浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭、京都へ その15

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さて、やっと最後。
二条城である。

東山の青蓮院門跡からタクシー。
京都というのは自動車に乗ってしまうと、すぐである。

着くとまだ午前中だが、内外取り混ぜての観光客、
特に修学旅行の中高生であろうか、まさにごった返している。

そういえば、私も高校時代であったか、ほぼ記憶にないが
修学旅行できたような、、。

やはり、こういう大切なところは大人になってから
改めてこなければいけなかった。
(逆にいえば、中高生の頃にくる意味がどれだけあったのか、
ということにもなるが。)

なぜ今回二条城にきたのかといえば、断腸亭としてやはり
きておかねばならない江戸幕府の重要な史跡であるから。

また、今回の京都訪問のテーマである京都の庭。
ここの庭も小堀遠州作。宮元先生の参考書でも
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丁寧に解説、論じられている。

建物ではなくまずは、庭から見る。
二条城には庭園はいくつかあるが、遠州作は二の丸庭園。

最初に出してしまおう。

これがほぼ全景。
例によってパノラマなので手前のラインは直線である。

もっともわかりやすいこの庭のポイントはこれ。

池の右側のわらの薦(こも)に覆われているもの。
この季節なのでこんな姿だが、これ、ソテツである。
もちろん、防寒のためであろう。

今の日本であれば、宮崎だったり、鹿児島によくあると思うが、
なぜか、江戸初期にできた京都の二条城の庭にある。

この庭ができたのは寛永3年(1626年)。
将軍は家光だが、秀忠存命中で秀忠の大御所時代。

この年、時の後水尾天皇行幸が二条城にありそのために
小堀遠州によって整備されたもの。
幕府、将軍家の威信をかけたものということができよう。

ソテツはその時に既に植えられていた。

ソテツは、日本には自生していない。
安土桃山期、宣教師達がゴアやマニラから大名や天皇などへの
献上品として持ち込まれていた。

史料への初出は宣教師によって京都に建てられた教会の庭で、
次が秀吉の聚楽第聚楽第図屏風に描かれているという。
秀吉の西欧趣味というのもあろうが、当時流行りであった
のであろう。(ソテツを得意にしていた有力庭師があたよう。)
他に醍醐寺三宝院、西本願寺にもあるらしい。

その後、遠州に受け継がれ、ここ二条城。
さらには桂離宮にもソテツは植えられている。
遠州の名刺代わりにもなっていたようである。

管理もよいのであろうが、ソテツというのは長生きで
今のものを将軍慶喜が写真に撮っているらしく、
150年以上の樹齢だそうな。
まさか、江戸初期のものではなかろうが。

今のこの庭は、遠州の頃とはおそらく大きく変わっている。
後水尾天皇行幸のために作られたわけだが、天皇用の
御殿やらがこの庭に多数建てられており、その後にすべて
取り払われている。
また幕末期には管理のわるさからか、水は枯れ、枯山水
ような状態であったという。

明治になり宮内省所管の天皇離宮という扱いになり
ここで植栽などを含め手が入り、今の姿はそれ以来のものと
考えてよさそうである。

もう少し細かく見てみる。

滝がある。

二段の滝という。見た目にはよくわからないが二段なのであろう。

滝の背後の樹木が切れており、本丸のどこかであろう、
瓦屋根と白壁が向こう側が見える。
(ひょっとすると、今はないが本丸の天守を見せるためのもの
であったか。)

左側の松のある部分は、蓬莱島という名前の島。

この庭もこの蓬莱島をはさんで左に鶴島、右に亀島の二つの
小さな島がある。
鶴と亀を従え、極楽浄土を表しているとのこと。

ちょっと角度違い。

樹木はともかく、石組みなどは遠州の頃のものなのではなかろうか。
それなりの味わいは感じられる。

さて。ここでもう一つ、宮元先生の著作から、

この地図。

先に二条城の南にある神泉苑を覗いている。

この地図にはもともとの神泉苑の範囲を入れた。

二条城というのは神泉苑の北部を削り取るように
造られているのである。
それも、その神泉苑の中心的な部分と思われる、
湧水部分を二条城に取り込んでしまったという。

神泉苑のところで書いたが、神泉苑は内裏の隣で禁苑といって
天皇専用の庭であった。湧き水は都の命を支えるものであり、
(龍)神の住むところであった。天皇王権を構成する重要な
要素の一つといってよいだろう。

その神泉苑をぶん取って幕府の城にしてしまうというのは、
天皇、朝廷から王権の剥奪という意思があったと
考えられると宮元先生はいう。

なるほど。
そういうものかもしれぬ。
禁中並公家諸法度などを押し付けた江戸幕府の朝廷政策
からすればさもありなん、で、あろう。

 

 

 

つづく

 

 

 

 


二条城