浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)
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東京のポジション


3月9日(日)


午後、銀座の銀行へ行く用があり出る。
シティバンクなのだが、窓口業務を日曜もやっている、
というのは便利である。


シティバンクで用を済ませ、銀座の街に出る。


これから床屋。いつもの通り、QBハウス。
このあたりでは新橋の中央通りにある。


天気もよく、暖かくなった。


中央通りはいつものように、ホコ天


今時、銀ブラ、などという言葉は流行らないが、
歩くには絶好、で、ある。


しかし、それにしても外国人の観光客が多い。
まあ、もともと銀座は多いのであるが、ここのところ
さらに増えているようである。
旗を立てた中国からと見える人々。
銀座のブランドショップめぐりであろうか。
ホコ天の外、新橋側の路上に観光バスがなん台も横付けされている。


なんとまあ、すごいことである。


この件から、今日は、東アジアでの東京のポジションのようなもの
について、考えてみたのである。


今のこの状態を見ると、東京銀座は、
まぎれもなく、東アジアの一大ブランド街になっている
といってよいのだろう。
以前は、香港であったと思うのだが、いつの間にか
東京がその地位にある。


この銀座のブランドショップも、もともとは国内需要
日本人向けに増えてきたのだと思うのだが、
そのお客として、東アジア、主として伸張著しい中国の
いわゆる富裕層、が加わってきた。


まあ、東京に人が集まってくるというのは
経済効果とすれば悪いことではない。


少し前に「東京は“いいところ”であろうか」という問いを
してみたが、この観点で、東アジアの人々が集まってくるというのは
それだけ東京に魅力がある、ということなのだろうか。


今すぐに、魅力がある、とは結論づけることはできないが、
少なくとも、東アジアでの日本、あるいは、東京のポジションが
変わりつつあることは、間違いないだろう。


昨年、香港へいって、まざまざと理解できたが、


日本のファッション、風俗、芸能、アニメ、食なども含めて、
現代文化、は彼らにとって間違いなく「IN」で、ある。


これは中国本土、韓国、台湾など、それぞれ温度差は
あるだろうが、大筋では変わらないだろう。
また、単にこれは若者だけの現象、とは、もはやいえないくらい
のことになっているようにも思う。


考えてみれば、こうした日本の現代文化は東アジアだけに
とどまらず、アニメにしても食にしても、
世界中で認知され、支持されているものは少なくない。


その中で、特に東アジアの人々は距離的に近いということもあり
また、歴史上、文化的にも同じようなものをバックグラウンドに
持ち、背格好、顔つき、髪の色も似かよっており、
日本の現代文化をより支持しているのだろう。


先ほどから、大雑把に「日本の現代文化」という書き方をしてきたが
もう少し、その質について、考えみなくてはいけないだろう。


まず、支持されているファッション、風俗、芸能、アニメ、食などは、
日本文化、と、いっても、サムライ、ゲイシャ、
仏像、着物などなど、いわゆる日本の伝統文化、ではない。
(食は、どちらにも入るが)
現代、それも戦後、さらに、この20〜30年程度の間に
形づくられた文化、で、ある。


ちょっと話はそれるが、考えてみると、今、伝統文化といっているのは、
みな、江戸時代まで、あるいは、そこからの発展形の文化、で、ある。
サムライ、はもちろん、ゲイシャ、仏像、着物、、どれも
江戸までにあったものである。(芸者については、明治以降、
発展したものではあるが、起源は、やはり江戸まで
さかのぼるといってよいだろう。)


日本文化は明治以降、外来文化を受け入れ、
様々な変化をしてきた。
だが、これは毎度書いている筆者の持論だが、
昭和30年代までは、ベースの部分では日本人は
依然として、江戸時代までの文化の中で生活していた。


ここでいっている、ベースとは、もう少し
きちんと定義をしなくてはならないが、長くなるので
ここでは詳しくは述べない。簡単にいうと、
例えば、普段着物を着ていた、という生活様式だったり、
あるいは、家の中ではお父さんが強いという、
家父長制度だったり、文字通り、人々の価値観や行動様式を含めて
ベースに流れていたもの、で、ある。


むろん、明治以降、外来文化の流入で、少しずつ変わってきたのだろうが、
この昭和30年代を境に、一気に日本人の中で江戸以来の文化は
メジャーを失っていったのだと思っている。
(着物を着なくなり、お父さんの地位は大暴落していった。)
それは、明治以降の蓄積もあろうが、戦後、時代の進む速さが
加速していった、ということが原因であろう。


そして、その昭和30年代以降形成された新しい日本文化が
今、東アジアの人々に支持されている、ということである。


そういう意味では、今の東京は前に考察した通り、
江戸以前を失っているという点で、
とてもティピカルなのかもしれない。


(では、その彼らに支持されている、新日本文化ともいえる
「日本の現代文化」の本質とはなにか?
これを考察しなければいけないのだが、さらに長くなるので、
また、別稿としたい。)



さて、そういう具合に、文化はどうも
世界での競争力はありそうなのはわかった。


翻って考えてみて、日本経済はどうだろうか。



今さら筆者が書くまでもないが、元気がない。
アメリカを目指してきたが、彼らも元気がなく、
中国をはじめとするBRICSが台頭し、パラダイム
変わりつつある。
その中で、日本の企業はなにを目指すのか。
このままでは、地盤沈下は免れまい。
悩みは深い。
(筆者も、一企業人として、こういうことも考える。)


経済は経済で、頑張らねばならないのだが、
それら新日本文化を、もっともっと、積極的に、


考えてみてもよいのではないかということも
イデアとしてはある。
(政府は最近、アニメ産業を振興しようという
こともいっているが。)


東京であれば、アキバだったり、ハラジュクだったり
シブヤだったり、、、なのか。
(なんとなく、筆者は、今、行きたい街ではないが、、、。)


で、そこで具体的になにをすればよいのか。


それを考えるには、やはり、新日本文化の本質に
踏み込んでみなければいけなかろう。


これからの日本、東京の目指すところは?。
そんな問題になるのだろう。



今日は別段、結論はない。
この件は、また、あらためて、考えたい。