7月7日(土)七夕
昼すぎ、空模様はあやしいが、ちょいと用足しもあり、
自転車で出る。
下まで降りてくると、もう既に降り始めている。
ビニール傘を取りに戻り、再度、自転車で出る。
蔵前で用足し。
ここから、入谷の朝顔市をのぞきにいこうと、考えた。
蔵前から西、北方向に路地を伝って進む。
田原町の交差点を北へ渡り、本願寺の裏の通りに入る。
本願寺裏を抜けて、合羽橋道具街の通りも突っ切って、
思い付いたところを右に曲がる、、、と、
お、そうであった。
七夕は合羽橋本通りもお祭、であった。
合羽橋本通り、というのは、道具街の通り、ではない。
江戸の地図
より大きな地図で 断腸亭料理日記・合羽橋本通り を表示
これは、浅草、上野(下谷)を含め、北は、吉原から三ノ輪まで、
南は浅草橋、秋葉原。ほぼ今の台東区のすべて。
中央右寄りに東本願寺があって、その西に接して、新堀川があり、そこに
かかっていた橋の一つが合羽橋。
もちろんこれが合羽橋道具街の名前のもと。
今は道具街の真ん中の細い通りが交わっている信号。
この細い通りが、今いう、合羽橋本通りの商店街。
新堀川が今の道具街の通り。
新堀川が埋め立てられたのは大正末の関東大震災後。
従って、今のように厨房道具や食器類を扱う道具街として
本格的に発展したのは、戦後のこと。
これに対して、合羽橋本通りの方の歴史はずっと古い。
上の地図をご覧になるとお分かりになるが、この通りは
上野の山、寛永寺と浅草の浅草寺を真っ直ぐに結んでいる。
寛永寺は幕府の祈願寺であり、将軍の墓所もある。
従って将軍のお成りは年になん度もある。
一方、浅草の浅草寺の方は、あまり知られていないと思うが、
寛永寺ができるまでの祈願寺でもあり、東照宮は
浅草寺にもあり、幕府の保護も厚かった。
上野寛永寺から、浅草寺へ将軍がまわることも
あったといい、その時のお成り道が今のこの
合羽橋本通りだったのである。
それで、今でもこの通り沿いには浅草から上野まで、
びっしりと商店が立ち並んでいる。
その、商店街の七夕。
昭和通りに出て、向こう側に渡り、北へあがると
言問通り。
この入谷の交差点から鬼子母神の前、鶯谷駅方向が歩行者天国で
南側が朝顔の屋台、北側が普通の屋台。
ずらっと、店を並べている。
自転車を置いて、歩く。
小雨交じりだが、人出は多い。
昼間は朝顔は花を閉じてしまうので、
朝顔市というのは、むろん朝来るのが本当。
だが、開いている花もあるのが、不思議。
(屋台では電球をつけていたりするが、これは
そのためか。)
今年は、朝顔の鉢を買うのはやめにしようか。
買ってもよいのだが、真夏、遊びに出掛けて
留守にし、枯れてしまうのが、可哀想である。
朝顔市、と、書いているし、昔から、朝顔市、朝顔市と、
呼んできたが、実行委員会の呼び名は、朝顔まつり。
言問通りの南側、びっしりと並んだ朝顔屋台の狭間に、
入谷の鬼子母神の門がある。
入谷鬼子母神の朝顔市という言われ方をされ、
今も、門前で朝顔が売られているが、本来は
鬼子母神とは関係はなかったのではないかと
思われる。
御家人というのは、最下級の幕府の家来で、暮らしは貧乏。
皆、内職をしないと、とても食べていけなかった。
そこで、彼らの多くが、当時流行っていた、植物を育てて
売り、家計の足しにしていた。
他にも御徒町同様に、御家人の住んでいた、新宿の百人町
(大久保、新大久保)などは、つつじの栽培が盛んで
江戸市民の間で、つつじの花見に出かけるところとして、
名代であった。
明治になって、御徒町の御家人達は、御徒町の北側の
まだ田んぼであった、当地入谷に移り、朝顔栽培を続け、
その中に、そのまま植木屋となった者もあったのであろう。
明治も年が経ち、入谷界隈は朝顔の名所になり、
夏になると、朝顔を見にくる、買いにくる人々でにぎわう。
これがいつしか朝顔市、と呼ばれるようになった。
で、たまたま、近所にあった鬼子母神がこの朝顔市と手を組んだ、
ということなのではなかろうか。
(むろん、鬼子母神としても参拝の人が増えるのは、
願ったりかなったりであろう。)
朝顔市は、大正に入り、この界隈の市街地化によって、
植木屋が廃業し、一度、途絶える。
復活したのは、戦後、昭和23年。
戦後の暗い世相を明るくしようと、地元の人々が
発起したという。
今は、多くが、江戸川区の園芸農家で朝顔は作られている
という。
鬼子母神の門を入ると、ごった返すような善男善女。
境内でも朝顔は売られている。
私なぞも、朝顔市くらいしか、この境内には入らない。
(まあ、母子の守護なので、、)
お賽銭を出して、お参り。
すると、隣で、、、、
「二礼二拍手、、、、」と、子供に
教えながらお参りしている若いお母さんがいる。
え?!、ここは、お寺のはず、、。
さすが。
日本人の神仏習合。
いや、本来はこれが日本人の姿なのかもしれぬ。
明治に入り、神仏分離、という国家政策で、強引に
分けられただけの話、である。
現世利益(げんせりやく)。
庶民にとっては、願いを叶えてくれれば、
神でも仏でもどっちでもよいのである。
長くなった。
朝顔市、途中だが、今日はこのへんで。
また明日。