7月25日(月)
さて。
引続き、私の夏休みの、七月大歌舞伎。
海老蔵の復帰芝居。
義経千本桜、勧進帳、楊貴妃。
一つ目と二つ目が、ともに義経。
まずは、義経千本桜。
義経千本桜は、演目の名前くらいは
聞いたことがあるくらいで、実のところ、
この芝居を観るのは、初めて。
歌舞伎を観始めたのは、ここ数年。
まあ、素人である。
歌舞伎ファンの方にとっては、説明の必要もないくらいな
演目なのであろう。
義経と頼朝が不仲となった後の話。
義経は都を脱して、伏見稲荷まで、静御前が
追っかけてきたきた、という場面。
筋書きを読んで、表面的に観ても、ある程度、
話はわかるのだが、実際には、奥深い背景がある。
それが、わかっていないと、まったく、おもしろみがない。
素人には、ハードルの高い芝居で、あろう。
海老蔵先生も出ていないし、ここで、
千本桜の背景を書いてもしかななかろう。
弁当を食べて、二幕目。
勧進帳。
ご存知歌舞伎十八番。
私も、これだけは、観るのは2回目か、3回目か。
最近では、09年、幸四郎の弁慶、吉右衛門の富樫で観た。
今回は団十郎、海老蔵親子の共演。
市川団十郎家の家の芝居で、まさにこの二人のための
演目、ということになろう。
芝居自体の細かい内容は、前に書いているので、
やめる。
富樫の海老蔵は白塗りで鼻筋の通った、いい男。
この印象がとても強い。
そして、心なしか、線が細く見えたのは、気のせいか。
しかし、団十郎というのは、独特の口跡である。
[口跡とは、コウセキと読む。口調のことである。
落語家などでもいうが、あの人は口跡がいい、まずい、
という使い方をする。]
海老蔵の芝居は、観た記憶があるが、
団十郎は、今回、もしかすると、初めてである。
ドラマなどで、むろん芝居をしているのは視て、
独特な口調だと常々思い、また、
これが、歌舞伎の口調か、とも思っていた。
しかし、吉右衛門やら、幸四郎やら他の人の
芝居も観てみると、決して、皆、団十郎のような
発声の仕方をしていない。
吉右衛門や、幸四郎などは、むしろ、はっきりとした
口跡なのではなかろうか。
批評をちょいと、調べてみると、団十郎の
口跡は、あまりよくない、という人も
少なくないようではある。
(そういえば、勘三郎も、独特である。
個性的といえば、いえるが、こもって聞こえなくもない。)
ふ〜む、そういうものか。
ともあれ。
団十郎・弁慶の最後の、見栄を切ったまま、
花道を、オットッ、トッ、ト、と、前に飛んでいく、
飛六方、の迫力は、さすがに納得させられた。
しかし、これは、素人のつぶやき。
先日、吉右衛門先生が人間国宝に
なられたのは、私も知っている。
今回の勧進帳を観ても思ったのだが、
市川宗家親子よりも、幸四郎、吉右衛門兄弟の方が、
芸とすれば、上のように、思えてくる。
むろん、ファンの方は、多かろうし、それなりの
魅力はあるのだろうが。
さて。
最後の演目は、楊貴妃。
これは、なんでも、大仏次郎が新派のために
書き下ろしたもだそうで、初演は戦後すぐの
昭和26年という。
簡単に書いてしまうと、
楊貴妃(福助)と宦官である高力士(海老蔵)の
愛憎劇、ということになる。
まあ、現代劇といってよいのだろう。
これも、はっきりいうと、ピンとこなかった。
(素人のつぶやきである。お許し願いたいが。)
海老蔵ファンの女性には、よかった、
のかもしれぬが、その前に、そもそも、芝居として、
脚本として、どうなのか、あまり迫ってくるものを
感じなかった。
また、演じている海老蔵も、少なくとも、描かなければ
いけないであろう、愛憎、葛藤、のようなものが、
あまり届いてこなかったのだが、、、。
海老蔵の復帰芝居として、なんで、これをやったのか。
海老蔵ファンの女性向け?
まあ、それでも、興業的には、成功はするだろうが、
私には、なにか、薄っぺらな印象であった。
夜の部の、鏡獅子は、批評でも褒められている
ともいうが、昼は観るべきではなかったか。
いや、その前に、今回の芝居は、海老蔵復帰が
メインで、それだけのもの、と、考えるべきであったか。
しかし、海老蔵は、妙に神妙な感じは伝わってきたように
思うのだが、それ以上のものは、ほとんど印象に残っていない。
むしろ、不遜なワル、の方が、存在感があってよかった、の
かもしれぬ。
芸能界の彼のポジションは(ちょうど、この日、第一子も生まれ、
奥さんもかわいく)まあ、それなり、に落ち着く、のであろうが、
歌舞伎界の歌舞伎役者、として、彼のポジションは、
どんな風になるのであろうか。
素人の目ではあるが、また、彼の芝居を観たいとは、
あまり思えなかった今日の舞台、ではあった。