さて。
今日は昨日のつづき。
6時に大手町で仕事を終え、日本橋の蕎麦やの、やぶ久へ
行こうと思ったのだが、その前に『講座』の下調べも兼ねて
界隈をぶらついている。
日本橋の日銀前にある、常盤橋と、大手町側にある
常盤橋公園を見て、日銀前の外濠通りまで出てきた。
常盤橋の交差点。
これは、今の常盤橋の東詰、日本橋側の交差点。
交差点を一石(いちこく)橋方向に、渡り、常盤橋の向かって
左の欄干から、対岸、大手町側の川岸を眺めてみる。
(昨日の地図をもう一度)
より大きな地図で 断腸亭料理日記/日本橋 を表示
日本橋川の、この常盤橋の交差点のところ。
昨日も書いたが、ちょうど堀川が十字路のようになっていた。
大手町に向かって、手前が日本橋とすると、左右が外濠、
直進は、道三濠(掘)。
道三濠はこのあたりから、斜め左に屈曲し、大手町を抜け、
大手門より少し南の内濠(和田倉濠)に、つながっていた。
この道三濠は江戸城の濠の中でも古いものといわれている。
江戸城ができた頃、日本橋あたりから、町人の住む『町』が
作られたというが、お城から、日本橋までは、この道三濠で
すぐ、の、ところ。なるほど、日本橋というところの重要性が
この道三濠からも窺える、といえよう。
この、道三濠は明治まであったのだが、
常盤橋の架かっている向う側の川岸を今見ても
そんな痕跡はまったく見あたらない。
外濠通りに戻り、一石橋の北詰へ。
今見た、常盤橋から川は日本橋に向かって
すぐに左に曲がる。
その曲がったところに架かっているのが、一石橋。
なん度も書いているが、
『一石』の由来は、落語でもよく登場する
呉服橋側には、呉服屋の後藤、石町側には、金座の
後藤と二軒の後藤家があり、橋が流されたときに
両家でお金を出し合って橋を架けた。
よって、後藤と後藤。五斗(ごと)と五斗(ごと)で、
一石橋となった。
この由来は、日本橋区史、などにものっているのだが、
真偽のほどは、定かではない。
本当であれば、まったく洒落のような話ではある。
一石橋の南詰には、昔の橋の親柱と、
迷子知らせ石、なるものが史跡として残っている。
きてみると、フェンスで囲われ、案内標識は建っているが、
草に埋もれている。
親柱はよいのだが、迷子知らせ石、なるもの。
見た目には、なにが書いてあるかわからぬので、
石の柱で、道標(みちしるべ)のようでもある。
これはこのあたりの町内で建てたものらしい。
なにかというと、迷子を捜す人、見つけた人が、それぞれ、
その内容を紙に書いてこの石に貼り付け、
情報交換に使ったという。
この界隈、江戸でもそうとうな、目抜きの場所。
人手も多く、迷子の類(たぐい)も少なくなかったのであろう。
それで、この界隈の町内で、こいうものを建てた。
なかなか、しっかりしている町ではないか。
やはり、江戸随一、文字通り、江戸草分けの土地柄
と、いってよいのかもしれない。
ここから、今度は外濠通りを東に渡り、日本橋川に沿った
道路に入る。ここは、古くは「西河岸」と呼ばれていた町。
しばらくいくと、右側にコンクリート製のお堂のようなものがあった。
なんであろうかと、建っている案内板を見てみると、
西河岸稲荷と、地蔵堂、と、いうもののよう。
説明をよくよく読んでみて、驚いた。
皆さんは、泉鏡花の『日本橋』という作品をご存じであろうか。
(まあ、あまり知っている人も少なかろうが。)
もともとは、大正3年に新派のために書かれた戯曲。
映画にもなっており、戦前に溝口健二、戦後昭和31年に
市川崑が映画化している。
つい先日、私はこの市川崑版をDVDで観たところ、で、あった。
この『日本橋』という作品にこの西河岸のお稲荷さんが
登場していたのである。
なぜ、こんなものを観たのか。
『講座』の下調べ、でもあったのだが、
この泉鏡花の『日本橋』というのは、日本橋花柳界を描いた作品。
日本橋にも花柳界があったというのは、
意外に知られていない、のかもしれない。
柳橋だの、新橋、赤坂、神楽坂etc.と比べても、
さほど有名とはいえないであろう。
今は、やはり、かろうじて
矢満登という一軒の料亭が残っているのみ。
この矢満登という店はどのへんかといえば、
東京駅八重洲口駅前、駅から向かって左側の一画。
やぶ久、からもさほど遠くはないが、
呑みやがかたまっているところがあるが、そこ。
古くはこのあたりは、元大工町、あるいは、檜物町、
と、いった外濠沿いの町。
日本橋花柳界全体をとらえると、料亭、置屋は
ここだけではなく、石町やらにもあり、広く日本橋全体に、
散らばっていたようであるが、一般に日本橋花柳界といえば、
この元大工町、檜物町ということになっていたようである。
先の『日本橋』に登場する西河岸のお稲荷さんは、
ヒロインの芸者である淡島千景が住む置屋の前、という設定。
映画にも出てきたが、淡島千景はこのお稲荷さんで
お百度を踏むのだが、そのお百度石まで、
今のこのお稲荷さんには、あったのである。
だいぶ長くなった。
今日はここまで、つづきはまた明日。