坊主(がんにんぼうず)がいたが、よく
ヘベレケになって寝ていた、と志ん生師は説明する。
願人坊主は「黄金餅」に出てきた。

あー、いたいた。それでもよく拾われなかったな。

屑「ん?少しあったかになったな。」
半「地息(じいき)で少しあったかになりゃがった」

(地息というのは、地面から出る水蒸気。)

樽はズッコケているので、横に突っ込む。
「苦しいよ」などといわせている。

担いで、再び焼き場に。

酔って寝ている願人坊主を火に入れる。

これはむろん、たまらねえ。
火の中から、飛び出してくる。

願「どこだ、ここは」
 「日本一の火屋だ」
願「冷(ひや)でもいいから、もう一杯」

で下げ。

 

つづく

 

 

 

断腸亭落語案内 その19  古今亭志ん生 らくだ

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引き続き、志ん生師「らくだ」。

大家のところに酒と肴の要求。いやなら死人(しびと)にかんかんのうを
踊らせる、という脅し。ふざけるな。見てえもんだ。婆さんと二人で
退屈してる、と、大家。

屑や、帰ってくる。
丁の目の半次にいうと「そういったんだな。よし、わかった。
向こうを向け。」

らくだの死骸を屑やに背負わせる。
上方では、らくだのほっぺたが、屑やのほっぺたにくっつく、という
演出もある。
屑「食い付きゃぁしないでしょうね」
半「食い付きゃしねえ、くたばってるんだ。
  さ、さ、行け!

  ここか?
  俺が開けたら、すっと入ってけ。

  おう!、大家ってのはお前(めえ)か?!
  らくだの死骸担ぎ込んできたからな、
  今、かんかんのう踊らせてやるから、よく見てろ。」
大「ひゃぁ、、、婆さん、持ってきたよ。
  冗談、いっちゃいけない。お前。
  持って帰っとくれ。持って帰っとくれ。
  酒と煮しめ、わかったよ。」
半「せっかくきたんだから、ちょいと躍らせろ」
大「やめてくれ、持ってっとくれ」

~~~~~~
志ん生の録音を二つ聞いたが、どちらも踊らせていない。

円生、談志は踊らせている。

円生版。

半「どこだ」
屑「ここ」
半「この家か。」

表の戸を開ける。
大家の家なので、いきなり座敷ではなく戸を開けると台所の土間で
さらに仕切りの障子があるという細かい設定。

半「竃(へっつい・かまどのこと)の脇に立てかけろ。
  突っ張ってるから、ダイジョブだ。
  立てかけとけ、っていってるんだよ。

  俺がな、この仕切りの障子を開けるから、それを合図に、
  かんかんのう歌え」
屑「冗談いっちゃぁ、いけませんよ。そんなの私歌えませんよ。」
半「歌えません、って!」
屑「だって、知らないんですよ」
半「この野郎。歌わねえと、蹴殺すぞ!」
屑「う、う、う、、、歌います」
半「よし。
  いいか。開けるとたんに歌うんだ」
開ける。
半「そら!歌え!」
屑「かんかんのぉ~~~、きゅー(の)れ(ん)す、、」
大「あ!、、いけない、お婆さん、ホントに持ってきたよ。
  待ちな、てんだよ、逃げるんじゃないよ。」
屑「かんかんのぉ~~~、、、」
大「歌うなよ、屑や。

  お婆さん、逃げるんなら、俺も一緒に逃げるよ、不人情だな。

  あ、わ、あ、あげます、あげます、今すぐにお届けをするから、
  どうぞ、どうぞ、お引き取りを」

談志家元は円生版といってよいか。

~~~~~~

二人、戻ってくる。
半「死骸、土間へおっ放り出しとけ。

  もう一軒行ってくれ。」

また「釜のふたがあきません」「行け!」の一件(ひとくだり)またあって。

半「表の、八百屋行ってくれ」の指令。

早桶(棺桶)替わりの菜漬けの樽借りてこい。

「あいたら返してやるから、って」。
「貸すの貸さねえのいったら、、」「かんかんのうですか?」
「わかってきたじゃねぇか」。

八百屋にきてみると、やっぱりここでもらくだは酷かった。
金など払ったことがない。なんでもかんでも、持ってっちゃう。
樽はやれるわけがない。

屑「と、めんどくさいことになる」
八「なんだい、めんどくせえって」
屑「死骸のやり場がないから、担ぎ込んできて、かんかんのう
  踊らするって」
八「なにぉ~!、踊らせろぃ!」
屑「今、大家さんとこで、踊らせてきた」

~~~~~~~
「こう、お座敷が増えたんじゃやりきれねえ」
「どっかでやってきたのか?」
「今、大家さんとこで」

と演るのが、一般的。
~~~~~~~

そりゃ、たまらねえ、と、樽と、縄、差し担いにするための
竹の棒も貸してくれる。

借りて屑や、戻る。

と、ご苦労だったな、と丁の目の半次。

お前(め)えの留守にお蔭で、月番から香典と大家から、
酒と煮しめが届いている。

仕事に行く前に、死人背負って身体が穢れているから、一杯
ひっかけていけ、といわれるが、屑やは、お酒は勘弁してくれと、
断る。呑めないわけじゃないが、仕事にならなくなるから。

呑め、呑めないのやっぱり押し問答があって、やっぱり
脅されて、一杯呑む。
屑や、いい呑みっぷりで一気に呑む。

あんまりいい呑みっぷりなので「なんだ、呑めるんじゃねえか。
一杯、ってのはねえ。一膳飯もよくねえ。もう一杯呑め。」
また押し問答するが、もう一杯呑む。

「駆け付け三杯、っていうだろう。
 もう一杯だけ呑め。」
「なん度もいわせるなよ。」、と、脅され、屑や、呑む。

呑んでいるうちに、段々、酔ってくる。

もちろん、段々酔ってくるように演じるのである。
これは談志家元が定評がある。

円生師、志ん生師とくらべても確かに談志師の方が
ここは上手い。

 

つづく

 

断腸亭落語案内 その18 古今亭志ん生 らくだ

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引き続き、志ん生師「らくだ」。

フグにあたって死んでしまったらくだの家。
兄弟分の丁の目の半次というのがきて、葬式を出してやろうと思うが
こいつも博打で取られて一文無し。好都合に屑やがきてなにか
買わそうとするが、らくだの家財はすべて過去に屑やにも見放された
ものばかり。

帰ろうとする屑やを止めて、月番のところに行ってこいという。
月番というのは、長屋で月毎に回り持ちで雑用をする役割。

屑やは「年を取ったお袋に女房があって子供二人。今、仕事に
出たばかりで、釜のふたが開かない(食えない)」から勘弁してくれ
というが、脅して、行かせる。

指令は「長屋には祝儀、不祝儀の付き合いはあるだろう、らくだの
香典集めて持ってこい」「出すの出さねえのいったらな、俺が出て
いって、ものが面倒になる、と、そ(う)いいな」。
(江戸弁では「そういいな」の「う」が落ち「そいいいな」になる
ことがある。志ん生師はこの傾向が強い。また「そいう」はこれだけで
店屋物を取るときなど「そばやにそいう」などの使われ方もあった。)

「ナマジ品物で持ってこられても困るから、生(ナマ、現金)で持ってこい」
というのが入ることがある。

さらに「手前(てめえ)は、ずらかる憂いがある」からと、屑やの商売道具の
篭を取り上げる。(ここは、秤と風呂敷のこともある。)

屑や、ぶつぶつ言いながら月番のことろへ。

屑「月番は、あーたですか?」
月「はい、あたし。なに?」
屑「あのー、らくださんがねえ、、」
月「あー、とっ、と。
  らくだのことで、持ってきたってだめだよ。
  あいつに関わるのがいけないんだからね。」
屑「いえ、らくださんが死んだんですよ。」
月「え?、らくだがまいっちゃった?ホントか?!おい。
  ホントに死んだ!?そんなこといって、人を喜ばせて、、
  ホントかい?!」
屑「本当にまいっちゃった」
月「生き返んないか?そうじゃねえよ、あいつぁ、ずうずうしいから
  生き返ってくるよ。頭よく潰しといたらどうだ。」
屑「もうダイジョブですよ。フグにあたっちゃったんです。」
月「へー、フグに。そーかい。そいで、なんだってんだい?」
屑「その、兄弟分ってのがきてましてね、長屋には付き合いがあるだろ
  香典集めて持ってきてくれって」
月「冗談いっちゃぁいけないよ、お前(まい)さん。」

らくだはとにかくひどい奴で、そういう付き合いは、している奴なら
出すが、一度だって払ったことはない。端(はな)取りにいくが、
今ない、という。立て替えといてやって、後で取りにいくと、
細かいのがねえ、という。大きいのでもいいというと、細かいのが
ねえんだから、大きいのがあるわけねえ、と。
野郎、付き合いなんかしたことねえ。だから、だめだ。

屑「だめだ、っていうと、俺が出てく、って、俺が出てくと、めんど
  くせえぞ、っていってました。そのまた、らくだの兄弟分ってのが
  凄いんです。顔中傷だらけですよ。もう、傷の取締りみたいな
  顔してる。それがあんた、きますよ。よこざんすか?」
月「やだなぁ。困んな。じゃね、長屋歩いてみるよ。らくだが死んだの
  そいって。喜んで、強飯(こわめし)蒸(ふ)かすとこ、蒸か
  さねえで、いくらか下さいって。んで、持ってくよ。」

屑や、らくだの家に戻る。すると、さらなる指令。屑や、やっぱり「釜のふた
があかない」と抵抗するがおんなじことなん度もいわすなと、またまた脅され、

半「大家んとこ行ってくんねえか。
  野郎の死んだことそいってな、今夜、通夜すんだ。大家さんには
  くるにはおよびません、って。
  店子の者は寂しいんで、酒のいいのを三升(さんじょう)、わるいと
  明日の仕事にさわるといけねえから。それから、煮しめ。こんにゃく
  だの豆腐だの、芋だの甘辛くうまく煮てな、大きな皿で届けて
  くれって。」
屑「いいですか、そんなこといって」
半「いいんだよ。お前(めえ)は俺に言われた通り、向こうへ行って
  口をパクパク動(いご)かしゃいいんだよ!。
  で、よこすのよこさねえの、っていったらな、いらねえ、って
  いいな。いいか。
  その代わりに死骸のやり場がねえから、大家んさんとこへらくだ
  の死骸担ぎ込んできて、ついでに“かんかんのう”を踊らすって、
  そいえ。」
  
頼むものは談志家元などはさらに、にぎりめし三升、というのが入る。
また志ん生師は入れていないが「大家といえば親も同然、店子といえば
子も同然。親子の間柄だ、遠慮のねえところをいわしてもらう」これも談志。
あるいは屑やの「大家さんは名代のしみったれですから、そんなこと聞く
わけがありませんよ」というのも入る。
“かんかんのう”というのは文政頃からある俗謡。唄と踊り。

屑「大家さんいます?」
大「はいはい。なんだい!。あー、屑やさんか。今日はなかったなぁー。
  今日はなんにもないよ。」
屑「いえ、屑じゃないんですよ。」
大「んー?」
屑「あのー、らくださん、、」
大「あー、いけないよー。
  また、らくだのことで持ってくる。あいつに関わりあっちゃ
  いけねえんだよ。」
屑「いえ、死んだんですよ。」
大「らくだが?
  えー?どうして?
  フグにあたって?、ホントかい。
  そーかい!。
  おい、婆さん、らくだが死んだとよ。
  ありがてえなぁ。フグがまたよくあててくれたよ、あいつを。
  フグを祀るよ、俺んとこで。
  で、どうしたの?」
屑「ええ、兄弟分ってのがいましてね」
大「ろくな野郎じゃないよ。」
屑「ええ。で、今夜通夜をするんだそうで」
大「なんでもするがいいやな。」
屑「大家さんにはくるにはおよびません、と」
大「誰が行くやつあるもんか!」
屑「店子の者が寂しいっていうんですよ。これ、あたしがいうんじゃ
  ないですよ。ね。酒のいいのを三升、わるいと明日の仕事にさわると
  けないから。そいから、大きな皿に煮しめ。こんにゃく、豆腐、芋
  だの甘辛くうまく煮て、持ってきてほしい、って。」
大「お前(まい)さんいくつだい。
  いい年をして、そんなこと請け合ってくる奴があるかよ。
  そりゃあねえ、大家といえば親も同然だ、店子の世話もしたいね。
  あいつが店子らしいことしたかよ。
  あそこの家入って、四年になるよ。一文だって家賃入れやしない。
  催促に行くと「ねえ。」って。
  だから、こないだ、俺ぁ、上がり込んでね、他の店子にもしめしが
  つかねえから家賃払うか、ここを出てくかどっちかにしろって言った
  んだ。んだら、どっちもできねえ。脇い家を一軒こしらえろって。
  そしたら出て行ってやる、って。
  今日は俺もここを動かねえから、っていってやったんだ。
  そいだら、きっと動きませんね、って念を押しゃがる。
  んで、スーッとあの大きな図体で立ちゃぁがって、戸棚をごそごそ
  やってたよ。、、なんだろ、って後ろを向いてよかったよ。
  こんな太いこんな長い鉄の棒を持ってな、これでも動かねえか、って。
  あたしゃ、あれでやられりゃ、まいっちゃう。
  転がるようにして、逃げだしたよ。
  んで、買いたての下駄、あそこの家に置いてきちゃったよ。
  それ、あいつぁ、履きゃぁがって、家の前を湯へ行くんだからね。

  死んだもなあ、しょうがねえ。四年の家賃を、香典代わりに棒引きに
  してやるから。酒だの肴だの、できないよ。」
屑「そーすか。
  と、少しめんどくさいことになるんで。」
大「なにがめんどくさいんだ」
屑「死骸のやり場がないから、死人(しびと)を大家さんとこへ担ぎ
  込んできてね、かんかんのうを踊らせる、って。」
大「なにお!、そんなことで驚くか。俺ぁ、生まれてこの方、死人が
  かんかんのうを踊ったのを見たことがねえ。踊らせろ!、って、
  帰ってその野郎に、そいえ!」
(屑やに大家が塩をぶっかける、というのもある。)

 

つづく

 

 

 

断腸亭落語案内 その17 古今亭志ん生 富久~らくだ

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引き続き、志ん生師「富久」。

噺の中でも書いたが、この噺のもう一つのテーマである火事。
火事を、不謹慎であるが、愉しむというのが、あったことが
この噺を成立させているもう一方の柱といってよい。
また、志ん生の場合、北風が吹きすさぶ中を駆けつける。
寒さが特に強調されていることがこの噺の作品性を高めている
と考えてよいだろう。

これ、書きながら思い至ったのだが、近々この噺はほぼ演じられなくなる
のではないか、と。火事にしても寒さにしても東京人の記憶にはもう
ないといってよい。
志ん生文楽以降だと、小さん師(5代目)、談志師、志ん朝師他が
演じている。
存命だと、権太楼師、雲助師、志らく師、市馬師もCDがあるよう。
白酒師も演っている。また、小さん版を小三治師も演っていた。

だが、ここまで、ではなかろうか。

白酒師はおもしろい。師匠の雲助師も聞いたが上回っておもしろい
かもしれない。。だが、案の定、火事と寒さはもはや関係ない。
この人の人(ニン)、フラでおもしろくドラマとして仕上げている。
これからはこういう方向か。誰でもできる噺ではなかろう。
落語を取り巻く時代環境は致し方がない。
それを越えて残る噺になるのかどうか、であろう。

さてさて。「富久」はこんなところでよろしかろう。

最初に挙げた、志ん生の、名演。
「火炎太鼓」「富久」ときた。
それよりも前に書いた「黄金餅」「文七元結」、そして「らくだ」

黄金餅」「文七元結」は書きたいことは大方書いている。「らくだ」は
中途半端であったので、ちゃんと書いておこう。
やはり落語の中では、名作?、問題作?であろう。

「らくだ」は東京では円生師も演ったが、志ん生師であろう。
談志家元も演った。上方起源の噺。

本名をうまさんといって、人あだ名してらくだ。
どうしてらくだかというと、形(なり)が大きくて、のそのそして
いるので。こいつが長屋で手が付けられない乱暴者。

らくだの兄弟分というのが訪ねてくる。
年頃三十五~六で、でっぷり太って赤ら顔で少し酒に焼けている。
顔中、傷だらけ。刀傷、出刃包丁で突かれた傷。顎には竹槍で突かれた
傷がある。目の脇から鼻へかけて匕首(あいくち)で切られた傷がある。
傷の見本みてぇな顔。
松阪木綿の袷(あわせ)に、そろばん玉の三尺を前の方にトンボで
結んで、八幡黒ののめりの下駄に、首に豆絞りの手ぬぐいを巻き付けて
いる。この部分、志ん生版だけのものである。

着物の描写がもはや私にはわからない。松阪木綿というのは、松阪地方の
木綿織物だが、藍染めの縞ものが多いよう。そろばん玉の三尺は帯、
なのだが、三尺は長さで、90cmとかなり短い。幅も細く、浴衣などに
〆る簡易なもの。そろばん玉は帯の柄。トンボはとんぼ玉か。ガラスの玉で
今も羽織の紐に使っている人がいるが、あんな感じなのであろうか。
八幡黒は黒く染めた皮で鼻緒。のめりの下駄は前の歯がつま先に向かって
斜めに削ったもの。豆絞りの手ぬぐいはよいであろう。藍の水玉でお祭り
っぽい柄。
もちろん、これでこいつのキャラクターの説明になるわけだが、
きっと、柄がわるい恰好なのであろうが、、やはりわからない。

「おーい。いるかい?」
といってらくだの家にくる。

開けてみると、へんなところで寝ている。

いや、まいって(死んで)いる。

「死ぬなんて、生意気な野郎だな」

あー、夕ンべ、湯の帰りにこの野郎に会ったんだ。
フグぶら下げてやがるから、どうすんだ、って聞くと
手料理で食うんだ、って。
危ねえぞ、っていうと、なーに、フグなんかこっちからあててやる
っていってたけど、あたっちめいやがったんだ。

あいつと俺は兄弟分だが、今は博打で取られて、百もない。
なんとかして(弔いを出して)やりたいが、、、

と、そこへ
「くず~~~い」
屑やの声。

 「お~う。屑や!」
屑「へい。

  いけねえ。らくだの家の前だ。
  ここで声出しちゃいけなかったんだ。
  この前もきったねえ、土瓶を出しゃがって、これ買えって。
  口が掛けて、漏るんだよ。どうしても買え、って、喉締めやがんだ
  仕方ねえから、お足(あし)置いて逃げたよ」

 「な~にをいってやがんだ。こっち、入(へい)れ。」
屑「へい、へい。こんちは。
  らくださんのお宅じゃないんですか。」
 「らくだの家だい」
屑「らくださんはどこにおいでになったんです?」
 「手前(てめえ)の前にいらぁ!」
屑「あー。
  おやすみんなってんですか?」
 「くたばっちゃったんだ」
屑「へ~~ぇ、どうしてです?」
 「フグにあたったんだよ!」
屑「は~~、フグに、ね。
  フグもあてるもんですねぇ~」
 「この野郎、福引みてえなこというなよぉ。
  (ここ「フグ食って、ふぐ死んだんですか」というのもある。)
  手前、なんだなぁ。らくださん、ってとこみると、知ってんだな」
屑「へえ。時たまなぁ」
半「そうか、じゃあ、ちょうどいいや。
  俺ぁ、らくだの兄弟分で丁の目半次ってんだ。こいつの葬式出して
  やりてえが、取られて一文もねえんだ。
  こういう場合だ。なんか家のもん、買いねえ」
屑「そりゃぁ、いただくもんあれば商売ですから、いただきますが
  なんにもいただくものないようですな」
半「ねえこたぁ、ねえ。ここにある土瓶買え。」
屑「いや、それだめなんですよ。漏って、口が掛けてね。
  この前、お足置いてね、謝ったんですから。」
半「なんか買えねえか?
  七輪どうだ、買えねえか?」
屑「それ割れちゃって、鉢巻きしてやっともってるんですよ。
  それもいくらか置いて、謝ったんですから」

なにも買うものがない。

半「屑やにまで、見放されてんのか。

  じゃ、買わずにいくのか~~?
  それで二足でも三足でも、歩けると思ってんのか!」
屑「じゃ、少ないすけど、これでお線香でもあげてください」
半「そうか。でもいくらでも出すだけ感心だ。」

屑や、帰ろうとすると、月番のところへ使いに行くようにいわれる。

「年を取ったお袋に女房があって子供二人で、今、仕事に
出たばかりで、釜のふたが開かない」から勘弁してくれと屑や。

 

つづく

 

断腸亭落語案内 その16 古今亭志ん生 富久

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引き続き、志ん生師「富久」。

「御富、突き止めぇ~~~~~~
「鶴の千、五百番ぁ~~~~~~ん」

ん?、、ぶっ倒れている奴がいる。
「おぅ、、、どうしたんだ、えっ、どうしたんだ!」
「う~~~~~~~~」
「どうしたんだ!え?」
「あった、あった、あった、、、、当たった」

腰が抜けたのでまわりの人に、胴上げをされて、掛かりのところまで。
すると、富くじ久蔵に売った人。

「当たったね~、久さん。
 札をお出し。」

「・・・・・・・。

 札は、、ポー」

「え~~?こないだの火事で、焼いた~~?
 そりゃあ、だめだ、久さん」

今でもそうだろうが、当たり札がなければ、だめ。

傷心の久蔵、自棄にもなっている。

とぼとぼと、歩いていると、鳶頭(かしら)に出会う。

頭「久蔵じゃねえか?」
久「あー、鳶頭」
頭「どうしたい、ぼんやりして。
 手前(てめえ)今どこにいるんだ。
 え~?
 客んとこに権八(居候)してるってっ?
 よせやい。いつまで居候してるのは。
 所帯持ったら、家いこいよ。
 渡すもんがあるから。
 こないだの火事じゃ、いなかったじぇねえか。
 お前(めえ)んところの前通ったらな、覗いたら
 あいてやがる。中入ってみたら、損料布団があらあ。
 また、手前困るだろうと思うからな、うちの奴(やっこ)に担がせて
 閉まりをしようと思って、ひょいと後ろを見たら、手前も痩せても
 枯れても芸人だ、いいお宮があったな。もったいねえから俺ぁ
 持ってきた。
 お宮と布団を渡すからな。所帯持ったら飛んでこいよ。」

久「うわぁ~~」
久蔵は鳶頭にむしゃぶりつく。
久「大神宮様のお宮がある?」
頭「あるよ。なんだよ!」
久「泥棒!」
頭「なにが、泥棒だ!?
  今、渡してやりゃ、いいんだな。
  じゃ、家いこいよ。どうかしちまいやがって」

頭「ほら、布団だ。持ってけ~」
久「布団なんて、いらねえや、、お宮だ」
頭「やるよ!。そこにあら。」
久「あーあった」
頭「文句ねえだろ」

久「まだある。この扉、開いて、あればいいが、なかったら、、」

開ける!。

久「あた、あた、あった!」

鳶頭にわけを話して、謝る。

頭「うまくやりゃぁがったなぁ~~。
  この暮れぃきて、千両たぁ。」
久「はい。大神宮様のおかげで、方々にお払いができます」

これで下げ。

今は、ほぼ判らないだろう。
志ん生師でも枕で説明をしていた。

暮れになると「大神宮様のお祓い」といって、お札を配りながら
大神宮様=神棚のお祓いにまわっている者があった、と。

“お祓い”に、借金の“払い”をかけている。

江戸期、御師(おし)といっていたのだが、伊勢神宮から宣伝というのか
布教というのか、伊勢参り勧誘のためにお札を配りながら、神棚のお祓い
をしてくれる者があった。大神宮様というのは伊勢神宮のこと。この頃、
神棚には大神宮様を祀るのが一般的であった。これもあり神棚そのものを
大神宮様ともいっていた。(伊勢以外にも御師は、富士、熊野、出雲などで
発達し、伊勢講、富士講など御師によって組織され参拝と旅行を兼ねた
集団=講が数多く江戸にもあった。落語にも「大山参り」というのがある。
これは神奈川県の大山阿夫利神社を信仰するもの。講中で参拝登山をして
江の島、鎌倉をまわって物見遊山かたがた帰ってくる。)

さて「富久」。
円朝作という説もあったようだが、今は否定されているよう。(「落語の
鑑賞201」(延広真治編))黙阿弥作の歌舞伎「地震加藤」(初演明治2年
(1869年市村座)のもじりではないかとのこと。(同)
これは加藤清正が秀吉の勘気(かんき)に触れていた頃、大地震(慶長
伏見地震)が起き、真っ先に駆けつけ、その怒りが解けたというのを芝居に
したもの。と、すると、この噺の成立は明治初期と考えてよいのか。

速記では例の「口演速記明治大正落語集成」(講談社)に入っている。
演者は三代目小さん、明治30年(1897年)のもの。三代目小さんは
安政3年(1857年)~昭和5年(1930年)。
「らくだ」を東京に移した人として登場していた。

円朝、二代目(禽語楼)小さんの次の、明治第二世代。
「富久」は円朝作どころか、柳派の噺であった可能性もあるか。

読んでみると、大筋は同じだが随分と枝葉、無駄なところがある。
その後の世代で刈り込まれ、文楽(8代目)、志ん生(5代目)に
伝えられたのであろう。

注目の掛ける距離であるが、これは浅草三間町から芝。ただ、芝という
だけで、久保町とは特定されていない。後のことのようである。
だが、長距離なのは、元々であった。

富くじというのは、江戸期寺社奉行管理のもと、寺社の修繕改築など
を名目に行われた。ただ、これも過熱し、過当競争もあったよう。
天保の改革で禁止になり、その後は明治新政府になっても許可はされな
かった。復活は第二次大戦中の戦費調達を目的に行われた勝札というもの
らしいが、これは抽選日前に敗戦になっており負札と揶揄されたとのこと。
本格的には、戦後すぐの昭和20年(1945年)の第一回宝籤まで待たなければ
ならない。 (東京都公文書館 史料解説)

こんなことなので天保以前の文化・文政生まれの者でなければ実体験として
富くじを知らなったわけである。富くじの噺は「富久」以外にも「宿屋の富」
「水屋の富」など複数あるが、天保以降には演れなかった、または文化
文政期に作られたのでなければ、噺としてなかった可能性すらあろう。
また、明治期になって口演されても、もはや富くじそのものを、小さん
(3代目)にしても実体験としては知らない者が演り、富くじの記憶も曖昧に
なっている、はずである。
境内での抽選の場面など、それこそ“見てきたように”語られている。
場面描写として“怪しい”可能性は多分にあることも覚えておきたい。

富くじも宝くじもないのに、富くじの噺は人気で続けられたというのは
注目に値しよう。庶民が一攫千金のささやかな夢を買うもの。志ん生師も
当たったらどうしたい、というところなど、愉しそうに演じていたように
聞こえる。

 

つづく