浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



上野の山 その3

dancyotei2011-03-22



引続き、上野の山のこと。



まあ『講座』が流れても、なんのことはない、
結局、調べたことを、書いているのだが、、。



ともあれ。



今日は、上野東照宮のことから。


上野東照宮というのは、やっぱり、
一般には、知られていない、のではなかろうか。


私も、ここにある、のは知っていたが、
よくよく、見にきたことは数えるほど。


東照宮というのは、ご案内の通り、
徳川家康を祀った神社である。


日光は家康霊廟御本尊があるので、別格として、
次は、静岡の久能山。これは、家康の遺命によるとも
いわれ、次席であろう。


で、その次?


まあ、江戸のお膝元で、寛永寺境内でもあり、
上野東照宮の重みは本来的には、軽くはなかろう。


じゃあ、上野の山のどこにあるのか。
これも知っている人は、多くはないのだろう。


動物園の正面入り口の南隣り、あたり。
精養軒の北。
そんなところにある。


大きな石造りの鳥居があり、さらに、その手前、
南側に、お化け灯籠と呼ばれる、巨大な石灯籠がある。


が、なぁ〜、んとなく、このあたり、
樹木の手入れなどもあまりされていないのか、
さびれた感じ。


大きな鳥居をくぐると、20mくらいはあろうか、
参道両側に大名家の寄進による
名前入りの灯籠が、ずらっと並んでいる。
これらを丹念に見ていくだけで、私などには
とても興味深い。(大鳥居も、お化け灯籠も、
その寄進者と、由来は、興味深いが、長くなるので、
今日はやめておく。)


古びた手水舎(てみずや、手を洗うところ)があり、
銅製の灯籠に変わる。これは、御三家などの寄進という。


で、唐門があり、まわりに透塀があり、
さらに、中に拝殿などの社殿がある。皆、江戸初期の権現造。
しかし、唐門から中は、今は、修復中で、シートに覆われ、
なにも見えない。


しばらく前までは、拝観料を取って、見学はできた、
のであるが、朱塗りの柱など剥げてしまい、
参道などと合わせ、ぱっとした印象はなかった。


また、東照宮には五重塔もあった。
いや、これは今でもあるのだが、場所は、動物園の中。
そばで見たければ、動物園に入るしかない。


歴史をさかのぼると、五重塔はちょっと複雑。
江戸期には東照宮のものであったのだが、
明治に入り、神仏分離で、寛永寺の管理になり、
寛永寺から、東京市に寄贈されている。


上野の山で、江戸期の建物で残っているのは、
昨日も書いた通り、寛永寺関連は戊辰戦争で焼かれ、
また、将軍霊廟は、第二次大戦で焼かれ、ほとんど
残っていない。
曲がりなりにも残っているのは、この東照宮
銅の灯籠も、唐門も本殿もすべて重要文化財であるのに、
この保存のわるさ。


これは、明治以降の上野の山のポジションの
なせる技、であったからであろう。


失くしたい旧時代の遺物、とまでいうのは、
言いすぎかもしれぬが、今のこのあり様を見ると、
多かれ少なかれ、そんなものがあったことが想像される。


やはり、私は、これには悲しさを感じ、直視できない思いを
抱いてしまう。


日光東照宮同様とまではいかないが、
もう少し、大事にしてあげたい。


まあ、ある種、明治維新政権交代
近代革命、とも位置付けられる。
その、滅ぼされた側の異物など、なんの価値も
なかった、というのも、そちら側からみれば、
わからなくはない。


しかし、文化的な価値はむろんあり、
だからこそ、重文には指定されていたのであろうし、
やっと今、修復を始めたのであろう。
しかしなぜ、戦後も、ずっと、荒れるにまかせていたのか。


また、五重塔も、動物園の敷地に入ったまま、というのも、
意味がわからない。(明らかにヘンであろう。)


現代において、日光東照宮は大事にするのなら、
こちらだって、と、思う。


おそらく、これは正論であろう。
誰が考えても、きれいに保存するべし、だろう。
(で、やっと修復が始まったのだろうが。)


実は今、上野公園全体が、再開発、きれにされつつあり、
噴水広場なども、今は、入れない。


その中で、この東照宮あたりは、
歴史地区、というような位置付けで、
きれいになるようではある。


じゃあ、なぜ、今まで放っておいたのか。


上野公園、上野の山には、先に書いたような
江戸と、明治以降の歴史があった。


その中で、死に遅れた古い江戸の異物として、
東照宮は打ち捨てられたかのように、端っこで
肩身の狭い思いをしつつ、戦後も、パンダに
喜ぶ家族連れを眺めていたのかもしれない。


そう。
戦後の上野公園を見ても、東照宮は、とても、
国立博物館、科学博物館、西洋美術館、動物園のある雰囲気と、
馴染んでいるようには、とても見えない。
(清水堂もそうかもしれない。)


まったく、ちぐはぐ。
そして、忘れ去られた存在になっていった。


なにか、このあたりに、上野の山やら、明治という時代は、
なんであったのか、ということを解きほぐす糸口がありそうである。


だが、今の、上野公園再開発。
どんなふうになるのであろうか。