浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭落語案内 その20 古今亭志ん生 らくだ

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引き続き、志ん生師「らくだ」。

丁の目の半次に脅かされて、屑や、戦利品の酒を呑む。
「やさしく言ってるうちに呑めよー!」で、駆けつけ三杯。

屑や、出来上がってきた。

屑「あっしゃぁねえ、おまはん偉いと思うよ。
  兄弟分ってところで世話ぁしようって。
  ねえ。
  銭があって、やるんじゃない。銭がなくってやるんだから。
  なかなあ、できるこっちゃない。

~~~~~~

円生師、談志師は、ここでどれだけらくだに苦しめられたか、
金を取られたかを怪しいロレツで屑やが語る。

狸の皮があるから買わねえか、といわれる。本物であればそれなりに
儲かるので、了承すると、手付を出せというので半分の五百文出す。
すると表へ飛び出して行って、酒を買って一人で呑み始める。

どうしたんです、というと、畳をあげて、根太(板)を剥がして、
ここにある、というのでのぞき込むと蹴飛ばされて屑やは床下へ
落とされる。そして、すぐにらくだは畳を載せてその上に大あぐら
をかいてしまう。
皮なんぞないじゃないですか、というと、もう少し先に、年降る狸が
いるから、それを捕まえてもってけ、と。
冗談じゃない、生きたのじゃいやだ。とにかくここを開けてくれ、と。
開けるには後金(あとがね)出せ。とうとう一貫(千文)取られた。

談志師は他にもいくつかエピソードを酔った屑やに、涙とともに語らせる。
聞かせどころ、聞きどころであろう。

~~~~~~

  う?!

屑やの茶碗が空になった、、、、、
茶碗をひっくり返す仕草。

  おう、おうおう。注がねえか。」
半「もう、お前(めえ)よしねえな。随分呑んでるぜ。
  商売があんだろ。釜のふた開かねえって。」
屑「なんでえ、なんでえ。釜のふたが開かねえ?
  なにいってやんでぇ。
  これっぱかりの酒で。
~~~~~~

  雨降り、風間、病み患(わずら)い、その他色々あるよ。
  そのたびに、嬶(かか)ぁやガキにピーピーいわれるような
  屑やじゃねえんだ、、。

なんというフレーズも入る。

~~~~~~
  注げよ!、注げよ!
  やさしく言ってるうちに注げよー!」

立場が入れ替わる。

屑「こんな煮しめなんかで、酒が呑めるかよー。
  表の魚やいって、まぐろのブツ持ってこい」
半「よこすかなー」
屑「よこすの、よこさねえの言ったら、かんかんのう、だよー」

と、一応ここ、落ちているので、前半だけの場合はここで切る。

ここから先、後半。

屑やが、らくだの頭を丸めさせる。
志ん生師はいきなり剃刀(かみそり)ナシで手で、引っ張って抜く。
これは、グロイ。

一般には、屑やが丁の目の半次に長屋の女所帯に剃刀を借りに
いかせる。
剃刀を借りてきて、らくだの頭を坊主にする。
ただ、酔っ払っているので、面倒になり、やっぱり途中から、
手で抜く。

仏教では、仏の弟子になるので、剃髪(ていはつ)、沐浴(もくよく)をする。
沐浴は、湯潅(ゆかん)というが、遺体を洗う。
この噺には湯潅は出てこないが「ちきり伊勢屋」で出てきた。
一般に、湯潅は江戸でも寺にその設備があって、身内の者が
するものであったようである。
ともあれ。

ここから、菜漬けの樽に入れ、二人差し担いで出かける。
行き先は、屑やの知り合いのいる、落合の焼き場(火葬場)。
志ん生師は焼き場は「火屋(ひや)」と昔は言ったと説明する。

らくだは身寄りがなく、寺などない(わからない)。
丁の目の半次は自らの寺は義理がわるく、行けない。
それで、屑やのツテを頼ることになった。

早稲田から姿見橋を渡る。
道が、穴だらけ、夜になっているという設定。

穴に足を突っ込んでしまって、よろける。
「なんだか、軽くなった、な。」

落合の焼き場に着く。
屑やの知り合いに、女郎買いの割り前を負けてやる代わりに
焼いてもらうことに。

と、樽をのぞくと、らくだの死骸がない。
よろけた時に、樽がズッコケて、落としたんだ。

二人で戻る。

淀橋へんには、昔は願人坊主(がんにんぼうず)がいたが、よく
ヘベレケになって寝ていた、と志ん生師は説明する。
願人坊主は「黄金餅」に出てきた。

あー、いたいた。それでもよく拾われなかったな。

屑「ん?少しあったかになったな。」
半「地息(じいき)で少しあったかになりゃがった」

(地息というのは、地面から出る水蒸気。)

樽はズッコケているので、横に突っ込む。
「苦しいよ」などといわせている。

担いで、再び焼き場に。

酔って寝ている願人坊主を火に入れる。

これはむろん、たまらねえ。
火の中から、飛び出してくる。

願「どこだ、ここは」
 「日本一の火屋だ」
願「冷(ひや)でもいいから、もう一杯」

で下げ。

 

つづく

 

 

 

断腸亭落語案内 その19  古今亭志ん生 らくだ

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引き続き、志ん生師「らくだ」。

大家のところに酒と肴の要求。いやなら死人(しびと)にかんかんのうを
踊らせる、という脅し。ふざけるな。見てえもんだ。婆さんと二人で
退屈してる、と、大家。

屑や、帰ってくる。
丁の目の半次にいうと「そういったんだな。よし、わかった。
向こうを向け。」

らくだの死骸を屑やに背負わせる。
上方では、らくだのほっぺたが、屑やのほっぺたにくっつく、という
演出もある。
屑「食い付きゃぁしないでしょうね」
半「食い付きゃしねえ、くたばってるんだ。
  さ、さ、行け!

  ここか?
  俺が開けたら、すっと入ってけ。

  おう!、大家ってのはお前(めえ)か?!
  らくだの死骸担ぎ込んできたからな、
  今、かんかんのう踊らせてやるから、よく見てろ。」
大「ひゃぁ、、、婆さん、持ってきたよ。
  冗談、いっちゃいけない。お前。
  持って帰っとくれ。持って帰っとくれ。
  酒と煮しめ、わかったよ。」
半「せっかくきたんだから、ちょいと躍らせろ」
大「やめてくれ、持ってっとくれ」

~~~~~~
志ん生の録音を二つ聞いたが、どちらも踊らせていない。

円生、談志は踊らせている。

円生版。

半「どこだ」
屑「ここ」
半「この家か。」

表の戸を開ける。
大家の家なので、いきなり座敷ではなく戸を開けると台所の土間で
さらに仕切りの障子があるという細かい設定。

半「竃(へっつい・かまどのこと)の脇に立てかけろ。
  突っ張ってるから、ダイジョブだ。
  立てかけとけ、っていってるんだよ。

  俺がな、この仕切りの障子を開けるから、それを合図に、
  かんかんのう歌え」
屑「冗談いっちゃぁ、いけませんよ。そんなの私歌えませんよ。」
半「歌えません、って!」
屑「だって、知らないんですよ」
半「この野郎。歌わねえと、蹴殺すぞ!」
屑「う、う、う、、、歌います」
半「よし。
  いいか。開けるとたんに歌うんだ」
開ける。
半「そら!歌え!」
屑「かんかんのぉ~~~、きゅー(の)れ(ん)す、、」
大「あ!、、いけない、お婆さん、ホントに持ってきたよ。
  待ちな、てんだよ、逃げるんじゃないよ。」
屑「かんかんのぉ~~~、、、」
大「歌うなよ、屑や。

  お婆さん、逃げるんなら、俺も一緒に逃げるよ、不人情だな。

  あ、わ、あ、あげます、あげます、今すぐにお届けをするから、
  どうぞ、どうぞ、お引き取りを」

談志家元は円生版といってよいか。

~~~~~~

二人、戻ってくる。
半「死骸、土間へおっ放り出しとけ。

  もう一軒行ってくれ。」

また「釜のふたがあきません」「行け!」の一件(ひとくだり)またあって。

半「表の、八百屋行ってくれ」の指令。

早桶(棺桶)替わりの菜漬けの樽借りてこい。

「あいたら返してやるから、って」。
「貸すの貸さねえのいったら、、」「かんかんのうですか?」
「わかってきたじゃねぇか」。

八百屋にきてみると、やっぱりここでもらくだは酷かった。
金など払ったことがない。なんでもかんでも、持ってっちゃう。
樽はやれるわけがない。

屑「と、めんどくさいことになる」
八「なんだい、めんどくせえって」
屑「死骸のやり場がないから、担ぎ込んできて、かんかんのう
  踊らするって」
八「なにぉ~!、踊らせろぃ!」
屑「今、大家さんとこで、踊らせてきた」

~~~~~~~
「こう、お座敷が増えたんじゃやりきれねえ」
「どっかでやってきたのか?」
「今、大家さんとこで」

と演るのが、一般的。
~~~~~~~

そりゃ、たまらねえ、と、樽と、縄、差し担いにするための
竹の棒も貸してくれる。

借りて屑や、戻る。

と、ご苦労だったな、と丁の目の半次。

お前(め)えの留守にお蔭で、月番から香典と大家から、
酒と煮しめが届いている。

仕事に行く前に、死人背負って身体が穢れているから、一杯
ひっかけていけ、といわれるが、屑やは、お酒は勘弁してくれと、
断る。呑めないわけじゃないが、仕事にならなくなるから。

呑め、呑めないのやっぱり押し問答があって、やっぱり
脅されて、一杯呑む。
屑や、いい呑みっぷりで一気に呑む。

あんまりいい呑みっぷりなので「なんだ、呑めるんじゃねえか。
一杯、ってのはねえ。一膳飯もよくねえ。もう一杯呑め。」
また押し問答するが、もう一杯呑む。

「駆け付け三杯、っていうだろう。
 もう一杯だけ呑め。」
「なん度もいわせるなよ。」、と、脅され、屑や、呑む。

呑んでいるうちに、段々、酔ってくる。

もちろん、段々酔ってくるように演じるのである。
これは談志家元が定評がある。

円生師、志ん生師とくらべても確かに談志師の方が
ここは上手い。

 

つづく

 

断腸亭落語案内 その18 古今亭志ん生 らくだ

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引き続き、志ん生師「らくだ」。

フグにあたって死んでしまったらくだの家。
兄弟分の丁の目の半次というのがきて、葬式を出してやろうと思うが
こいつも博打で取られて一文無し。好都合に屑やがきてなにか
買わそうとするが、らくだの家財はすべて過去に屑やにも見放された
ものばかり。

帰ろうとする屑やを止めて、月番のところに行ってこいという。
月番というのは、長屋で月毎に回り持ちで雑用をする役割。

屑やは「年を取ったお袋に女房があって子供二人。今、仕事に
出たばかりで、釜のふたが開かない(食えない)」から勘弁してくれ
というが、脅して、行かせる。

指令は「長屋には祝儀、不祝儀の付き合いはあるだろう、らくだの
香典集めて持ってこい」「出すの出さねえのいったらな、俺が出て
いって、ものが面倒になる、と、そ(う)いいな」。
(江戸弁では「そういいな」の「う」が落ち「そいいいな」になる
ことがある。志ん生師はこの傾向が強い。また「そいう」はこれだけで
店屋物を取るときなど「そばやにそいう」などの使われ方もあった。)

「ナマジ品物で持ってこられても困るから、生(ナマ、現金)で持ってこい」
というのが入ることがある。

さらに「手前(てめえ)は、ずらかる憂いがある」からと、屑やの商売道具の
篭を取り上げる。(ここは、秤と風呂敷のこともある。)

屑や、ぶつぶつ言いながら月番のことろへ。

屑「月番は、あーたですか?」
月「はい、あたし。なに?」
屑「あのー、らくださんがねえ、、」
月「あー、とっ、と。
  らくだのことで、持ってきたってだめだよ。
  あいつに関わるのがいけないんだからね。」
屑「いえ、らくださんが死んだんですよ。」
月「え?、らくだがまいっちゃった?ホントか?!おい。
  ホントに死んだ!?そんなこといって、人を喜ばせて、、
  ホントかい?!」
屑「本当にまいっちゃった」
月「生き返んないか?そうじゃねえよ、あいつぁ、ずうずうしいから
  生き返ってくるよ。頭よく潰しといたらどうだ。」
屑「もうダイジョブですよ。フグにあたっちゃったんです。」
月「へー、フグに。そーかい。そいで、なんだってんだい?」
屑「その、兄弟分ってのがきてましてね、長屋には付き合いがあるだろ
  香典集めて持ってきてくれって」
月「冗談いっちゃぁいけないよ、お前(まい)さん。」

らくだはとにかくひどい奴で、そういう付き合いは、している奴なら
出すが、一度だって払ったことはない。端(はな)取りにいくが、
今ない、という。立て替えといてやって、後で取りにいくと、
細かいのがねえ、という。大きいのでもいいというと、細かいのが
ねえんだから、大きいのがあるわけねえ、と。
野郎、付き合いなんかしたことねえ。だから、だめだ。

屑「だめだ、っていうと、俺が出てく、って、俺が出てくと、めんど
  くせえぞ、っていってました。そのまた、らくだの兄弟分ってのが
  凄いんです。顔中傷だらけですよ。もう、傷の取締りみたいな
  顔してる。それがあんた、きますよ。よこざんすか?」
月「やだなぁ。困んな。じゃね、長屋歩いてみるよ。らくだが死んだの
  そいって。喜んで、強飯(こわめし)蒸(ふ)かすとこ、蒸か
  さねえで、いくらか下さいって。んで、持ってくよ。」

屑や、らくだの家に戻る。すると、さらなる指令。屑や、やっぱり「釜のふた
があかない」と抵抗するがおんなじことなん度もいわすなと、またまた脅され、

半「大家んとこ行ってくんねえか。
  野郎の死んだことそいってな、今夜、通夜すんだ。大家さんには
  くるにはおよびません、って。
  店子の者は寂しいんで、酒のいいのを三升(さんじょう)、わるいと
  明日の仕事にさわるといけねえから。それから、煮しめ。こんにゃく
  だの豆腐だの、芋だの甘辛くうまく煮てな、大きな皿で届けて
  くれって。」
屑「いいですか、そんなこといって」
半「いいんだよ。お前(めえ)は俺に言われた通り、向こうへ行って
  口をパクパク動(いご)かしゃいいんだよ!。
  で、よこすのよこさねえの、っていったらな、いらねえ、って
  いいな。いいか。
  その代わりに死骸のやり場がねえから、大家んさんとこへらくだ
  の死骸担ぎ込んできて、ついでに“かんかんのう”を踊らすって、
  そいえ。」
  
頼むものは談志家元などはさらに、にぎりめし三升、というのが入る。
また志ん生師は入れていないが「大家といえば親も同然、店子といえば
子も同然。親子の間柄だ、遠慮のねえところをいわしてもらう」これも談志。
あるいは屑やの「大家さんは名代のしみったれですから、そんなこと聞く
わけがありませんよ」というのも入る。
“かんかんのう”というのは文政頃からある俗謡。唄と踊り。

屑「大家さんいます?」
大「はいはい。なんだい!。あー、屑やさんか。今日はなかったなぁー。
  今日はなんにもないよ。」
屑「いえ、屑じゃないんですよ。」
大「んー?」
屑「あのー、らくださん、、」
大「あー、いけないよー。
  また、らくだのことで持ってくる。あいつに関わりあっちゃ
  いけねえんだよ。」
屑「いえ、死んだんですよ。」
大「らくだが?
  えー?どうして?
  フグにあたって?、ホントかい。
  そーかい!。
  おい、婆さん、らくだが死んだとよ。
  ありがてえなぁ。フグがまたよくあててくれたよ、あいつを。
  フグを祀るよ、俺んとこで。
  で、どうしたの?」
屑「ええ、兄弟分ってのがいましてね」
大「ろくな野郎じゃないよ。」
屑「ええ。で、今夜通夜をするんだそうで」
大「なんでもするがいいやな。」
屑「大家さんにはくるにはおよびません、と」
大「誰が行くやつあるもんか!」
屑「店子の者が寂しいっていうんですよ。これ、あたしがいうんじゃ
  ないですよ。ね。酒のいいのを三升、わるいと明日の仕事にさわると
  けないから。そいから、大きな皿に煮しめ。こんにゃく、豆腐、芋
  だの甘辛くうまく煮て、持ってきてほしい、って。」
大「お前(まい)さんいくつだい。
  いい年をして、そんなこと請け合ってくる奴があるかよ。
  そりゃあねえ、大家といえば親も同然だ、店子の世話もしたいね。
  あいつが店子らしいことしたかよ。
  あそこの家入って、四年になるよ。一文だって家賃入れやしない。
  催促に行くと「ねえ。」って。
  だから、こないだ、俺ぁ、上がり込んでね、他の店子にもしめしが
  つかねえから家賃払うか、ここを出てくかどっちかにしろって言った
  んだ。んだら、どっちもできねえ。脇い家を一軒こしらえろって。
  そしたら出て行ってやる、って。
  今日は俺もここを動かねえから、っていってやったんだ。
  そいだら、きっと動きませんね、って念を押しゃがる。
  んで、スーッとあの大きな図体で立ちゃぁがって、戸棚をごそごそ
  やってたよ。、、なんだろ、って後ろを向いてよかったよ。
  こんな太いこんな長い鉄の棒を持ってな、これでも動かねえか、って。
  あたしゃ、あれでやられりゃ、まいっちゃう。
  転がるようにして、逃げだしたよ。
  んで、買いたての下駄、あそこの家に置いてきちゃったよ。
  それ、あいつぁ、履きゃぁがって、家の前を湯へ行くんだからね。

  死んだもなあ、しょうがねえ。四年の家賃を、香典代わりに棒引きに
  してやるから。酒だの肴だの、できないよ。」
屑「そーすか。
  と、少しめんどくさいことになるんで。」
大「なにがめんどくさいんだ」
屑「死骸のやり場がないから、死人(しびと)を大家さんとこへ担ぎ
  込んできてね、かんかんのうを踊らせる、って。」
大「なにお!、そんなことで驚くか。俺ぁ、生まれてこの方、死人が
  かんかんのうを踊ったのを見たことがねえ。踊らせろ!、って、
  帰ってその野郎に、そいえ!」
(屑やに大家が塩をぶっかける、というのもある。)

 

つづく

 

 

 

断腸亭落語案内 その17 古今亭志ん生 富久~らくだ

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引き続き、志ん生師「富久」。

噺の中でも書いたが、この噺のもう一つのテーマである火事。
火事を、不謹慎であるが、愉しむというのが、あったことが
この噺を成立させているもう一方の柱といってよい。
また、志ん生の場合、北風が吹きすさぶ中を駆けつける。
寒さが特に強調されていることがこの噺の作品性を高めている
と考えてよいだろう。

これ、書きながら思い至ったのだが、近々この噺はほぼ演じられなくなる
のではないか、と。火事にしても寒さにしても東京人の記憶にはもう
ないといってよい。
志ん生文楽以降だと、小さん師(5代目)、談志師、志ん朝師他が
演じている。
存命だと、権太楼師、雲助師、志らく師、市馬師もCDがあるよう。
白酒師も演っている。また、小さん版を小三治師も演っていた。

だが、ここまで、ではなかろうか。

白酒師はおもしろい。師匠の雲助師も聞いたが上回っておもしろい
かもしれない。。だが、案の定、火事と寒さはもはや関係ない。
この人の人(ニン)、フラでおもしろくドラマとして仕上げている。
これからはこういう方向か。誰でもできる噺ではなかろう。
落語を取り巻く時代環境は致し方がない。
それを越えて残る噺になるのかどうか、であろう。

さてさて。「富久」はこんなところでよろしかろう。

最初に挙げた、志ん生の、名演。
「火炎太鼓」「富久」ときた。
それよりも前に書いた「黄金餅」「文七元結」、そして「らくだ」

黄金餅」「文七元結」は書きたいことは大方書いている。「らくだ」は
中途半端であったので、ちゃんと書いておこう。
やはり落語の中では、名作?、問題作?であろう。

「らくだ」は東京では円生師も演ったが、志ん生師であろう。
談志家元も演った。上方起源の噺。

本名をうまさんといって、人あだ名してらくだ。
どうしてらくだかというと、形(なり)が大きくて、のそのそして
いるので。こいつが長屋で手が付けられない乱暴者。

らくだの兄弟分というのが訪ねてくる。
年頃三十五~六で、でっぷり太って赤ら顔で少し酒に焼けている。
顔中、傷だらけ。刀傷、出刃包丁で突かれた傷。顎には竹槍で突かれた
傷がある。目の脇から鼻へかけて匕首(あいくち)で切られた傷がある。
傷の見本みてぇな顔。
松阪木綿の袷(あわせ)に、そろばん玉の三尺を前の方にトンボで
結んで、八幡黒ののめりの下駄に、首に豆絞りの手ぬぐいを巻き付けて
いる。この部分、志ん生版だけのものである。

着物の描写がもはや私にはわからない。松阪木綿というのは、松阪地方の
木綿織物だが、藍染めの縞ものが多いよう。そろばん玉の三尺は帯、
なのだが、三尺は長さで、90cmとかなり短い。幅も細く、浴衣などに
〆る簡易なもの。そろばん玉は帯の柄。トンボはとんぼ玉か。ガラスの玉で
今も羽織の紐に使っている人がいるが、あんな感じなのであろうか。
八幡黒は黒く染めた皮で鼻緒。のめりの下駄は前の歯がつま先に向かって
斜めに削ったもの。豆絞りの手ぬぐいはよいであろう。藍の水玉でお祭り
っぽい柄。
もちろん、これでこいつのキャラクターの説明になるわけだが、
きっと、柄がわるい恰好なのであろうが、、やはりわからない。

「おーい。いるかい?」
といってらくだの家にくる。

開けてみると、へんなところで寝ている。

いや、まいって(死んで)いる。

「死ぬなんて、生意気な野郎だな」

あー、夕ンべ、湯の帰りにこの野郎に会ったんだ。
フグぶら下げてやがるから、どうすんだ、って聞くと
手料理で食うんだ、って。
危ねえぞ、っていうと、なーに、フグなんかこっちからあててやる
っていってたけど、あたっちめいやがったんだ。

あいつと俺は兄弟分だが、今は博打で取られて、百もない。
なんとかして(弔いを出して)やりたいが、、、

と、そこへ
「くず~~~い」
屑やの声。

 「お~う。屑や!」
屑「へい。

  いけねえ。らくだの家の前だ。
  ここで声出しちゃいけなかったんだ。
  この前もきったねえ、土瓶を出しゃがって、これ買えって。
  口が掛けて、漏るんだよ。どうしても買え、って、喉締めやがんだ
  仕方ねえから、お足(あし)置いて逃げたよ」

 「な~にをいってやがんだ。こっち、入(へい)れ。」
屑「へい、へい。こんちは。
  らくださんのお宅じゃないんですか。」
 「らくだの家だい」
屑「らくださんはどこにおいでになったんです?」
 「手前(てめえ)の前にいらぁ!」
屑「あー。
  おやすみんなってんですか?」
 「くたばっちゃったんだ」
屑「へ~~ぇ、どうしてです?」
 「フグにあたったんだよ!」
屑「は~~、フグに、ね。
  フグもあてるもんですねぇ~」
 「この野郎、福引みてえなこというなよぉ。
  (ここ「フグ食って、ふぐ死んだんですか」というのもある。)
  手前、なんだなぁ。らくださん、ってとこみると、知ってんだな」
屑「へえ。時たまなぁ」
半「そうか、じゃあ、ちょうどいいや。
  俺ぁ、らくだの兄弟分で丁の目半次ってんだ。こいつの葬式出して
  やりてえが、取られて一文もねえんだ。
  こういう場合だ。なんか家のもん、買いねえ」
屑「そりゃぁ、いただくもんあれば商売ですから、いただきますが
  なんにもいただくものないようですな」
半「ねえこたぁ、ねえ。ここにある土瓶買え。」
屑「いや、それだめなんですよ。漏って、口が掛けてね。
  この前、お足置いてね、謝ったんですから。」
半「なんか買えねえか?
  七輪どうだ、買えねえか?」
屑「それ割れちゃって、鉢巻きしてやっともってるんですよ。
  それもいくらか置いて、謝ったんですから」

なにも買うものがない。

半「屑やにまで、見放されてんのか。

  じゃ、買わずにいくのか~~?
  それで二足でも三足でも、歩けると思ってんのか!」
屑「じゃ、少ないすけど、これでお線香でもあげてください」
半「そうか。でもいくらでも出すだけ感心だ。」

屑や、帰ろうとすると、月番のところへ使いに行くようにいわれる。

「年を取ったお袋に女房があって子供二人で、今、仕事に
出たばかりで、釜のふたが開かない」から勘弁してくれと屑や。

 

つづく

 

断腸亭落語案内 その16 古今亭志ん生 富久

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引き続き、志ん生師「富久」。

「御富、突き止めぇ~~~~~~
「鶴の千、五百番ぁ~~~~~~ん」

ん?、、ぶっ倒れている奴がいる。
「おぅ、、、どうしたんだ、えっ、どうしたんだ!」
「う~~~~~~~~」
「どうしたんだ!え?」
「あった、あった、あった、、、、当たった」

腰が抜けたのでまわりの人に、胴上げをされて、掛かりのところまで。
すると、富くじ久蔵に売った人。

「当たったね~、久さん。
 札をお出し。」

「・・・・・・・。

 札は、、ポー」

「え~~?こないだの火事で、焼いた~~?
 そりゃあ、だめだ、久さん」

今でもそうだろうが、当たり札がなければ、だめ。

傷心の久蔵、自棄にもなっている。

とぼとぼと、歩いていると、鳶頭(かしら)に出会う。

頭「久蔵じゃねえか?」
久「あー、鳶頭」
頭「どうしたい、ぼんやりして。
 手前(てめえ)今どこにいるんだ。
 え~?
 客んとこに権八(居候)してるってっ?
 よせやい。いつまで居候してるのは。
 所帯持ったら、家いこいよ。
 渡すもんがあるから。
 こないだの火事じゃ、いなかったじぇねえか。
 お前(めえ)んところの前通ったらな、覗いたら
 あいてやがる。中入ってみたら、損料布団があらあ。
 また、手前困るだろうと思うからな、うちの奴(やっこ)に担がせて
 閉まりをしようと思って、ひょいと後ろを見たら、手前も痩せても
 枯れても芸人だ、いいお宮があったな。もったいねえから俺ぁ
 持ってきた。
 お宮と布団を渡すからな。所帯持ったら飛んでこいよ。」

久「うわぁ~~」
久蔵は鳶頭にむしゃぶりつく。
久「大神宮様のお宮がある?」
頭「あるよ。なんだよ!」
久「泥棒!」
頭「なにが、泥棒だ!?
  今、渡してやりゃ、いいんだな。
  じゃ、家いこいよ。どうかしちまいやがって」

頭「ほら、布団だ。持ってけ~」
久「布団なんて、いらねえや、、お宮だ」
頭「やるよ!。そこにあら。」
久「あーあった」
頭「文句ねえだろ」

久「まだある。この扉、開いて、あればいいが、なかったら、、」

開ける!。

久「あた、あた、あった!」

鳶頭にわけを話して、謝る。

頭「うまくやりゃぁがったなぁ~~。
  この暮れぃきて、千両たぁ。」
久「はい。大神宮様のおかげで、方々にお払いができます」

これで下げ。

今は、ほぼ判らないだろう。
志ん生師でも枕で説明をしていた。

暮れになると「大神宮様のお祓い」といって、お札を配りながら
大神宮様=神棚のお祓いにまわっている者があった、と。

“お祓い”に、借金の“払い”をかけている。

江戸期、御師(おし)といっていたのだが、伊勢神宮から宣伝というのか
布教というのか、伊勢参り勧誘のためにお札を配りながら、神棚のお祓い
をしてくれる者があった。大神宮様というのは伊勢神宮のこと。この頃、
神棚には大神宮様を祀るのが一般的であった。これもあり神棚そのものを
大神宮様ともいっていた。(伊勢以外にも御師は、富士、熊野、出雲などで
発達し、伊勢講、富士講など御師によって組織され参拝と旅行を兼ねた
集団=講が数多く江戸にもあった。落語にも「大山参り」というのがある。
これは神奈川県の大山阿夫利神社を信仰するもの。講中で参拝登山をして
江の島、鎌倉をまわって物見遊山かたがた帰ってくる。)

さて「富久」。
円朝作という説もあったようだが、今は否定されているよう。(「落語の
鑑賞201」(延広真治編))黙阿弥作の歌舞伎「地震加藤」(初演明治2年
(1869年市村座)のもじりではないかとのこと。(同)
これは加藤清正が秀吉の勘気(かんき)に触れていた頃、大地震(慶長
伏見地震)が起き、真っ先に駆けつけ、その怒りが解けたというのを芝居に
したもの。と、すると、この噺の成立は明治初期と考えてよいのか。

速記では例の「口演速記明治大正落語集成」(講談社)に入っている。
演者は三代目小さん、明治30年(1897年)のもの。三代目小さんは
安政3年(1857年)~昭和5年(1930年)。
「らくだ」を東京に移した人として登場していた。

円朝、二代目(禽語楼)小さんの次の、明治第二世代。
「富久」は円朝作どころか、柳派の噺であった可能性もあるか。

読んでみると、大筋は同じだが随分と枝葉、無駄なところがある。
その後の世代で刈り込まれ、文楽(8代目)、志ん生(5代目)に
伝えられたのであろう。

注目の掛ける距離であるが、これは浅草三間町から芝。ただ、芝という
だけで、久保町とは特定されていない。後のことのようである。
だが、長距離なのは、元々であった。

富くじというのは、江戸期寺社奉行管理のもと、寺社の修繕改築など
を名目に行われた。ただ、これも過熱し、過当競争もあったよう。
天保の改革で禁止になり、その後は明治新政府になっても許可はされな
かった。復活は第二次大戦中の戦費調達を目的に行われた勝札というもの
らしいが、これは抽選日前に敗戦になっており負札と揶揄されたとのこと。
本格的には、戦後すぐの昭和20年(1945年)の第一回宝籤まで待たなければ
ならない。 (東京都公文書館 史料解説)

こんなことなので天保以前の文化・文政生まれの者でなければ実体験として
富くじを知らなったわけである。富くじの噺は「富久」以外にも「宿屋の富」
「水屋の富」など複数あるが、天保以降には演れなかった、または文化
文政期に作られたのでなければ、噺としてなかった可能性すらあろう。
また、明治期になって口演されても、もはや富くじそのものを、小さん
(3代目)にしても実体験としては知らない者が演り、富くじの記憶も曖昧に
なっている、はずである。
境内での抽選の場面など、それこそ“見てきたように”語られている。
場面描写として“怪しい”可能性は多分にあることも覚えておきたい。

富くじも宝くじもないのに、富くじの噺は人気で続けられたというのは
注目に値しよう。庶民が一攫千金のささやかな夢を買うもの。志ん生師も
当たったらどうしたい、というところなど、愉しそうに演じていたように
聞こえる。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その15 古今亭志ん生 富久

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引き続き、志ん生師「富久」

幇間(たいこもち)の久蔵。
芝久保町が火事というので出入りができなくなっていた旦那の家に
駆けつけ、出入りが叶う。火事も消える。
火事見舞いに“石町(こくちょう)さん”から酒が届く。

石町というのは、大店、老舗が集まる日本橋本石町であろうか。
詳しく説明はされないが、この家の本家といった感じである。

文楽版だと、酒は徳利二本(五合二本か)で、一方はお燗がついており、
一方は冷。肴もあり、めざしを焼いたものと、おでん。「総仕舞いに
して、串に刺してある」と。雰囲気は、お重にでも入っている感じか。
志ん生版では酒というだけで、詳細はまったくなし。

久「旦那、石町さんがご酒(しゅ)を」
主「そっち、やっとけ」

久「旦那。石町さんが、ご酒、、」
主「だから、そっちやっとけ」

久「旦那、石町さんが、、、」

久蔵、呑みたくってしょうがない。
呑みたい、やめとけ、走ってきたんで喉が、、水飲んどけの
一件(くだり)あって、

主「しょーがねーな、余計はいけねえよ」
というので、お許しが出た。

映像がないので、わからないのだが、実にうまそうに呑んでいる
雰囲気。志ん生の真骨頂というのか、地か。
私がリアルで知ってるのだと、亡くなった文治師(10代目)。
実に師はうまそうに呑んでいた。「親子酒」であったと思うが、
鈴本で観て、冷で、噺に出てきた練りうにで、すぐに日本酒が
呑みたくなった。そう。もうこういう、うまそうに酒を呑める
落語家は少ないのではなかろうか。

呑みながら久蔵はこんなことをいう。
久「さっきあたしが入ってきた時に、旦那が「怪我でもしたらどう
  すんだ」ってね。これだけのご身代が今、灰になっちゃうってのに、
  吹けば飛ぶようなこんな者を、怪我したらどうすんだって、って、、
  あっしの身体(からだ)を思って下さる。ね。偉い。こんな偉い人は
  ない。
  人は自分を思ってくれる人に自分の身体を託すんだ。昔の人は言った、
  『人は己を知る者のために・・』あと知らねえけど、、」
  (「士はを知る者の為に死す己」が正解。)
  
茶碗で、三杯。
久蔵、段々怪しくなる。もうやめさせろ。寝かせちゃえ、寝かせちゃえ。
文楽師だと、これで片付けを手伝い始め、皿を割る件があって、寝る。
「こいつはな、人間はいい奴なんだ。酒ぇ呑むとこんなだらしなくなっちゃう
 んだ」と主人の台詞。

また、半鐘が鳴る。
よくぶつけるね。誰か見てみろ。
大きな商家では自分のところに火の見櫓を持っていた。
 「浅草見当、三間町!」
主「え!?三間町。おい、おい。久蔵起こしてやんな。」

 「おい久さん、久さん」
久「えー、もう呑めない。」
 「まだ呑むつもりでいるよ。
  久さん。火事だよ、火事だよ。」
久「え~?火事だからあっし、きたんですよ。」
 「また始まったんだよ。」
主「おい、久蔵、久蔵。
  火事は浅草の三間町だってよ。お前ぇんとこの方だ。」
久「そーすかぁ~、、、あちしんとこの方ぉ~?」
主「行ってきな。早く。
  ま、そんなことねぇだろうがな、焼けたようなことあったら、俺んとこ
  こいよ。家ぃきて、手伝ってて、留守にお前ぇんとこが焼けたんじゃ
  見ていらんねぇ。
  そんなことねえだろう。な!。気を付けて行ってこい。」

文楽師だと、草鞋とろうそく、提灯など用意してもらう、が入る。

久蔵、今晩二回目、火事場急行。

浅草から新橋、新橋から浅草。往復。
(蛇足だが、このあたり今は新橋であるが、以前は新橋は文字通り橋の
名前で地域の名前ではない。呼び名としては広いが、芝である。)

掛けて往復できる限界という距離、なのかもしれぬ。

まさか、久蔵も火事の掛け持ちをするとは思わなかった。
酔いも冷めて、身を切る寒さ。

近付いてくると、やっぱりごった返している。

久「ちょいと、ごめんなさいよ、ごめんさいよ」
 「お、お、おい、久さん、どこ行くの」
久「今、家ぃいくんだ」
 「家、ないよ!」
久「え?、誰が持ってった」
 「持ってきゃ、しねえ。お前(めえ)とこ焼けちゃったい」

 

主「どうしたい、久蔵。
  ぼんやりして、帰(けえ)ってきやがって。
  え?、家はどうだったい?」
久「ええ、、、、、家は、ポーッ」
主「なに?、焼けちゃった。
  あー、、、、そうかぁ、、、、

  いい。俺んとこ、いろ。
  食わして、着せて、小遣いくらいやるから、家にいろ。」
久「その方がいいんだ。」

とはいうものも、義理のわるい借金を返して、商売に出たい。
だがそこまでは旦那には言えない。

暮れも押し詰まってきて、人形町へんを歩いているとバラバラと
人が走っていく。
椙森(すぎのもり)神社で、富くじである。
なんだ、俺も買ってたんじゃないか。

境内はごった返すような人。
大きな箱に札を入れ、錐で突く。

順々に当たりが出て、突き止めの一等、千両。

皆、当たったらなにがしたい?と、心待ち。

「当ててえな~」
「当ててえ」
「俺ぁ、千両当たったらな、日頃の望みを叶えるな」
「なんだい」
「裏へ大きな池を掘って、水が漏らないようにしといて、
 その中に酒を入れて、ドブーンって飛び込むね」
「俺ぁなあ、千両当たったら、職人なんてやめだ。堅気だ、
 商人(あきんど)になる。」
「なにやるんだ」
「やってみてえのは、質屋だ」
「なんでだよ」
「俺が置きに行く質屋が遠いんだよ」

わぁ、わぁ、言っているうちに、
「御富(おんとみ)、突き止めぇ~~~~~~

 

つづく

 

 

 

断腸亭落語案内 その14 古今亭志ん生 富久

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志ん生師「富久」。

時代設定は、富(とみ)くじなので、徳川時代でよろしかろう。

幇間(たいこもち)の久蔵。
知り人に道で会う。

久蔵は酒癖がわるく、借金で首が回らず、どこも出入り禁止で仕事が
できなくなっている。

出会った相手に、なにをしているのか聞くと、隠居仕事に富くじ
売っているという。
じゃ、当たりそうなのを売って下さいというと、当たりそうもなにも、
売れ残っているのが一枚っきり。ただ、その番号がおもしろいという。
鶴の千五百番。ぴったり。
じゃあ、と久蔵はなけなしの一分を出して、買う。

千両富といって、一等は千両。

家に帰ってきて、富くじと、買ってきた酒を神棚(大神宮様)に
上げ、お願い。

神棚から酒をおろし、呑む。
そのまま、ごろり、寝てしまう。

どこかで半鐘が鳴る。
長屋の者が屋根に上がって、見る。
 「どのへんかな~、芝、見当。新橋から、久保町へんかな」
 「どっか、知ったとこあるか?」
 「ねえなぁ」
 「ねえ」
 「一杯呑んで、寝ちまうか」
 「お、そうだ。久蔵のやつ、久保町になんでもいい客があるって
  いってたよな。起こしてやるか。」
 「おい、久さん、火事だよ」
久「いいです。」
 「いいです、って」
久「家は大家のもんでね、布団は損料やのもん(借り物)で」
 「火事は久保町だってよ。お前(めえ)、久保町にいい客があるって。
  こんな時に行くと、詫びが叶うぜ」
久「あ。ありがとうございます。」

久蔵、飛び起き、飛び出る。

久蔵の長屋は、浅草三間町

浅草三間町は今の浅草通り沿い、雷門一丁目と寿一丁目に
またがった両側。

芝久保町というのは今は西新橋一丁目、外濠通りの南側。
芝信用金庫があるがあのあたり。

季節は、旧の十二月、今の一月。べら棒に寒い。
西北(にしきた)の筑波おろしが身を切る。
(江戸から筑波山は北東あたりであるが。)

今の東京ではない。
百年以上前の東京。

掛ける、久蔵。
犬がワンワン吠える。
「なにが、ワンワンだ、こっちが泣きてえや」
これ、志ん生のみの台詞である。

浅草の三間町から芝久保町まで、グーグルで計ってみると
6.6km。徒歩で1時間半。走ると、、、いや、走れるのか。

まあ、マラソンでもやってる人でなければ、無理であろう。

これはあまりに遠いが、文楽師は拙亭近所だが、浅草阿部川町から
日本橋横山町まで。こちらは1.9kmで徒歩ならば25分。
このくらいならば、まだ走れるか。(私は走りたくないが。)

近くまでくる。
火事場である。

ごった返している。
「エァ~~~イ」という仕事衆(しごとしゅ)の声。

ここでいう仕事衆とは火消しのことである。

この噺では火事が大きなテーマになっている。
私の子供の頃はまだ、火事を見に行く、なんという気分がまだ
多少はあった。小学生の頃自転車に乗って実際に見に行った記憶がある。
が、今ではむろん火事自体が少なくなっているし、火事場の雰囲気は
ニュースで視るくらいで人に知られなくなっているといってよいだろう。
以前、それこそ火消しが働いていた近代消防前の火事場は最早
我々には想像すらできなくなっている。
決して、よい記憶ではないはずだが、半鐘が鳴ると屋根に上がって、
どこの火事か見る。近い火事であれば、むろん、そんな悠長なことは
言っていられないが、近くもなく遠くもないというところであれば、
見物に行く、というくらいで、ちょいとワクワクするものであった
ことも確かであろう。お客はそういう気分でこの噺を聞いていた、と
考えていいだろう。文字通り「火事と喧嘩は江戸の華」。
肌感覚として、忘れ去られる記憶である。防火は忘れてはいけない
が、火事をたのしむ、というのは忘れてよい記憶であろう。

久「ちょっ、ちょっ、ごめんなさいよ。
  ちょっと、ごめんなさいよ。

  あ。こんばんは、こんばんは。」

主「まだいいよ。
  いよいよとなったらでいいんだから。
  な、鳶頭(かしら)。
  
  え?、誰か来た?」
久「ハッ、ハッ、、、、久蔵でございます。」
主「久蔵?!
  おー、、、、きやがった。
  どっからきたんだ」
久「浅草の三間町からきました。」
主「おー。よくそんなとっからきたなぁ。
  忘れねえで、きたんだ。
  出入りは許してやるぞ」
久「そうくると思った」
主「なんだよ」

手伝おうというので、家具などをいろいろ載っけて風呂敷で
背負おうとするが、まるっきり持ち上がらない。一つ一つ、
降ろすが、やっぱり上がらない。
主「なんだ、ばかやろ、後ろの柱ごと背負ってら」

なんという一コマがあって。

「え?、どうしたんだ、鳶頭。
 風が変わった?
 あらかた、消えた?」

よかった、よかった。
久「おめでとうございます、おめでとうございます。
  鳶頭、ありがとうございます」

すると、火事見舞いの客がくる。
久蔵は顔と名前を知っているので、一人一人、挨拶をする。
文楽版だと、久蔵がこれを一人一人、帳面に付ける。)

「石町(こくちょう)さん」が酒を届けてくれる。

 

つづく