浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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歌舞伎座・秀山祭九月大歌舞伎 その2

dancyotei2017-09-20


引き続き、歌舞伎座秀山祭9月大歌舞伎。


幕の開く前。席からはこんな感じ。



かなりよい席である。


歌舞伎をご覧になったことのない方には
わかりずらいかもしれぬが、こうして歌舞伎には
花道というものがある。


下手端から後方に向かって、客席を突っ切って、道のように
舞台が伸びている。
役者の出入りは、必ずしもここだけではないが、
主人公級の役は多くここを使って、出入りする演出がある。
むろん、この花道上でも芝居が行われるわけである。


花道の七三(しちさん)などというが、舞台から
花道の3/10のところが主に芝居が行われるところ。


私達の席はこの七三の少し後ろ。
まさに絶好の位置である。


ともあれ。


一番目「ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)
逆櫓(さかろ)」の開幕。


“盛衰記”というと皆様なにを思い浮かべられようか。


これは「源平“盛衰記”」のこと。


つまり源平の戦い「平家物語」などが元になっているお話。
そして、ひらかなと頭についているのは、簡単です、という
意味とのこと。
つまり源平盛衰記をわかりやすいお話にしましたよ、
ということになるようである。


この芝居は丸本物といって、人形浄瑠璃から芝居になったもの。
初演は元文4年(1739年)大坂竹本座。作者は竹田出雲他。


元文というのは享保の後で、将軍は吉宗の頃。
江戸時代もちょうど中盤。


舞台は摂津の海辺。
今の淀川の河口、大阪府大阪市あたりで、
今もある福島なんという地名も出てくる。


主人公は樋口次郎兼光という木曽義仲の家来の武士。
義仲は既に頼朝、義経軍に討たれて、
生き残った樋口兼光は船頭に身をやつし、
義経軍に一矢報おうと雌伏している、というところ。


実はこの芝居、私は一度観ていた。


2013年の初芝居。
松本幸四郎の樋口であった。


この時の感想を読んでみると、なんでこんな演目を
演ったのだ、といちゃもんをつけているのが、我ながら
おもしろい。


今思い出すと、確かに観た記憶はあるが、ほぼ筋すら
憶えていなかった。


もともと人形浄瑠璃で、源平の話なので長い話の一部。
三段目の後半部分、俗に三段目の切。


義仲の忘れ形見を預かっていて、とか、
子供を取り違えるとか、多少入り組んだところはあるが、
いつものことであるが、イヤホンガイドを聴きながら
観れば、なんら問題はなく、芝居には入れる。


前回は幸四郎、今回は秀山祭で吉右衛門
幸四郎吉右衛門は実の兄弟。)。


やはり、幸四郎家・高麗屋吉右衛門家・播磨屋には
縁のある芝居。


歌舞伎芝居を私が見始めてから、もう10年くらいには
なるのであろう。


この芝居は二度目というのもあろうが
以前のような、源平など時代錯誤、といった
感想はさすがに持たない。


歌舞伎というのはそういうものだから、
と、いうのがやっとわかってきた。


義経千本桜」にしても、源平を扱ったものは
少なくなく、人気もあって上演回数も多い。


歌舞伎の演目というのはそういうもの。
一度わかってしまえば、まあ、なんということもない
のであった。


筋を追うのはやめにして、今回この芝居を観て、
なるほど、と気付いたことを書いてみたい。


主人公の樋口は座頭である吉右衛門
さすがの存在感。
まさにぐーともいわせない。


私のようなトウシロウがいうのも僭越至極であるが、
まさに当代の立役(たちやく、男役)として、吉右衛門先生の
右に出る者はいなかろう。


この芝居には、樋口が演ずる、数々の独特の型の見得(みえ)がある。


見得というのは、手を広げて目をむいてにらむ、あれである。


“荒事”といって江戸歌舞伎の代名詞のようなもので
市川團十郎家の歌舞伎十八番のものが思い浮かぶ。
しかし、なんのなんの、この芝居の吉右衛門の見得も素晴らしい。
播磨屋型とイヤホンガイドでいっていたようだが、
まさに家の芸であったのであろう。


昨年ぐらいであったか、大分お疲れに見えた頃があったが
今回は、声の張りも、十二分によく聞こえた。


勘三郎も亡くなりすぐ下の世代は層が薄い。
さらに下の世代が大看板として育つには、もう少し
時間がかかると思われる。


身体に気を付けられて、少しでも長く、
よい芝居を見せていただきたいと思う次第である。





つづく







豊国画 文化9年 (1812年)江戸 中村座
ひらかな盛衰記 三の切
外題:ひらかな盛衰記 樋口次郎 三代目中村歌右衛門