浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



初芝居・歌舞伎座・寿初春大歌舞伎 その2

dancyotei2016-01-05



1月3日(日)



引き続き、歌舞伎座初芝居。


幕開きは、踊り、所作事。
猩々(しょうじょう)。


オランウータンを漢字で書くと猩々だそうな。


ただ、この舞踊劇は、オランウータンではなく、
中国の古典に登場する酒好きな想像上の動物のこと。


ともあれ、申が今年の干支なので取り上げたのであろう。


赤いフサフサを頭につけた二人の猩々と
一人の酒売りが登場する。


元々は能の演目で、明治7年に歌舞伎での初演という。
(能取り物というよう。)


頭につけた赤いフサフサというと、頭を振ってフサフサを
ふりまわす、鏡獅子、連獅子というのを思い出すのだが、
あれも元々は能の演目。


本来、歌舞伎芝居は江戸期には大名などしかるべき身分の者の
観るものではなく、彼らの嗜むのはもっぱら能であった。
明治になり、歌舞伎を我が国を代表する演劇として、
上流階級の者が観ても恥ずかしからぬものにしよう
という意図で、こういう能の演目が取り込まれたわけである。


さらに、欧州の上流階級にはオペラなどの観劇という文化がある。
当時、鹿鳴館のタンスパーティーなどと同様に、
欧米列強の大使公使を招いてみせる社交上の演劇として
歌舞伎を使うという多分に政治的な意図であった。


まあ、こういう演目が歌舞伎になって既に100年以上たっている
わけで、もはや立派な歌舞伎の演目ということができようが、
それでも江戸以来の歌舞伎の伝統とは若干異なった
流れにあるものということができよう。




(むろん今回のものではないが、youtubeに動画があったので
ご参考に。)


さて。
二幕目。


「二条城の清正」。


サブタイトルに「秀山十種の内」とあるが、秀山とは、
初代吉右衛門のこと。
当代の吉右衛門幸四郎兄弟の祖父である。


つまり初代吉右衛門が得意としていた、好きだった(?)
十種の一つということ。昭和8年の初演。
当時、吉右衛門の要望で書き下ろされた作品とのこと。


その縁で清正を、今回は幸四郎が演じている。


お話は戦国好きの方であればご案内のことかと思うが、
秀吉亡き後、徳川と大坂方との対立が表面化していった
時期のこと。


家康は、たびたび秀頼を挨拶に来いと呼び出すが
太閤秀吉の嫡男がなにゆえ家康ごときに挨拶せねばならぬのか、
と、淀殿は頑として聞き入れなかった。


なん回目かに、清正や大政所(おね)らの説得で
秀頼は京の二条城へ赴き始めて家康と対面する、
ということがあった。


これを芝居にしたものである。


秀吉子飼いの忠義者である清正は、
徳川とのいらぬ摩擦を避け、豊臣家の生き残りを図るため、
家康との対面に腐心をし、さらにボディーガードとして同席する。
池波先生も「真田太平記」にこの場面は書いているが
なかなかよい話しである。


ただ、家康はじめ徳川方はここでは完全な敵役に描かれる。
現代であればここまでわるくは扱わないと思われるが、
昭和初期、戦前という時代背景によるものかと思われる。


一つ、この幕で気になったのだが、この幕だけ、歌舞伎の例の縦縞の


定式幕(じょうしきまく)ではなく、上から降りてくる緞帳(どんちょう)を使っていた。
私自身、歌舞伎座で緞帳を使っているのを見たのは初めてかもしれない。
これはどういう意味であったのか。緞帳と定式幕というのは江戸以来、
明確な区分があって、定式幕は公認の江戸三座以外は使ってはいけなかった。
それ以外の芝居は格下で、緞帳を使わねばならず、緞帳芝居といわれていた。
この芝居は歌舞伎ではありませんよ、ということだったのか。
筋書の解説には“新歌舞伎”と書いていたが。この区別、大いに意味がありそうである。



ここで休憩。



買ってきたのは、柿の葉寿司と





まい泉カツサンド





さて、三幕目。
「廓文章(くるわぶんしょう)」通称、吉田屋。


正徳2年(1712年)初演。
かの近松門左衛門作の人形浄瑠璃が元。


和事と呼ばれるおっとりとした上方流の芝居。
お話しはわかりやすい。


この幕は、なんといっても遊女夕霧を務める玉三郎
上方流の花魁ということになるのであろう。


この夕霧の口説きというのが見せ場で、
江戸の花魁とは違った柔らかさで、美しくもあり、
また可愛くもあり、流石、人間国宝、立女形
よっ、大和屋!、で、ある。


トウシロウの私なんぞでも素直に思うが、
現代の女形の中では右に出る者はいなかろう。
なにしろ、姿形がよい。
玉三郎先生は65才である。
むろん、芝居(演技術)も秀でているのであろうが、
まったくもって、その年には見えない。


やはり、こういう人を千両役者というのであろう。


さて。


次はいよいよ、私の目当てである、「直侍」なのだが、
実は、この「廓文章」と「直侍」はどちらも遊女、
花魁の“口説き”の話しなのであった。


つまり、口説き二題、という趣向。


切れ切れに名場面だけ上演する“見取狂言”だが
素人にはわかりずらい。


今回、私はいつもの通り、イヤホンガイドを
借りて聞いていたが、十二分に内容も理解できたし
堪能することもできた。


まあ、私自身、歌舞伎を見慣れてきたということも
あるのかもしれぬし「直侍」の方は二回目でもあった
ということもあろう。
しかし、なんにも増して、玉三郎先生の名演の
お蔭ではなかろうかと思うのである。


やはり名優は、誰が観ても納得させられるのである。





つづく






画:国貞 天保3年 (1832年)江戸中村座
扇屋夕ぎり 二代目中村芝翫