浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



練塀町のこと その2~上等カレー・秋葉原店

4328号

さて。
引き続き、練塀町のこと。
秋葉原駅の北東にある、今、神田練塀町と呼ばれる町のこと。

現代の地図

江戸

昨日は、講談や芝居になった、河内山宗春(俊)が
住んでいたという、下谷練塀小路と書いていた。

ところが、今は神田練塀町といっている。
これ、どういうことなのか。

明治以降の区境の変更という問題である。

江戸期にはむろん区などというものはなく
江戸府江戸町奉行が支配する区域(江戸)は「町」が
単位で行政的には区分はなかったといってよいだろう。

下谷だったり、神田だったり、浅草だったり、
日本橋、京橋などなど、少し広い地域を指し示す地名は
あったが、あくまで慣習的なもので基本、行政単位ではない。

明治になり、新政府は一度、全国で町村制を廃止し
大区小区制というものを作るが、結局は明治11年
1878年)に元に戻し、市町村制に移行する。
東京市の区、当初15区、下谷区神田区もこの時に
誕生している。

ただ、気を付けなければいけないのは、今の区とは
違って、地方自治はなく、区の役所はあるが区議会が
あるわけではない。便宜的な行政単位で、今と違って
税金も区には入らない。
現代であれば、東京湾の新しい埋立地が、中央区
入るのか、港区に入るのか、江東区に入るのか、
大騒ぎであるが。

どこに区境の線を引くのかは、東京市に権限があり
東京市の勝手であったといってよいのだろう。

ただ、東京市側の特別な事情がなければ、江戸からの
経緯や、住民の意向というのもある程度は反映されていた
のではないかと、考えてよいとも考えている。

前に書いているが、同じ下谷区(台東区)で、
池之端、上野付近の本郷区(文京区)湯島との区境。

ここ、かなり不自然で細かい路地が区境になっている。
ここは明治から変わっていない。いや、江戸期から。
江戸期に湯島といっていた町は本郷区(文京区)になり、
下谷、上野といっていた町は下谷区台東区)になり、
そのまま現代まで変わっていない。

それで、なのか、下谷練塀小路の東西は、その名のまま
明治になり下谷練塀町として下谷区の所属となっている。

明治の終わりになるが、
明治40年神田区

明治36年下谷区

きれいなものである。南に飛び出すように、
江戸の慣習のまま、練塀町は下谷区に入っている。

では、いつ練塀町が神田区千代田区)になったのか。
これにはどういう経緯があったのか。

調べると、この区境の変更は二段階になっているのである。

最初は第二次大戦最中の昭和18年(1943年)南半分が
神田区になっているのである。

そして、二回目は、終戦後すぐ昭和22年(1947年)
北側が神田練塀町になっている。
このタイミングは、神田区麹町区が合併し千代田区
になった時。

私は台東区民なので、台東区としては練塀町を
千代田区に獲られた、と見えてしまう。
練塀町は河内山宗春の江戸の昔から由緒正しく、
下谷台東区)であろう、と。

一回目は戦時中であるが、二回目は戦後すぐとはいえ、戦後である。
戦前から計画され、ドサクサで持ってかれた、のか。
反対運動などは、なかったのであろうか。

結論からいうと、残念ながら私は今、答えを持っていない。

あくまで想像であるが、先に書いた震災後にできた
神田青果市場に関係しているのでは、と。
神田市場の主要な部分は線路の西側だが、一部、下谷区
練塀町にもまたがっていたのである。
区をまたがっていては、なにかと不便だったのでは、と。
これは戦後も。
こんなことなので新聞などにも載っていまいか。
これは、私の継続課題としよう。

さて、以下戦後である。この神田練塀町のすぐ北は今、
公園だが公園とその東側は、台東区秋葉原という町名。
これも妙ではないか。ここで秋葉原?。ちなみに秋葉原
という町名は今も千代田区にはない。
台東区秋葉原は、戦後にできている町名なのである。

詳しく見るとなんと、今の公園部分だけ戦後も下谷練塀町が残り、
それが昭和39年(1964年)に東側と合わせて秋葉原になって
いるようなのである。
秋葉原というのは長く通称で、ご存知、秋葉(神社)様の
原っぱで火避地として明治初めに空き地になっていたところ。
ここに明治23年(1890年)上野から線路がひかれ貨物駅が
できた。名前は空き地の通称を取って秋葉原貨物取扱所。
これが秋葉原駅になった。(上の神田区の明治の地図参照。)
ちなみにここは練塀町ではなくその南で神田花岡町

台東区秋葉原という町名は、練塀町を獲られた台東区
苦肉の策?残念さの表出?であったのか。

閑話休題
[上等カレー]であった。

とんかつカレー、880円也。

ここの店員さんは、インドの人。
まあ、インドカレーではなく、あまい大阪カレーだが。

東の人間からすると、あまいカレーは最初は
違和感があるのだが、慣れれば、これがうまい。
食わずぎらいは、賢いことではない。

食券を買って出すと、生玉子入れますか、と
必ず聞かれる。
生玉子(卵黄)を入れるのもの、大阪式、で、あろう。

置かれている、福神漬けとキャベツの酢漬けを
皿に取って、食べ始める。
ノーマル盛なので、私にはなかなかボリューミー。

うまかった、うまかった。ご馳走様です。

 

上等カレー・秋葉原店

 

 

 

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