浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭パリへいく。 その5

dancyotei2013-05-09

4月26日(日)

Les Halles(レ・アール)のレストラン
[Au Chien qui Fume]で昼飯を食って、
歩き始める。




より大きな地図で 断腸亭料理日記パリへ行く(4)Les Halles〜 を表示


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この通りはPont Neuf(ポン・ヌフ)通り。

真っ直ぐ行くと先ほど船で下をくぐったPont Neufになる。
これはシテ島の一番端っこ。




なんでもパリで最も古い橋で1607年、アンリ4世の時代に
竣工しているという。日本では慶長11年、秀忠になってすぐの頃。
アンリ4世というのは有名なルイ14世の2代前のフランス王だそうな。
パリにもこのくらい古いものはやっぱりあった。

顔(仮面)がたくさんついているのが特徴なのだろう。
怖い顔は、魔除けであろうか。

ポンヌフを渡ってシテ島の左岸を歩く。
このあたりには裁判所などあり、Notre-Dame(ノートルダム
大聖堂までくる。



昨年ローマ、あるいはバチカンへいったが、
バチカンを含めて、ローマにある教会に比べれば、
あたり前であろうが、大聖堂といいながら、ノートルダム
いかにもと小さく、質素というのか、装飾も少ない。
ただ1345年竣工と古いことは古い。中世、日本では南北朝時代である。

入ると、シスター数人が控えており、日曜日でもあり
ミサが始まりそうな雰囲気。祭壇から最も離れた下座正面で
十字を切って礼拝後、静かに見て回る。



修築が繰り返され、これはさほど古いものではないらしいが、
ステンドグラスは見事。

Notre-Dame(ノートルダム)というのはどういう意味か。
ちょっと疑問に思った。

Notreはこの場合フランス語の一人称複数の所有格、つまりours。
問題はDame。

イタリアでは教会の名前によく、Duomo(ドゥオモ=ドーム)が
使われている。これと同じかと思ったら、左に非ず。
Dameは、Madam(=マダム)で女性のこと。
この場合は、聖母マリアのことになるらしい。
Notre-Dameは私達の聖母マリア(教会)である。

ノートルダムを出てると、裁判所やらコンシェルジュリー
(旧監獄)があり、そこにはフランス革命時、
断頭台の露と消えた、かのマリーアントワネットの独房も
再現されているが、気味が悪いので、やめる。

小鳥なども売っている花市などあり、ちょっと覗く。
生の鉢植えなどは持って帰れないが、種がある。
珍しいのでフランスのねぎ、ポロねぎの種を買ってみる。

ここからは、セーヌ右岸に渡りパリ市庁舎から、
お洒落な街というマレ地区へいってみる。

目の前のPont des Arts(ポン・デザール)を渡る。

この橋には鍵がたくさんつけられている。



なんでも恋人同士が愛の誓いに付けて、後ろ向きに
鍵をセーヌ川へ投げるとのこと。
どこの国にも、こういうのはあるもんである。

渡ると、目の前がパリ市庁舎。



ローマもそうだったが、公共の建物がこういう建物なのはさすがにパリ。
17世紀に建てられたものらしいが、革命で破壊され、
今のものはその後19世紀末に再建されたものらしい。

その先の北西側が、お洒落な店が集まっている一角。

Rue vielle du temple(ヴィエイユ・ドゥ・テンプル通り)と
その先、交差するRue des francs bourgeois(フラン・ブルジョワ通り)
がその中心ということで、いってみる。

この界隈は昔の貴族の邸宅が残っているところでもある。

 


大道芸人なども出て、ちょっと東京の裏原宿やら、代官山界隈に
雰囲気が似ている。(逆かもしれぬが。)

店はカフェやギャラリー、気鋭のファッションブランドなど。
日本の[無印良品]まである。
[無印]は街によく溶け込んでいるので、なんとなく、テーストが近いのかもしれない。

内儀(かみ)さんはスウォッチに似たポップな腕時計を
買っていた。

愉しい通り、で、ある。

Rue des francs bourgeois を真っ直ぐくると
Place des vosges(ヴォージュ広場)という広場に出る。



出来たのは1612年で、先のアンリ4世の命で作られた、という。
パリで最も古い広場で、かつ最も美しい広場とも。

なんといっても四方を取り囲んでいる建物のデザインが
まったく同じであること。これが実に美しい。
これが、おフランス。Tres bien!



中央にルイ13世の騎馬像。



響きがよいからであろうか、アーチになっている広場の出入口では若い音楽家が、
ハープを奏でている。まるで名曲アルバムのよう。



また、ここには、我々は行かなかったがビクトル・ユゴー
住んでいた部屋も記念館になっている。

これらの建物全体、基本、今も人が住んだり、ギャラリーやらカフェを営んでいる。

こういうものを見て思うのは、パリに限らなかろうが、
ヨーロッパ人というのは古いものをとても大切にしているということ。

翻って、我が国ではどうであろうか。

日本の木造建築は火事で燃えれば、残したくとも残せなかったという
側面はあるが、江戸から明治への時代転換などで
意識的に壊してきたものか少なからずあるのは、悔やまれる。
彼らに比べ、古いものを大切にするという意識は、明らかに
日本人全体とすれば低いように私には思われる。

広場を出て、左に曲がり、Place de Bastille(バスチーユ広場)
を目指す。



日本の本を多く売っている本屋。
フランス人の日本趣味か、なるほど。



バスチーユはフランス革命の引き金になった
監獄があった場所。中央の塔はその記念。




メトロに乗って、



オペラ駅まで戻ってくる。

ホテルで一休みし、8時頃、軽く夕飯に出る。

ホテル近所のカフェ(Cafe de l`Olympia)。

白ワインをもらって、



ほたてのグラタン。


Gratin、といえば、オーダーした時には、頭はすっかりベシャメルソース
になっていたのだが、オーブンなどで表面を焦がしたものを
広くいうのであった。

白いのはマヨネーズのようなソース。
丸いのは白いライス。

まあ、夜は軽くてよいであろう。


これで、長い一日目が終了。
随分歩いたようだが、距離としてはたいしたことはないだろう。
パリというのは意外に、歩ける街、である。

明日はルーブル


つづく。