浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



池波正太郎と下町歩き2月 その3

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NHK文化センター、断腸亭の『池波正太郎と下町歩き』


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NHK文化センター

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グーグルマップ。




より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き2月 築地〜銀座 を表示

ルートマップ





江戸の地図



引続き、『講座』の2月。


前回は、江戸時代の佃島を見てきた。
将軍様のいわば、お抱え、直属の漁師であったわけである。
特に、歌舞伎をはじめ、様々な文芸にも取り上げられるほど、
彼らの専業であった白魚は、江戸の一般町民にとっても
特別な存在であった。
暮から春先にかけての篝火(かがりび)を焚いて
行なわれる白魚漁は、隅田川や佃周辺の江戸前の海の
季節の風物詩として、親しまれていたのである。


明治に入り彼らの独占的な白魚漁は解放され、
漁場は一時は著しく荒廃したという。


明治15年当時の佃島の漁家は、それでも100戸ほどは数えていた。
その後、海苔や貝類(牡蠣)の養殖なども盛んになり、
今のお台場のあたりには、そうした海苔や牡蠣の
養殖用の筏などが多く見られていたという。


この頃、獲れていたものは、シラウオ、ハゼ、コノシロ(小肌)、
アナゴ、ワカサギ、ボラ、カレイ、ヒラメ、アジ、イワシ他。
貝類などではアサリ、ハマグリ、アワビ、バカガイ、エビ、
シャコ、イカカニなど。


このうち水揚総額の40%が依然として
白魚であったことは驚きであろう。


明治期、佃の子供達は対岸の築地、京橋、日本橋界隈を冬はシジミ
夏はイワシなどを天秤棒で担いで、売り歩いていたのは
当たり前の風景であったという。


さらに、驚くべきは、戦後になっても数年はまだ、
白魚は獲れていたのである。


しかし、高度経済成長時代に入り、大井埠頭の埋立てなど、
東京港東京湾では本格的に、埋立てが始まった。


こうした、近代化の動きには逆らえようもなく、
東京都と交渉の末、東京オリンピックを控えた昭和37年、
東京都内湾漁業権放棄が決まり、佃島の漁業は終了した。



『白魚や 椀の中にも 角田川(すみだがわ) 子規』



むろん、子規なので、明治期、で、ある。



今でも、屋号が表札とともに玄関に掲げられている家もある、
静かな佃の町並み、で、ある。


上の、ルート図を見ていただきたい。
佃二丁目の信号から、真っ直ぐきた、突き当りが、
江戸の頃の、佃の海岸線。
その西側は、江戸の頃の町並み。
家々が、びっしりと隙間なく建っている。


この突き当りを左に曲がる。
佃小橋に曲がると、佃のメインの通りになるが、
これは曲がらず、真っ直ぐ。


すると、幟があるのでわかるが、人ひとりが
通れる家と家の隙間の道。その一本に入る。


佃天台地蔵。
江戸期に作られた、お地蔵さん。
家の隙間に御堂があるのだが、ここに銀杏の大木が
屋根を突き抜けている。


これを見て、真っ直ぐ抜けると、目の前は、
佃掘。


堀に接して、お稲荷さん、が、ある。
佃波除稲荷。
波除稲荷は、各所にあるが、海の安全を祈るお稲荷さん
と、いってよかろう。


ここには、若者の力比べに使った、力石、がある。
これも、各所の神社にあるが、ここのものには、
“さし石”と、書かれている。


下町の方はご存知であろうが、神輿を担ぐときに、
“さす”という言葉を使う。
皆で、神輿を高くサシ上げることがあるが、
これを“さす”、といっている。


佃掘には、釣り船、などが舫(もや)われている。
今日、この時間は引潮のよう。砂地も見える。


赤い欄干のお馴染みの、佃小橋。
向かって右側の堀のさらに右側。


立札も出ているが、ここに、佃住吉神社
巨大な祭の幟(のぼり)六本が、水に沈めて、保管されている。


渡って、ちょいと、真っ直ぐ。
左側に、店が出ているのが、漆芸の中島。


こちらは、江戸漆器のお宅。
当代、中島泰英氏は十一代目という。江戸期からの老舗である。
祖父である九代までは日本橋にあり、空襲により佃へ移った。
中島氏は昭和56年に「国家検定一級技能士」を取得しているという。


右側に、なんでもや、というようなお店があり、
この路地を入っていくと、住吉神社に行き当たる。


住吉神社は大坂の佃村から、人々がここに移住した際に
一緒に勧請された神社。


祭神は住吉三神と、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后
航海の神様ともいう。







廣重の江戸名所百景の佃祭。
ここに描かれているのが先の、大幟。


江戸期、大きな幟は、軍事上の意味があったのであろう、
民間では禁止されていたのだが、ここは例外。
この大幟が、六本、建てられる。
(もう一つは、昨年のポスター。)


住吉神社の例祭、佃祭は、東京下町の祭の中ではやはり別格であろう。
毎年8月6日、7日。
三年に一度が本祭りなのだが、今年、2010年が、その本祭りのよう。


私は、見にきたことがないが、ここのお神輿は、八角形。
以前は海に神輿を入れていたが、神輿を船に載せて氏子地域を廻る
船渡御が行なわれる。
上の廣重の絵にも、奥にまぎれもなく、八角形の
神輿が描かれている。
この神輿は、江戸期天保の頃に作られたもので、
今、新調中。(今年は新しいものが出るよう。)


今でも佃島の中には6本の幟が建てられる。


この住吉神社の境内も、静かでよい。


漁船やら、佃の風俗が描かれた、水盤舎の欄間も見事。
これも天保年間のもの。





つづきはまた、明日。